文筆家かげはら史帆——ひとりの人生を本に書くことは、愛情であり暴力でもある
クラシック音楽ファシリテーターの飯田有抄さんが、クラシック音楽の世界で働く仕事人にインタビューし、その根底にある思いやこだわりを探る連載。
今回はベートーヴェンにまつわるミステリーや、弟子にフォーカスした本が話題の作家で、ONTOMOナビゲーターでもある、かげはら史帆さん。歴史上の人物を、今描く覚悟とは?
難聴のベートーヴェンが、コミュニケーションツールとして使った「会話帳」。記された内容は、大作曲家を知る貴重な情報として扱われ、そこから数々の逸話が語り継がれてきたが、実は後年、第三者による改竄の手が加えられていたことがわかった……。話題の歴史ミステリー『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』の著者、かげはら史帆さんが今回の仕事人。
昨年には第2作『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』を出版し、これまでほとんど知られてこなかったベートーヴェンの弟子に光を当て、世界初の本格的な評伝にまとめた。音楽にまつわる歴史を小説風に描くこと、評伝を書くことの魅力について、かげはらさんに語ってもらった。
“音楽家キャラ萌え”のオタクでした
——「かげはら史帆」さんというお名前はペンネームとのことですね。
かげはら 普段は音楽関連事業のお仕事をしているので、そちらとは、はっきり分けたくてペンネームを使っています。昔は同人誌の活動っぽいこともしていたので、歴代の恥ずかしいペンネームを思い出しつつ(笑)、昔のSNSのハンドルネームなども入っています。
——最初に小説を書いたのはいつ頃ですか?
かげはら ちょっとしたお話を書くのは、子どもの頃から好きでしたね。小説らしく書いたのは、高校で文芸部に入ったときが最初。文芸部はオタク部で、みんなで漫画を読んでました。部活の時間はだべって、お菓子食べてるみたいな。1年に1回、文化祭には薄い本を1冊つくる。
私も漫画を借りて読んでましたが、映画『アマデウス』にハマり、江戸川乱歩賞を受賞した森雅裕さんの小説『モーツァルトは子守唄を歌わない』に出会ってからは、決定的にベートーヴェンとその周辺にハマりました。それからはそっち方面のオタクに(笑)。
友だちが、漫画やアニメのキャラクターが好きで“キャラ萌え”していたように、私は“音楽家萌え”してました。なので、その頃自分で書いた小説も、モーツァルトの時代に設定した記憶があります。
——大学は日本文学科へ進まれましたが、やはり小説家を目指していたのでしょうか。
かげはら 進路を考えるときは、音楽大学で音楽学を学ぶという選択肢も、あるにはあったのですが、自分としては総合大学に行きたかったので、小説を書くゼミのある法政大学に入りました。やっぱり物語が書きたかったのかな。
文芸コースのゼミの先生が本当に恐かった! 文芸評論家の方だったんですが、「ゼミは道場だ!」という考え方。毎回、ひとりの学生の作品をみんなでボコボコにするっていう。私もボコボコにされました(苦笑)。なので、その頃に耐性はつきましたね。冷静に受け止めて、傷つかない、みたいな。
修士論文をベースにしたノンフィクション
——その後、一橋大学大学院の言語社会研究科へ進まれましたね。
かげはら 文化関係なら何でもあり、という大学院で、美術や音楽のゼミもありました。そこにモーツァルト研究の先生がいらしたので、ご指導のもと修士論文を書きました。2007年です。修論のテーマは「会話帳の研究」。実は『ベートーヴェン捏造』のもとになっています。
——『かたられるベートーヴェン~会話帳から辿る偉人伝の造形』!!
