バリトンはオペラの色気担当〜忍ぶ恋? 誘惑する恋? 大西宇宙と清水勇磨に訊く魅力
オペラ・キュレーターの井内美香さんが、同じ声種の中から気になる歌手2人を取り上げる連載。同じ音域でも、タイプの違う声の魅力に、インタビューを交えて迫ります!
第1回はバリトンにフォーカス。主役になることは少ないけれど、井内さんはオペラの「色気」担当と語ります。大西宇宙さん、清水勇磨さん、2人のバリトン歌手の声はもちろん、キャラクターの違いにも注目!
学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...
オペラの「色気」を担当するバリトン歌手!
オペラといえば、そのストーリーの多くに恋愛が絡んでくるのは避けられません。そうすると、オペラの登場人物たちにもやはり「色気」が求められるわけです。というわけで、今日はバリトン歌手の色気について考察したいと思います!
「え~でも、オペラの主役カップルはいつもソプラノとテノールなのに、なぜバリトンなの?」と思う人もいるかもしれません。でも、色気って、やっぱり隠すから表れるものですし、あるいは、ちょっと違う角度で恋人たちを見たときにハッとする発見があるのではないでしょうか? つまり、オペラでいえば、テノールを一途に愛するソプラノに忍ぶ恋を向けているバリトン、もしくは幸せなカップルをなぜかいつも邪魔してしまうバリトン、などがそれにあたります。
ヴェルディが愛した、さまざまなキャラクターを表現する声種
イタリア・オペラの巨匠ジュゼッペ・ヴェルディはバリトンのために、さまざまなタイプの素晴らしい役を創造しました。
古代バビロニア王の敗北と改宗を描く《ナブッコ》、王と廷臣たちに愛娘を誘拐される道化師《リゴレット》、国政とスペイン王子への友情のために命を捧げる《ドン・カルロ》のロドリーゴ、美女をめぐって(実は生き別れの兄弟である)吟遊詩人と死闘を繰り広げる《イル・トロヴァトーレ》ルーナ伯爵、妻への嫉妬心を煽って《オテロ》を破滅させるヤーゴほか、たくさんある役柄は実にバラエティに富んでいます。それほど、バリトンの声は幅広い表現力をもっているのです。
でも、ヴェルディのバリトンたちは世の中のさまざまな問題に忙しく、恋愛に夢中になっているのはルーナ伯爵くらい。
そういえば、ルーナ伯爵の報われない愛を極上の色気と気品で歌ったのは、早世した往年の名バリトン、エットレ・バスティアニーニでした。
イタリア・シエナ出身のバリトン歌手。その歌声と端正な姿から、ヴェルディ・バリトンの名解釈者として人気を博したが、咽頭癌のため44歳の若さで逝去した。
清水勇磨——「忍ぶ恋」には品格、ノーブルさが似合う
さて、オペラ界を見渡しても、一番切ない「忍ぶ恋」の代表は、ワーグナー《タンホイザー》のヴォルフラムではないでしょうか? 純な乙女エリーザベトと、愛の女神ヴェーヌスのあいだを行ったりきたりしている、けしからん主人公タンホイザーを友人として助けつつ、エリーザベトに密かな、慎み深い愛を捧げている紳士です。
そんなヴォルフラムが歌う切ないアリアが「夕星の歌」。2021年に東京二期会《タンホイザー》公演でヴォルフラム役を歌い、その柔らかい美声、品格のある歌唱、内に秘めた情熱で、大いに注目されたのが清水勇磨さんでした。
清水さんに、バリトンという声に関するいくつかの質問を投げかけてみました。
ご自身の声の魅力、それを引き出す一番好きな役とその理由を教えてください。
清水 声の魅力を自分で申し上げるのも気恥ずかしいのですが、柔らかくも芯がある音色だと思います。
ボローニャ歌劇場の研修所時代、いろいろな歌手に声を聞いてもらいました。その日々の研修の中で、芸術監督に打診をされ、引き受けたのが《椿姫》のジェルモン役(注:ヒロイン・ヴィオレッタとその恋人である息子アルフレードの仲を裂く道徳感の強い父親)。結果的に、非常に私の声楽的な技術、音色の柔らかさを伸ばすことになったと感じています。好きな役ですし、大切なレパートリーですね。
自分とキャラクターがかぶる役、真逆の役は?
清水 《アンドレア・シェニエ》ジェラール役は、悪者になりきれない「良い心根」の奴、という感じで非常に同情できます。「祖国の敵」からマッダレーナへの激情的な愛を吐露しつつも、それを最後まで押し通すことをしないのが、彼の品格を保っているところだと思います。
ジョルダーノ:《アンドレア・シェニエ》〜ジェラールのアリア「祖国の敵」
清水 真逆という意味では、マイナーかもしれませんがヴェルディの《2人のフォスカリ》のフランチェスコ・フォスカリ役です。政治的な役職としての自分か、息子の父親として息子を助けるべきか。私なら、このオペラの筋とは違う方向を選びますが、大好きなオペラです。
バリトン歌手であることのメリットとデメリットはなんですか?
清水 デメリットというか、個人的にはテノールが大好きですね。クリス・メリット、ヨナス・カウフマン(ともに世界的なテノール歌手)に声を聴いていただいたときは、質問攻めにしてしまいました。歌ううえで、体の使いかたなど、ミリ単位のことをやってるんです。私がそれをすべて取り入れた訳ではないですが、大切な軸にはなっています。それを下敷きにしてバリトンを考えてみると、もう少しドラマトゥルギーとしても動じない役割だと思うんですよね。自分には性格的にも合っているなと思います。
バリトンという声種の魅力を一言で言うと?
