インタビュー
2021.05.16
6月6日(日)東京文化会館

魔法の響きはいかにして作られるか? 作曲家サーリアホ、能を原作としたオペラ《Only the Sound Remains -余韻-》を語る

神秘的な世界観と、優雅で劇的な響きによって、いまや世界屈指の人気作曲家となったカイヤ・サーリアホ。いよいよ、近年最大の注目作であるオペラ《Only the Sound Remains -余韻-》が東京文化会館で6月6日に日本初演される。
2つの能「経正」「羽衣」を原作とした2部構成によるこのオペラは、2016年3月にアムステルダムで世界初演されているが、今回の上演はヴェネツィア・ビエンナーレ他との国際共同制作による新プロダクションで、まったく新しいものとなる。
来日を控えて、フランス在住のサーリアホにリモート・インタビューをおこなった。

取材・文
林田直樹
取材・文
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

©Maarit Kytöharju

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イマジネーションからの出発

——最初に、私がどれほどサーリアホさんのファンであるかについて言わせてください。特に大きなきっかけだったのが、9年ほど前に、《シモーヌの受難》をサロネン指揮のCDで聴いて、大変なショックを受けたことです。「奴隷的でない労働の条件」について考え抜くために自ら工場労働に身を投じ、34歳という短い生涯のなかで、宗教と美について膨大な量の論考を残したフランスの女性思想家シモーヌ・ヴェイユ(1909-43)の内面に、あれほど痛切に迫ろうとした音楽作品はありませんでした。

その後も、日本でも何度か生演奏に触れる機会がありましたが、ずっとあなたの世界観に魅せられてきたのです。

サーリアホ ありがとうございます。

ソプラノ独唱、合唱、管弦楽と電子楽器のためのオラトリオ《シモーヌの受難》

——しばしば取り上げておられる、中世というテーマにも興味がありました。サーリアホさんの音楽に特有の神秘的な響きにも惹かれ続けてきました。まるで絵本の世界に吸い込まれるような、その魔法のような響きの秘密はどこにあるのでしょうか。

サーリアホ それはやはり、イマジネーションから出発していると思います。物心ついてから私は音を、音楽を想像することが、自分の中の作業の中で大きな要素を占めているのです。まず、想像したものを現実のものにすることが、私の仕事のステップなのだろうと思っています。

その仕事は何によって栄養を与えられているかというと、音響を分析したり、構築したり、自分の想像したものを具体化するために、数学的、科学的に分析することも大事になります。本能的なものを大事にしつつ、常に新しい知識を入れていくことも必要です。

ときには響きを色に例えてみて、この響きはどういう色にあたるのかということも考えてみながら仕事をすることもあります。想像力をできるだけ豊かにすること。まずはそれが第一歩です。

——昔の作曲家は、たとえばベートーヴェンは森の中を散歩して、自然から多くのインスピレーションを得ていました。シベリウスもそうだったでしょうし、多くの作曲家たちが世界の音を、自然界の音を、生かすという作曲をしてきました。サーリアホさんの場合も、森や湖や、あるいは都会の音でもいいのですが、この世の中にある音を聴きとって加工するという考え方でいいのでしょうか?

サーリアホ そうですね。自然の音を私が自分の作品に多く用いているということは、あなたならよくご存じかと思います。おそらくすべての音楽家がそういう使い方をしているような「源」を、私もさまざまなところから持ってきています。

私は自然が大好きですが、特に光とか、空の色を好んで素材として使います。エレクトロニクスの部分だけでなく、鳥の声や風の音や雨の音といったものを組み合わせて、オーケストラに演奏してもらうのです。

——自然の風景を、ありのままに写し取るのか、フィルターをかけるのかという問題がありますね。ベートーヴェンが田園交響曲を書いたときには、人間性とか神といったフィルターを通して自然を見ようとしたでしょうし、ドビュッシーはもっとありのままを見ようとしただろうと思います。サーリアホさんはどちらの道をとっているのですか? あるいは第三の道ですか?