かげはら 今読み直すと、「そこはちょっと違うぞ」ってことも(苦笑)。会話帳は、すでに編纂された全集が出ていたので、そちらを参照しました。走り書きの一次資料は、なかなか読みこなせるものではないので……。つい最近、ネット上で全文が見られるようになりました。ベルリンの図書館が公開しています。
——論文を土台にして一般書にする、というのは、まったく違う性質のテキストへと変換させる作業だと思います。『ベートーヴェン捏造』は、ミステリータッチで、現代語もユーモラスに織り交ぜていますから、読む人はエンターテイメント的にスラスラと楽しく読めてしまいます。論文のスタイルとはかけ離れていますよね。
かげはら そうですね。内容的には後半部分、つまりベートーヴェンの死後のところは、論文をベースにしつつ、ライトにした感じ。
——さらりとおっしゃいますが、大変な技術が必要です。かげはらさんにはもともと、「物語を書く」という軸足があったからこそですね。小説風に仕上げていくファンタジー力と、学術的情報を扱う力のバランス感覚が絶妙です。
かげはら 自分の中では自然ではあったけれど、しっかりと道標を立ててくださったのは、編集者さんです。お話をして、方向性を決めてから書き始められたのは大きかった。目指したのは、クラシック音楽の棚じゃないところにも置かれる本、ノンフィクションの棚にも置かれる本。そんな前提はありました。
論文は、あくまで会話帳が主人公です。それがどう改竄され、ベートーヴェン像の形成にどうつながったかを明らかにしようとしたもの。一方の『ベートーヴェン捏造』では、主人公は会話帳ではなく改竄した人物です。一本の映画のような作りで、シンドラーという人物の生涯を追った人間ドラマにしよう、と。
会話帳というテーマにはとにかく惹かれていたから修士論文を書いたけれども、それで自分の中で終わった感じはしなかった。おそらく、物語を書くという、もう一つの軸足でもやりたいという感覚が、きっと自分の中にあったんだと思います。
——キャラ萌えの青春時代の血がうずいたのかもしれないですね!
かげはら あ、そうですね。とはいえ、修論を出してから本を出すまでは10年ほどブランクがありました。就職をして、普通に社会人生活を送っていた時間。ちょっと小説を書いたりはしていたけど、表に出すほどの活動はせず。会社の仕事で欲望を消化できていたんでしょうね。
——書き始めてからはどのくらい時間をかけましたか?
かげはら 実際に書き始めたのは2017年秋。翌年の5月には最後まで一通りいきましたね。
初の本格的な評伝として、ベートーヴェンの弟子リースを描く
——昨年出版のフェルディナント・リースの本の著者らしく、なんと今日はリースTシャツ!
かげはら あ……よく気づいてくれました(笑)。
——リースは昔からベートーヴェン周辺のキャラとして推しメンだったのでしょうか。
かげはら ベートーヴェンの弟子としては、チェルニーのほうがずっと好きでした。リースの存在はもちろん知っていましたが、それほどでもなく。でも、2013年頃からリースの書簡集を毎日毎日読んでたら、ちょっと好きになっちゃった……♡
——あ、今の言い方、完全に恋する女子の言い方でした♡(笑)。とても分厚い本ですね。しかもドイツ語。
かげはら 暗号を解くように、少しずつ……ばっと開いたページを読んでいったんです。基本はリースが誰かに宛てた手紙で、たまに返信も掲載されています。読んでいるうちに、それまで知らなかった、海で私掠船にさらわれたお話とかが出てきて、「え!?」っていうようなエピソードがすごいんです。
——リースの伝記って、これまできちんとまとめられたものは存在しなかったんですよね。
かげはら 一般書ではなかったけれど、でも学術論文は最近すごい勢いで増えているんです。特にアメリカの研究者に多いですね。作品ジャンルの研究などがここ10年くらいで活発化していて、ブームになっているような感じです。
——今回も歴史的な題材を扱う上で、アカデミックな資料にあたりながら、評伝という形にまとめられたのがさすが、というポイントです。
かげはら リース協会のウェブサイトの情報や、新聞記事(当時のドイツ語圏)などは探して読み、同時代の他の人の書簡や、ベートーヴェン関連の資料は一通り見ました。
入手を諦めざるをえなかった資料もいっぱいありました。手に入る資料だけで書いてしまうことに、ためらいはありますし、現地に足を運ぶとか、そういう緻密な調査をしなければ評伝など書いてはいけないというスタンスの方もいると思います。でも、2020年はベートーヴェンの記念イヤーだから、出すなら今しかない、という勢いでしたね。
評伝を書くことへの罪悪感
——『捏造』はエンタメとして読みやすいテイストでしたが、リース本は、より手堅い雰囲気の評伝になっていますね。でも、かげはらさんの文章ですから、リースの吸った海風が感じられたり、映像が見えるようです。論文とはやはり異なりますね。やはりファンタジー力があるというか。
かげはら そこには、すごく罪深さを感じます…….。
——え?