清水 声の魅力としては、やはりノーブルなことですね。これは、テノール、バスも一緒だと思うのですが、力強いのは案外難しくないんです。ノーブルさは澄んだ空気とか、水と関連するものがあると考えますが、インスタント的にはできませんよね。そこを突き詰めて、何が見えてくるかが楽しみです。
東京二期会の《エドガール》、《パルジファル》はもちろんですが、海外研修のリサイタルを9月18日(日)東京文化会館小ホールで予定しておりますので、オペラ、リサイタルと別の空気感を、それぞれの会場で体感いただきたいです。
大西宇宙——セクシーさ、年を重ねるごとに増す深みが魅力
さて、一方では、自分に自信たっぷりで、テノールとソプラノの恋愛に水を差すのが大好きなバリトンの役もあります。典型的なのは《愛の妙薬》のいなせな軍曹ベルコーレ。彼は村一番の美女アディーナに出会った途端、もう彼女を口説いています。アディーナに真剣な愛を注いでいるネモリーノ(テノール)は、ベルコーレの目にはライバルとすら映っていません。
今月、新国立劇場で上演される《愛の妙薬》で、そんなベルコーレ役を歌うのは大西宇宙さん。2019年の夏、松本市で上演されたチャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》に主演して、これまた自己中心的なのに魅力たっぷりな青年貴族オネーギンを演じて圧倒的な印象を残し、アメリカと日本を往復して活躍する、今や超売れっ子のアーティストです。大西さんの得意役(あくまで役のお話です!)は、ずばり誘惑するバリトン。大西さんにも清水さんと同じ質問に答えていただきました。
ご自身の声の魅力、それを引き出す一番好きな役とその理由を教えてください。
大西 現在(《愛の妙薬》で)共演中のイタリア出身の指揮者デスピノーサ氏によると、私の強みはイタリア語のスタイリッシュさと声のクオリティの高さ、ということだそうです。自分では、明るさと暗さが交じり合う、深いながらもクリアな声質のサウンドを目指していて、それをもっとも体現してくれるのはベルカントのオペラだと思います。役でいうと……宣伝みたいでアレですが、今やっている《愛の妙薬》ベルコーレは改めて歌ってみて、ユーモラスな面と生真面目さが混じり合う、心から楽しい役だと思いました。
自分とキャラクターがかぶる役、真逆の役は?
大西 オペラの登場人物というのは大抵、普通じゃない人が多いので、かぶる役がいたら結構ヤバい気もしますが、感覚が近くて、共感ができるのは《セヴィリアの理髪師》のフィガロ(注:主人公の伯爵を持ち前の機知で助けるなんでも屋)でしょうか。
ロッシーニ:《セヴィリアの理髪師》〜フィガロのアリア「わたしは街のなんでも屋」
2021年2月14日「園田隆一郎のオペラを100倍楽しむ方法 Vol.12」(藤沢市みらい創造財団)より
真逆というと、ネモリーノ(*1)とか、アルフレード(*2)とか、レンスキー(*3)とか……あ、みんなテノールの役だ(笑)
*1ドニゼッティ《愛の妙薬》、*2ヴェルディ《椿姫》、*3チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》。彼らは、これらのオペラで真面目にヒロインを愛する男たち
バリトン歌手であることのメリットとデメリットはなんですか?
大西 居酒屋で声がよく通ることとか……? 冗談はさておき、バリトンは年齢を重ねれば重ねるほど、より深い味が出てくることでしょうか。実年齢を重ねると、より役の年齢に近づいていけるので。 デメリットは……んー……思いつきません!
バリトンという声種の魅力を一言で言うと?
大西 セクシーさ!
***
どうです? 同じ声の種類なのに、ここまで回答が違うのも、さまざまな役柄を歌うバリトンならではという気がします。耐え忍ぶ色気と、誘惑する色気。あなたはどちらのバリトンがお好みですか!?
日程: 2022年 2月7日(月)〜13日(日)
会場: 新国立劇場 オペラパレス
演出: チェーザレ・リエヴィ
出演:
ガエタノ・デスピノーサ(指揮)
アディーナ: 砂川涼子
ネモリーノ: 中井亮一
ベルコーレ: 大西宇宙(新国立劇場デビュー)
ドゥルカマーラ: 久保田真澄
ジャンネッタ: 九嶋香奈枝
合唱: 新国立劇場合唱団
管弦楽: 東京交響楽団
詳しくはこちらから
日時:2022年5月27日(金)19時開演
会場:トッパンホール
出演: 森谷真理(ソプラノ)×大西宇宙(バリトン)河原忠之(ピアノ)
曲目:《シチリア島の夕べの祈り》より/《仮面舞踏会》より/《シモン・ボッカネグラ》より/《椿姫》より/《トロヴァトーレ》より/《リゴレット》より
詳細は近日発表
エドガール: 福井敬(23日)/樋口達哉(24日)
グァルティエーロ: 北川辰彦(23日)/清水宏樹(24日)
フランク: 清水勇磨(23日)/杉浦隆大(24日)
フィデーリア: 髙橋絵理(23日)/大山亜紀子(24日)
ティグラーナ: 中島郁子(23日)/成田伊美(24日)
合唱: 二期会合唱団
管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団
《二期会創立70周年記念公演》フランス国立ラン歌劇場との共同制作公演
日程: 2022年7月13日(水)〜17日(日)
会場: 東京文化会館 大ホール
演出: 宮本亞門
出演:
指揮: セバスティアン・ヴァイグレ
合唱: 二期会合唱団
管弦楽: 読売日本交響楽団
詳しい情報・キャストはこちらから
清水さんはアムフォルタス役で14日、17日にご出演されます。
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