サーリアホ 自然の風景はもちろん好きですが、それを描写するという形で作曲しているとは言えないと思います。もちろん自然からインスパイアされるけれど、それを作品に移し替えるときには、必ず作曲をしている自分がいて、自分の音楽をクリエイトしているということになります。インスパイアされるがままにそれを映し出しているという感覚ではありません。

自分の作曲をするときに、既存のさまざまな音楽の要素を学問的に用いたりしながら……ただしあくまでも作品を作っているのは自分自身なのです。

ただ、そうは言いながらも自然の風景はやはり素晴らしいと思うのですが、具体的な例を挙げるとすると、一番新鮮に思えたのは日本庭園を初めて見たときですね。

桂離宮を見たときに、完成された一つの世界の中で、時の流れがどれほど細やかに作りこまれているか、何か一つを見ると次に目に入ってくるもの、その次に目を移すと光が変わってきて……というのが、自然そのままのようにですが、綿密に作りこまれている。

これが、たとえば同じように自然であっても、私の故郷のフィンランドの自然はワイルドなので、そこに包み込まれると一体化してしまって他のものは何もなくなってしまう。それに比べると、日本の庭園は人間の手が入っているところが面白いと思うのです。

打楽器と電子楽器のための「6つの日本庭園」
1993年夏、サーリアホが京都の日本庭園を訪れて作曲した作品

——コンピューターを使う、そして音の分析をするということが、サーリアホさんが新しい響きを作る上で大切なのだと思いますが、その音楽を聴いていると、いままで聴こえなかった世界が見えてくるような感覚に襲われるのです。なぜ分析をし、コンピューターを使うのでしょうか?

サーリアホ 作品ごとに仕事の内容が毎回変わり、違う試みにあたることになるので、分析するといっても、いつも同じようなやり方で分析をしているわけではありません。あるときは、ある楽器のシンプルな音を分析するだけだったりしますし、異なる楽器を取り上げて、どういう響きになっているのかを分析することもあります。

その結果として、音の響きを組み合わせたり、倍音がどうなっているかとか、さまざまなパラメーター(変数)がどう関連付け合って響くのか、その「関係性」を結果として手に入れることができるのです。強いものと弱いものを組み合わせたら、不思議な効果がこのとき1回限り生まれるというようなことですね。アナリーゼはするのですが、データをそのまま使うということは一度としてしません。

「私」自身の物語をつむぐオペラの音楽

——オペラの話に移りたいと思います。歌があって器楽があって物語がありさえすればオペラというわけではないですよね。サーリアホさんは、オペラをオペラたらしめる条件とはどのようなものだとお考えですか。

サーリアホ (微笑して)そうですね。ドラマトゥルギーが大事なのです。それに加えて、オペラでは登場人物が展開し変化を遂げていく。その人物たち同士のコミュニケーションがあり、そのコミュニケーションは物語とのコミュニケーションであり、人々とのコミュニケーションでもある。大切なのは人間としての経験がその中に盛り込まれているかどうかです。

音楽とは特殊な芸術だと私は思います。香りのように瞬間的に染み込んでくる。人に直接的に触れて、人生を動かすことも可能なのです。そして人がどう変化するかということですが、ドラマトゥルギーが「私」自身の人生とかかわっているかどうか。「私」自身の物語として成立しうるかどうか。そこがコンサートの音楽と、オペラの音楽との大きな違いだと思います。

——今回のオペラは能が原作となっていますが、1つではなく、2つの能を組み合わせた理由は?

サーリアホ 私自身、能の何に興味をもったかというと、いずれの作品においても出発点は現実世界の人間であり、それが別の世界の存在と出会うということです。どちらの能もその基本は同じですが、今回の2つの作品についてはコントラストが効いています。『経正』については暗くておどろおどろしい面が強いのですが、『羽衣』は光に満ちていて、おとぎ話的なものです。

私は日本人としてではなく、外からのまなざしとして、この物語を知りました。テキスト自体は詩的な解釈をした、短くまとめられたものです。2つの物語を使うことによって2回同じようなストーリーを体験するのですが、まったく違う色彩があるので、違う味わい方をしながら生きることができる。そういう面白さが、2つの能を用いることでできるのではないかと考えました。

