インタビュー
2021.10.23
ファーストアルバム『Un passo』発売・配信中

歌手・西村悟——バスケ選手から歌の道へ! そして初CDで踏み出す新たな“一歩”

イタリア語で“一歩”を意味するアルバム『Un passo』を発表したテノール歌手の西村悟さん。中学、高校時代バスケットボール選手として活躍、そのままスポーツの世界で生きていくのかと思っていたときにふと踏み出した“一歩”は彼をオペラへと導きました。
そして、スター歌手となった西村さんが、ライブの舞台を何より重要に思って活動していたとき、コロナ禍で演奏活動はすべて中止に。そのときにまた踏み出した“一歩”がこのアルバムを生んだそうです。西村さんに訪れた転機を伺いました。

取材・文
井内美香
取材・文
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター

学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

写真: 各務あゆみ

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スポーツマンから歌手の道へ〜音楽家への転身は「バスケ部の顧問になるため」!?

——西村さんの青春時代はバスケットボール漬けだったと伺いました。

西村 僕の両親は2人とも体育の教師で、バスケットボール選手だったんです。中学からは何の疑いもなくバスケットボール部に入部して、バスケに明け暮れる日々が始まりました。そのままバスケットボールの推薦で高校に進学し、3年間寮生活を送り、3年のときにはキャプテンを務めています。プロ選手になるのが夢でインターハイを目指していたのですが、チームが千葉県の3位となり全国大会には出られませんでした。

西村 悟(テノール歌手)
日本大学藝術学部、東京藝術大学大学院修了。イタリア声楽コンコルソ・ミラノで大賞、リッカルド・ザンドナーイ国際声楽コンクール第2位及び審査委員長特別賞、日本音楽コンクール第1位。2013年大野和士指揮水戸室内管弦楽団とブリテン「ノクターン」、2014年山田和樹&スイス・ロマンド管弦楽団とメンデルスゾーン「讃歌」を共演の他、佐渡裕&ケルン放送交響楽団「第九」、インキネン指揮日本フィル「大地の歌」、小林研一郎&名古屋フィルとヴェルディ「レクイエム」、高関健&東京シティ・フィル「ファウストの劫罰」、山田和樹マーラーシリーズの第8番等で共演。2016年には大野和士指揮バルセロナ交響楽団にて欧州デビュー。オペラでは「ラ・トラヴィアータ」「蝶々夫人」「仮面舞踏会」「ルチア」「ラインの黄金」「魔笛」に出演。五島記念文化賞オペラ新人賞受賞。出光音楽賞受賞。藤原歌劇団団員。

——高校3年生までは、音楽の道に進むなど思ってもいなかったわけですね?

西村 そうなんです。3年生の夏に部活を引退して進路を考える時期になり、附属高校だったので大学の体育学部に進学するチャンスはあったのですが、両親ともに体育教師だったので、何か違う道を進みたいという気持ちがありました。でも座学は好きじゃないし、体を使う学問がないかなと。そこで初めて音楽があると気がつきました。

歌は昔から好きでしたし、普通のお稽古ごとですが、子どもの頃ピアノを習っていたこともあり、「そうだ! 音楽の先生になって、バスケットボール部の顧問として全国大会に出よう!」って考えたんです(笑)。それでピアノを習っていた先生のアドバイスを受け、日本大学芸術学部の夏期講座に行きました。用意していったイタリア歌曲「カーロ・ミオ・ベン」を、大学で師事することになる丹羽勝海先生に聴いたいただいたところ、「あなたいい声だね。歌だったら入れるかもしれないよ」と。それが声楽との出会いになりました。

——〈スポーツで鍛えた身体〉に〈美声〉と、ここでオペラ歌手になる要素が揃ったわけですね。中学・高校と、勉強以外の時間をすべてスポーツに費やしてきたことが、きっと音楽の道でも役に立っているのでしょうね。コツコツと努力なさる性格は生まれつきですか?

西村 性格的には、本当は派手なのがいいんですけれど、コツコツと積み上げるのも嫌いではないのかもしれません。積み上げたあとで、試合とか勝負のときが来るじゃないですか。舞台もそうですよね。それまでコツコツやって、その日に“化ける”みたいな……。歌って、スポーツに似ている部分もすごくあると思うんです。体全体を使いますし。フィギュアスケートにも似ているな、とよく思います。

——西村さんの歌手としてのこれまでのご活躍を考えるとCDはもっと早く出ていてもおかしくなかったと思うのですが、これまでアルバムを発表しなかったのには何か理由があるのですか?

