沖澤のどか~巨匠ムーティからの「Be Yourself」を胸に、一度は諦めかけた指揮者への道を進む
100人を超えることもあるオーケストラをタクト1本で自在に操る指揮者。「簡単そうだと思ってはじめたら、とんでもなかった......」と笑うのは、2018年東京国際コンクールの指揮部門で日本人としては18年ぶり、女性では初の第1位に輝いた沖澤のどかさん。先日行なわれた「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」でも、日本人として唯一、巨匠リッカルド・ムーティから受講を許された、気鋭の指揮者だ。
厳しいコンクール、挫折、先輩たちの教え......さまざまな経験を胸に未来へと進む沖澤さんに話を聞いた。
学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...
指揮者って何だかカッコよく見える。でも、実際にはどんな勉強をして、どんな仕事をする存在なのだろうか。
ピアノやヴァイオリンなら、上達するために楽器を練習すればいいけれど、指揮者を目指す若い人たちは、彼らの楽器であるオーケストラを自分の手元においておくことができない。オーケストラを与えられるまでの彼らの勉強はヴァーチャルだ。その意味でも指揮者にとってコンクールは重要である。コンクールの予選を通過してやっと、本当のオーケストラを指揮することができるのだから。
一流の指揮者を数多く輩出してきた歴史ある東京国際コンクール〈指揮〉で2018年、日本人では18年ぶりの、そして女性では初の第1位に輝いた沖澤のどかさんに会いにいった。
第18回東京国際音楽コンクール<指揮>本選の様子
「6年前にもこのコンクールには挑戦していて、そのときはビデオ審査は通ったものの、本選の一次審査で落ちてしまいました。3年前は留学の時期と重なっていたので受けられませんでしたから、今回が2度目の挑戦でした。前回、一次で落ちているのでそれほど期待しておらず、優勝したのは驚きでした。
このコンクールは特別で、一次試験からプロのオーケストラを、しかも東京オペラシティで指揮できるので、ビデオ審査で最初の18人に選ばれただけでラッキーだと思っていたのです」
5月22日に行なわれた、コンクール入賞者記念コンサートを聴きに行った。前半は第3位の熊倉優さん、第2位の横山奏さんがタクトを取り、後半は第1位の沖澤のどかさんがメンデルスゾーンの交響曲「スコットランド」を指揮した。
コンサートが始まる前に、コンクールの選考委員会委員長を務めた指揮者の外山雄三氏が挨拶し、その中で、「良いと思ったらどうぞ拍手をしてください、思わなかったら拍手をしないでください。それが指揮者の成長にもつながる」という言葉があった。沖澤さんへの万雷の拍手は、私を含めたその日の聴衆が、彼女の音楽に熱狂したことを確かに反映していたのである。
音楽との出会い、藝大合格そして挫折
青森で生まれ育った沖澤さんが音楽と出会ったのは3歳のとき。
「母が趣味でピアノを習っていたんです。その教室に一緒に行って、母がレッスンを受けているのを聴いていたそうです。姉もピアノを習っていたので家にピアノがありました。それで私も自然に弾くようになって。ピアノに夢中になってしまい椅子から引き離すのが大変だったそうです(笑)。私がずーっとピアノを使ってしまうので、結局母はピアノを習うのをやめてしまいました」
母方の伯父が趣味でチェロを弾くので、その影響で姉妹はチェロも習うようになる。のどかさんも小学3年生からチェロを始めた(姉の沖澤直子さんはその後、プロのチェリストになり活躍している)。小学校5年生から高校3年生まで、姉と一緒に地元のジュニア・オーケストラでチェロを弾いていた沖澤さんは高校生になってオーボエも始める。モーツァルトのオーボエ四重奏曲を独自にアレンジして、伯父や姉と合奏を楽しんだりしていたという。
そんなふうに音楽と一緒に育った沖澤さんだが、音楽を職業にするときには迷いも生じた。4つ上の姉が高校から音楽科で学び音楽大学に進んだのと違い、普通高校に進学していたので、音楽は楽しみにしておいて普通大学に進学しようとしたのだ。ところが、高校2年生の冬に短期留学で10日間オーストラリアにホームステイした沖澤さんに変化が訪れる。