普通であれば、当たり前の人間が生きていて、風変わりな無限の存在に出会って、そこから何か神秘的な体験をしていく物語なのですが、角度を変えて、色を変えて、2回体験できる。

月岡芳年の浮世絵「月百姿」から「竹生島月 経正」=東京都立中央図書館特別文庫室所蔵

合戦で命を落とした平経正は、愛器「青山」の音色に誘われ亡霊となって現れるほど、琵琶を愛してやまなかった
歌川広重の浮世絵「六十余州名所図会 駿河 三保のまつ原」

天女の羽衣伝説の舞台である三保松原は、ユネスコ世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録され、今もなお芸術家たちの創作意欲をかきたてる
《Only the Sound Remains -余韻-》あらすじ

第1部 Always Strong(原作:能「経正」)
一の谷の合戦で命を落とした琵琶の名手・平経正を弔うため、仁和寺の僧都・行慶は、経正の愛器「青山」を手向け、管弦講を催す。すると、夜更けに経正の亡霊が現れ、青山を奏でて昔を懐かしむ。しかし、戦での憤りの心から、修羅の道に落ちた姿に変化すると、それを恥ずかしく思った経正は、自ら燈火を消し、姿を消す。

第2部 Feather Mantle(原作:能「羽衣」)
三保の松原に住む漁師・白龍は、松の枝にかかった美しい布を見つける。家宝にするため持ち帰ろうとすると、天女が現れ、「羽衣がないと天に帰ることができない」と悲しむ。白龍が天女の舞を見せてもらうことを条件に羽衣を返すと、天女は舞を舞い、地上に宝を降らせ、富士の峰へと昇っていく。

——こちら側の世界の人物と、向こう側の世界の人物との交流は、能の一つの型としてありますね。サーリアホさんのこれまでの作品でも、オペラ《遥かなる愛》のように、遠くの人と気持ちを通わせようとするという物語がありましたが、それらは共通した要素であるように感じられます。

サーリアホ 日本の芸能文化へのリスペクトが私にはとてもあって、たくさんの劇作品を体験してきました。

西側の人間として感じるのは、時に対する概念が斬新でまったく違いますし、空間についてもインスパイアされました。神秘的なもの、古い物語は普遍的であると同時に、こんなにも新しく見えるのかと思います。ナイーブな新しくみずみずしいものに見えるし、同時に豊かなものでもあり得る。さまざまな解釈が成り立ちます。

日本の伝統文化をそのままやりたいとは思いもよりませんが、でも、とても興味を持ちますし、インスパイアされました。

——「ただ音のみが残る」というタイトルは非常に興味深いです。演劇でも文学でも、すぐれた作品は必ず音を大事にしていると思うからです。このタイトルを付けた理由をお教えください。

サーリアホ 不思議なタイトルですね。実際には『経正』の台本からとったのですが、超越的な存在が登場して、最後には消えて、音だけが残る。そういう抽象的なタイトルにしたかったのです。しかも2つの作品ですから、観終わったあとに、お客様に何かを思い起こしてもらうための手がかりを仕込むようなものにもしたかった。同時にオープンなものにしたいと思いました。

たとえば、私たちはこの世界でさまざまなものに取り囲まれている。その囲まれたものの本質……最後に残るものは何かというと、風であったり海であったり、そういうものの気配であったりする、そういう感覚に近いですね。

すべてを思い起こさせるということで言いますと、たとえば2つの作品、どちらも経正が立ち去って音しか残らなかったというのと同じで、羽衣は海の物語で、最後は風だけが吹いている。そういう、どこかへ連れて行ってくれる存在が、最後にかき消えて、音だけが残る。そういう一つの詩的なものにしたかったのです。

取材を終えて

当初はメール・インタビュー用に質問状を用意したのだが、それを本人に届けると「直接リモートで取材に答えたい」との返事で、急遽実現した取材だった。寡黙な方だと聞いていたので、たくさん話していただけるか一抹の不安があったが、こちらの質問に対して、時折微笑しながら、徐々に多くを語ってくださった。