かげはら わたしは自分をアマチュアだと思っているんです。アマチュアリズムの書き方だと。そのことへの罪悪感は大変強いです。音楽学的な見地では、作品の背景や作家の人物像と、作品分析とをむやみに結びつけてはならない、みたいな風潮があると思います。でも、ある主のロマン主義的な結びつけも、作品・作曲家を受容する営みのなかでは、誰かがやらなければいけないんですよ。たぶん。
歴史という分野を扱いながら、どこか偏った歴史主義に加担しているんじゃないかという葛藤は常にあります。自分のやっていることは、ある意味シンドラーのポジションと変わらないんです。でも、誰かがやらなければいけないと思っている。
——その葛藤とお考え、実は私もよくわかります。『ブルクミュラー25の不思議~なぜこんなにも愛させるのか』を書いたときに、実証可能な情報から、どこかロマン的な飛躍を思い切って行なわなければならない瞬間って、人物伝のような文章を書いていると、あるんですよね。パンドラの箱を開けてしまったような、ヤバい情報に出くわすこともありますし。
——ベートーヴェンの会話帳に手を加えたシンドラーは、改竄がわかってからは「悪者」扱いされているけれど、かげはらさんは決してそこを糾弾したいわけではない、というのも前作から伝わります。
かげはら はい。シンドラーの気持ちも、とてもよくわかるんです。今回のリースの伝記で、彼自身がロンドンフィルハーモニック協会から辞任したことと、『シラーの詩“あきらめ”による幻想曲』とを結びつけて論じるというのは、リース研究が進んだ暁には、「ぷっ」てことになるんだと思うんですよ(苦笑)。でも……思いついちゃったからには、言わなければならない。誰かがそういう、ばかげたことを言わなければならない。
——そうして受容史も形成されていくんですよ。罪深さを感じながらも、そう思ってしまったからには言わなければならない。しかしそれと同時に、書いたことがゆくゆく覆されることも、どこかで望んでいませんか? つまり、もっと研究が盛んになって、真実が明らかになっていくことを。
かげはら はい。あとがきに書きました。この本は「叩き台のような存在である」と。
——今後リース研究がなされるうえでは必ず参照される、第一冊目の評伝です。世に送り出すことは勇気のいることだと思いますし、とても尊いお仕事です。
かげはら 罪深いシンドラーと同じです。でも、ひとりの人生を一冊の本に書くというのは、やはり格別なことで、それは愛情でもあり暴力でもある。そう感じます。
——次回作も期待していいですか?
かげはら はい。3作目の連載が始まります。時代は100年くらい飛び、近現代が舞台です。今度はあまり学術的な雰囲気ではなく、ライトな感じです。
——時間を行き来ができるのがすごい(笑)。その情熱はどこから?
かげはら “推し”、ですかね(笑)。今でいう「ガチ恋」と呼ばれるアイドルファンのような。私は、“推し”に狂っちゃった人への興味が強いですね。“推し”に狂うとすごくエネルギーが出るんですよ。
——人を狂わせるほどの、人への思い。原動力はそこですか。
かげはら 私自身は、現実の人間に狂うのはわりと怖いんです……でも歴史上の人物なら大丈夫。絶対に会えないという安心感がありますから(笑)。
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