「初めての海外でした。いわゆるカルチャーショックというのを受けまして。いろいろな人がいましたね。人種も、生活もすごく多様で。それにとにかく日差しが強くて、冬の青森から真夏のオーストラリアに行って、なんだかカーンとやられたんです(笑)。
私の行っていた高校は、できるだけ国立大学に進学させたいという方針だったので、私も皆と同じように普通大学に行くものと思い込んでいたけれど、別にそうじゃなくてもいいかな、やっぱり音楽をやりたいな、と思うようになりました。でも、もう受験の1年前でしたから、楽器で受験するには遅かった。それで調べたら指揮科なら1年で勉強して行けるかも、と。ソルフェージュが得意でしたし、その頃は何も知らなかったので指揮は簡単だと思っていたんです(笑)」
こうして日本の音楽教育機関のトップ、東京藝術大学の指揮科に現役ストレート合格した沖澤さん。しかし晴れて藝大に入学したあと、さまざまな困難にぶつかって大学を半年間休学してしまう。
「まず東京の生活があいませんでした。大学に通う満員電車にどうしても慣れなくて。西武池袋線だったのですが、ひどいときには、池袋まで出て、乗り換えられないでそのまま戻って家に帰ってしまったりしていました。あとは、そのときに指導していただいた先生が厳しかったこともありました。
今となっては先生のおっしゃっていた意味もわかるんですけれども、指揮の入門者だった私には、かなり高度だったのであまり理解できなかったのです。自分が成長している実感もありませんでした。休学して青森に半年間帰り、その後あまり具合は良くなかったですけれども復学し、だましだまし勉強を再開しました。下野竜也先生の学外のマスター・クラスを受講したりしていました。やがて大学の最終学年の頃、高関健先生が藝大に着任し、それ以来ガラッと変わりました。高関先生につくことができ、大学院への進学も決意したのです」
大学院卒業後はベルリンの音楽大学で学ぶ。教育方法は藝大とはかなり違ったという。
「まずオペラ指揮の授業が毎週あるんです。基本的にオーケストラの指揮と、オペラの指揮、という2つがメインで、そのほかに副科のコレペティートルという、ピアノを弾いて音楽稽古をつけるレッスンも取りました。現代音楽の指揮、古楽の指揮、合唱指揮、それぞれの分野の一流の方々に教わることができたのは良かったです」
挑戦し続ける巨匠ムーティに教えを受けて
オペラを最初に指揮したのは藝大の学園祭で学部3年生のときに指揮したドニゼッティ《愛の妙薬》。オペラには早くから興味があり、大学では歌の伴奏をしたり、古楽の声楽アンサンブルでモンテヴェルディのマドリガーレを歌ったりと親しんできた。
今年、東京・春・音楽祭でリッカルド・ムーティが行なった「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」でも日本人として唯一、受講生に選ばれ3月末から4月にかけての約1週間ムーティの指導を受けた。2年コースで、今年はヴェルディ《リゴレット》、来年はヴェルディ《マクベス》が取り上げられる。
ムーティの指導はとても興味深く、かなり茶目っ気もあったようだ。ジルダ役のソプラノ歌手が何度指導しても間違えるので、ムーティが彼女の前に跪いて直すように懇願した、というエピソードも聴講生のSNSなどで話題となった。
「そのときにバリトン歌手が、ムーティが跪くなんて珍しい! 写真を撮れ、とカメラマンに言ったんです。それで写真家さんがカメラを構え、ムーティがそれをまさに撃ち落そうとしている瞬間のとても面白い写真があります。公式サイトにアップされていました(笑)。ムーティは冗談で和ませつつ、空気を変える力がすごいんです。その場にいる大勢を一気にひきつけたり、怖がらせたり、緩めたり。ムーティとベルリン・フィルのリハーサルを見学したことがありますが、怒っていましたからね。ベルリン・フィルを叱ってしまう指揮者はほかに見たことがないです」
指導はとても興味深く、特に楽譜通りに演奏するということの真意や、オペラの役のキャラクターをどのようにオーケストラに伝えていくか、などとても勉強になったという。沖澤さん自身はムーティにどのようなアドヴァイスを受けたのか?