サーリアホが最初に大学で学んだのはヴィジュアル・アートである。幼少時から音楽に親しんでいたとはいえ、本格的に作曲を学び始めたのは少し後になってからだという。「空の色を好んで素材とすることもある」という発言は、そんな彼女ならではのものだろう。

サーリアホが描く世界観は、常にはっきりとしている。たとえば、オペラ《遥かなる愛》(2000年)は、中世の伝説と吟遊詩人と、愛の神秘と奇跡。《シモーヌの受難》(2009年)はフランスの女性思想家シモーヌ・ヴェイユの孤独な内面の旅と魂の葛藤。「クラリネット協奏曲」(2010年)は、『貴婦人と一角獣』の絵からもたらされる謎めいた感覚と意味の奥義についての体験……。そこに共通するのは、「いま住んでいる世界の外からやってくるものの偉大さ」についての音楽ではないか、ということである。
6月6日に東京文化会館で新制作上演されるオペラ《Only the Sound Remains -余韻-》も、そうしたものの一つとして、得難い体験となるに違いない。

林田直樹

カイヤ・サーリアホ
1952年ヘルシンキ生まれ。視覚的なイメージを喚起する優美で神秘的な作風により、世界で最も注目される作曲家の一人。IRCAM(フランス国立音響研究所)でコンピューターを用いた音響分析やライブ・エレクトロニクスの技術を学んだ。オペラ《遥かなる愛》はザルツブルク音楽祭で初演されたのち、メトロポリタン・オペラでも上演され、METライブビューイングでも上映された。2021年7月にはエクサン・プロヴァンス音楽祭で新作オペラ《イノセンス》が世界初演される予定。1990年に武満徹からの招待により初来日して以来、日本との縁は深い。
©Maarit Kytöharju
公演情報
東京文化会館 舞台芸術創造事業<国際共同制作>
オペラ『Only the Sound Remains -余韻-』
(日本初演/原語(英語)上演・日本語字幕付)

日時: 2021年6月6日(日)15:00開演
会場: 東京文化会館 大ホール

 

作曲: カイヤ・サーリアホ
原作: 第1部 能「経正」/第2部 能「羽衣」
台本: エズラ・パウンド、アーネスト・フェノロサ

 

指揮: クレマン・マオ・タカス
演出・美術・衣装・映像: アレクシ・バリエール
振付: 森山開次

美術・照明・衣裳:エティエンヌ・エクスブライア

音響:クリストフ・レブレトン

出演:

第1部 Always Strong
経正: ミハウ・スワヴェツキ(カウンターテナー)
行慶: ブライアン・マリー(バス・バリトン)
ダンス: 森山開次

第2部 Feather Mantle
天女: ミハウ・スワヴェツキ
白龍: ブライアン・マリー
ダンス: 森山開次

管弦楽:東京文化会館チェンバーオーケストラ

コーラス:新国立劇場合唱団

詳しくはこちら
https://www.t-bunka.jp/stage/9159/

ワークショップ「カイヤ・サーリアホが描く音風景」

日時: 2021年6月1日(火)18:30開演

会場: 東京文化会館 小ホール

 

第1部 サーリアホ作品を熟知した奏者によるフルートとカンテレ(フィンランドの伝統楽器)のコンサート

出演:

カミラ・ホイテンガ(フルート)

エイヤ・カンカーンランタ(カンテレ)

プログラム:

サーリアホ:ドルチェ・トルメント(ピッコロソロ)

サーリアホ:ライト・スティル・アンド・ムービング(フルート、カンテレ)他

 

第2部 オペラ「Only the Sound Remains」についての解説

出演:

カイヤ・サーリアホ(作曲家)

クレマン・マオ・タカス(指揮者)

アレクシ・バリエール(演出家)

カミラ・ホイテンガ(フルート)

司会進行:柴辻純子

 

詳しくはこちら

https://www.t-bunka.jp/stage/10256/

取材・文
林田直樹
取材・文
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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