西村 実は、以前は自分のアルバムを作ることに、あまり積極的ではありませんでした。なぜかというと生の演奏をすごく重要視していたからです。僕はコンサートで歌うときに、表情とか所作にこだわって作っていくのですが、録音ではそういう部分を見てもらうことができない。それに一期一会というか、会場に足を運んでくださったお客様と一緒に作る空気感も演奏の一部だと思っていたんです。

その考えが変わったのは、このパンデミックが原因でした。去年の状況が酷かった時期、音楽家として自分が何をするべきかものすごく考えました。自分はエンターテイナーとしてお客さんに何かを伝えたい、それが僕の使命だと考えたときに、じゃあCDだと。完全な発想の転換があったんです。僕を応援してくださる方たちに、少しでも音楽を届けたいと思ったのです。

「西村悟ってどういう歌を歌うの?」への答えがシューベルトの《魔王》

——アルバム『Un passo』では、まず1曲目にシューベルトの《魔王》が収録されています。西村さんは今年3月にドイツ・リート(歌曲)のリサイタルを開かれましたね。これまで西村さんといえばイタリア・オペラ一筋という印象がありましたが、ドイツものに挑戦した理由は?

西村 そもそも僕がこれまでリートをやらなかった理由は、学生の頃からちょっとしたドイツ語アレルギーだったからなんです。イタリア語の歌は喉にいいけれど、ドイツ語は喉に悪いのではないかなど、間違った思い込みがありました。

その後も、イタリアに留学したこともあり、イタリア歌曲はずっと歌っていましたが、ドイツ語の歌に本格的に取り組むきっかけがなく、唯一歌う機会があるのは、日本で演奏会が多いベートーヴェン第九のソロくらい。

その僕がドイツ語へのアレルギーを完全に克服したのは、2017年にびわ湖ホールさんで歌ったワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』四部作からの《ラインの黄金》ローゲ役への出演です。ぜひにと誘っていただき一生懸命努めた舞台でしたが、その結果ドイツ人演出家ミヒャエル・ハンぺさんに手放しでほめていただき、それが僕のターニングポイントになりました。

——びわ湖ホールの公演を聴きましたが、歌も演技も素晴らしかったのをよく覚えています。準備は大変でしたか?

西村 1年半くらいかけました(笑)。でも成果は大きく、この経験でドイツ語はしっかり発音して歌えば、決して喉に悪いわけではないことがわかって、そこからドイツ語への不安がまったくなくなったんです。

——アルバムの1曲目に《魔王》をドイツ語で、そして最後にも同じ《魔王》を今度は日本語で歌っていらっしゃいます。

西村 『Un passo』は、今まで僕を応援してきてくださった方々のためでもあるので、これまで歌ってきた足跡をたどる曲を選んでいるのですが、そこに1曲、「西村悟ってどういう歌を歌うの?」という問いに答えられる曲を入れたかったんです。

僕は演じて歌う、演じて表現するということに重きを置いて歌ってきたから、「演じられる曲は何だろう?」と考えたとき、オペラが凝縮したかのような《魔王》に行きあたりました。あの4役を歌い分けるところに僕らしさが出ると思ったんです。それで1曲目に《魔王》を入れました。

——確かに《魔王》における西村さんの声の使い分け、そしてドラマの描き方が素晴らしかったです。日本語訳の《魔王》のほうは?

西村 16曲目の日本語訳版はちょっと遊び心といいますか。CDを出す前に、テレビ朝日の『題名のない音楽会』で一度《魔王》を歌いました。これはオリジナルのドイツ語で歌ったんですが、友人などに「今度、テレビで《魔王》を歌うからね」って言うと、皆が口を揃えて「《魔王》って知ってるよ。『お父さん、お父さん』のあれでしょ?」って言うんですよ。中学校の教科書で、皆だいたい「お父さん、お父さん」を勉強する。でも、その音源があまりないらしく、特にオリジナルのト短調の日本語での録音は少ないようなのでそれを歌うことにしました。