「女性だからといって指揮台で男らしくしなくていい、と言われました。私がそうしていたから、というのではなく一般論ですが。Be yourselfと言っていました。あとはオーケストラに親切にしすぎないように、と。本当にいいときだけ良かった、と言えばいいのであって、毎回すごかった、よかった、ありがとう、などと言う必要はないのだと。変にゴマをすったりする必要はないということですね。
音楽的なことでは、音を運ぶ、音楽を次の拍に運ぶ、ということ。ヴェルディは伴奏の音型が一見シンプルなので、例えば、ヤン、タタタ、タンタン、というときに、ヤ、タタタタタとやるとどうしても音が止まってしまうのですが、2拍目から3拍目に運ぶやりかたがとても勉強になりました」
「ムーティがオーケストラに言っていて印象的だったのは、欧米人の言うことを鵜呑みにするなと。西洋音楽を輸入していると思って、外国人の言うことにそのまま従ってはダメだ、ということです。また、ムーティがずっとイタリアで挑戦している、ヴェルディを楽譜通りに演奏する、ということは、40年かけてやってもイタリアではどうしても悪しき伝統が消えないが、日本ではまだ可能性がある。だから自分は一生懸命伝えたいのだ、と言っていました」
沖澤さんが参加する来年のムーティの「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」の演目は《マクベス》。来年は受講者たちが指揮する演奏会も予定されているそうで楽しみである。
指揮はコミュニケーション――オーケストラと意見を出しあい音楽を作りあげる
指揮者は自分1人ではなく、いろいろな人と一緒に演奏することになる。
「対話というか、コミュニケーションが一番だと思います。特に、自分でずっとスコア(楽譜)を読んでいるときには見えにくいことが、リハーサルで見えてくることもあるんです。
オーケストラ奏者のほとんどは、今の私より経験のある音楽家ですし、ほかの指揮者と同じ曲を何度も演奏している。その経験値が違うので、最初はそういう人たちの前に立つのが怖かったんですけれども、今はむしろありがたい存在というか、自分はこう、というのをはっきり出すと、違う答えが返ってきたり、いろいろと教わることもできるので面白いです。
現代では、リハーサルの時間も短いですし、オーケストラの技術的なレベルがとても高いので、指揮者による演奏のトレーニングはほとんど必要なく、アイディアを出しあって、一緒に音楽を作っていく、という傾向にあると思います」
東京国際コンクールの本選で取り上げたリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』。選んだ理由は好きだから、と語っていたのが印象的。この曲の魅力は?
「疾走感ですかね……。最初の音から、最後の音で終わるまでの疾走感、そして短い中でのコントラストやドラマ。それから音に溺れるような感覚ですね。声部(同時に鳴っているパート)が多いのですが、全部がわかる書き方というか、決して多すぎない。音響も素晴らしいし、オーケストレーションもそうです。ドラマチックな曲なんです」
R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』/R.ムーティ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
沖澤さんのこれからの指揮活動は?
「コンクールももう少し受けようと思っています。それから、今はありがたいことに日本でお仕事をいただき始めているので、あともう少しヨーロッパでの活動を広げられたらな、というところです」
最後に、これからクラシック音楽を聴いてみたい人に、クラシックの魅力を語ってもらった。
「やはりスピーカーを使わない生の音響が圧倒的に独特だと思うんです。曲にこだわらず、その音響を体験するだけでも面白いと思うので、短めのコンサートなどを聴きに大きなコンサートホールに行ってみる、というのは面白いかもしれません。それで興味を持ったら、室内楽やピアノ、器楽、声楽などで好きなジャンルを探してみたらどうでしょう。
大オーケストラの音響を一度、コンサートホールで体験する、というのは面白いと思います。携帯電話から1時間遮断されるというのは結構貴重な時間だと思います。スピーカーを使わない音は面白いですよ。知識は全然必要ではありません。気楽に来てください」
料金: 500円(全席指定)※0歳から入場可。3歳未満は保護者1人につき、ひざ上に1人まで無料
【開催延期】
2020年3月6日(金)~3月15日(日)(予定)
ヴェルディ: 歌劇《マクベス》
会期: 2020年11月26日(木)、27日(金)、28日(土)、29日(日)
会場: 日生劇場
指揮: 沖澤のどか
出演: 東京交響楽団
演出: 眞鍋卓嗣
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