——これからは、全国の中学校で《魔王》を勉強するときの教材として、このCDをぜひ活用していただきたいですね(笑)。

ところで、シューベルト《魔王》は、ピアノ伴奏の連打が大変なことでも知られていますが、河原忠之さんの演奏も素晴らしいです。

西村 河原さんには「イタリアもので行きますから」とか言ってピアノをお願いしたんです。そして後から「すみません、《魔王》入れちゃいました」って。「本当に!? わかった。でもテイク2までね!」と言われました(笑)。

——イタリア歌曲と言っておびきよせて、来てみたら《魔王》だった。まるで西村さん自身が《魔王》みたいです(笑)。河原さんはオペラのピアノ演奏で第一人者ですし、《魔王》だけでなく、イタリア歌曲、そしてオペラの表現においてお二人の演奏は圧倒的だと思いました。

新たなレパートリーも見据えた、未来への「一歩」

——アルバムの他の曲は、西村さんが得意なレパートリーが中心になっているわけですね?

西村 はい。このアルバムは《魔王》を除いて、僕の一夜のコンサートを聴いているというイメージで作られています。

例えば、2曲目のガスタルドンの《禁じられた音楽》は前奏がすごく素敵なので、その音楽に乗って僕が舞台に登場して歌うというスタートです。前半はイタリア歌曲の名作を中心に。そして中間あたりにバーンスタイン《ウェストサイド・ストーリー》からの「マリア」と、ロジャース《回転木馬》から「人生ひとりではない」という曲を入れています。コンサートではミュージカルもよく歌うんです。

特にロジャースは「嵐の後は青空になる。一緒に歩こう、君は一人じゃない」というとてもいい歌で、皆さんに寄り添っていますよ、というメッセージをこめて僕はアンコールでよく歌います。

——後半はイタリアを中心にしたオペラ・アリアです。これまで得意とされてきた曲に加えて、フランス・オペラ《ル・シッド》からのアリア、そして最後はプッチーニ《トゥーランドット》で盛り上がります。

西村 オペラに関しては今まで歌ってきたもの、そして将来的な展望を見据えたものも含めて選びました。マスネ《ル・シッド》や、ジョルダーノ《アンドレア・シェニエ》などは、これから僕も歳を重ねて役どころも変わっていくと思いますので、より威厳のある役や強い人格を持った役を歌っていきたい、という今後の方向を示しています。

——将来に向けての一歩、《Un passo》を踏み出すためのアルバムでもあるわけですね。

西村 そうです。これまでの僕の道のりや歩幅はまさに僕自身を表していると思いますし、これからも僕は自分なりに一歩一歩進んでいこう、ということです。

西村流・自分の磨き方

——今回このアルバムを聴いて、最初に思ったのは西村さんは本当に美しい声をお持ちだということです。それはこれまでオペラやコンサートに接したときにも感じたことですが、CDを聴いて「ああ、西村さんの声だ!」と。どうやって声に磨きをかけているのですか?

西村 そういっていただくのは嬉しいです。ただ、目指しているのは美しい声ではなく、自然な声なんです。歌うということは、どうしても声を作ってしまうことにつながってナチュラルではなくなることがあります。もちろん発声の仕組みは理解していなくてはいけませんが、その上でナチュラルな歌になっていくことがたぶん美しい歌の秘訣なんだと思います。

——日々のトレーニングの秘密も少し教えていただくことはできますか?

西村 コツコツとやるしかないんですよね。必ず練習するのはハミングです。正しいハミングは、一番効率よく音が鳴るはずなんです。大きな声より、一番小さい声がどう出るかのほうが大事です。

——歌手はそうやって一生自分で自分を磨いていく仕事だと思うのですが、道を見失いそうになる時はありますか? そのような時は、どうやってそこから抜け出すことができるのでしょう?

西村 これは違うな、と思うことは多々あります。それをどう越えてきたかというと、どれだけやったかという自分に対する自信でしょうか。どれだけ勉強したか、どれだけその作品と向き合ったかということ。そこに自信があれば、乗り越えられると思います。そして歳と共にオン・オフがわかってくるのかも知れません。

昔はいつも「オン」ばかりで歌っていた気がします。そういうことが身についてきて、歌というものが以前よりは少し楽になったかなと思いますね。多分あと10年、あと20年したらもっとそうなっていたらいいな、と思っています。

最近はバッハ・コレギウム・ジャパンと、宗教曲の分野でもめざましい演奏活動をしている西村さん。自分の一歩一歩を着実に進めている彼の今が、この『Un passo』の中に詰まっているといえそうです。

取材・文
井内美香
取材・文
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター

学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

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