フリー・ジャズの旗手、山下洋輔に訊く〈後編〉

「ちょっとした面白がり方」でできていく――山下洋輔流の音楽技法

インタビュー
2018.06.24

日本のフリージャズを50年以上に渡って牽引してきたジャズ・ピアニスト、山下洋輔さん。前編では主に学生時代のエピソードを伺いましたが、後編では、40代で再びクラシックと相見えた頃のお話を中心にお話を聞かせていただきました。前編も併せてどうぞ。

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お話を伺った人
山下洋輔 ジャズピアニスト
山下洋輔
お話を伺った人
山下洋輔 ジャズピアニスト
1969年、山下洋輔トリオを結成、フリー・フォームのエネルギッシュな演奏でジャズ界に大きな衝撃を与える。国内外のジャズ・アーティストとはもとより、和太鼓やシンフォニー...
インタビュワー
小室敬幸 作曲/音楽学
小室敬幸
インタビュワー
小室敬幸 作曲/音楽学
東京音楽大学の作曲専攻を卒業後、同大学院の音楽学研究領域を修了(研究テーマは、マイルス・デイヴィス)。これまでに作曲を池辺晋一郎氏などに師事している。現在は、和洋女子...

カデンツァは正真正銘の即興でやった《ラプソディ・イン・ブルー》

――1983年の年末に「山下洋輔トリオ」を解散されてから、活動範囲が徐々に広がっていきましたよね。公式サイトのバイオグラフィを拝見すると、オーケストラと最初に共演されたのは1984年の大阪フィルハーモニー交響楽団とのことですが……

それ以前にも、テレビ番組でオーケストラと共演したことがあります。(ベートーヴェンの)《運命》に乱入するというのがあって「ジャジャジャジャーン!」ってオーケストラが弾いた途端に僕が出てきて、ピアノで「ギャロギャロギャロ」とやった。これはみんな怒りますよね(笑)。

普通、オーケストラとの演奏が終わったら、儀式的に指揮者とコンサートマスターと握手するんですが、このときは、コンサートマスターにそれを拒否されてしまいました。「そっぽを向かれてしまった」というテロップまで出た(笑)。

ま、大恥ですが、《ピアノ協奏曲第1番》を編曲してもらった栗山和樹さんとの雑談で、「実は僕、若いときにあれ観てました」って言うんですよ。そして「あのとき、カッコいいなあと思ったのは、山下さんのほうでした」って言ってくたんです。これで長年の胸のつかえがとれました(笑)。

――この演奏会では、他にどんなことをされたんでしょう?

筒井康隆さんのアイディアによる《忠臣蔵》をやりました。とても上手くいったので、「今度はちゃんと弾いてもらえ」ってことになったんでしょう。1986年、《ラプソディー・イン・ブルー》をやらないかと大阪フィルから言われたんです。

これは青天の霹靂でしたね。《ラプソディー・イン・ブルー》ならジャズっぽいし、できるんじゃないかということになって話がきたのでしょうが、あれは全部楽譜に書かれていますからね。カデンツァの部分も全部、ガーシュウィンが弾いたとおりに書いてある。楽譜を見て「こりゃ、駄目だな」と思って、諦めようと。

でもこんなチャンスは二度とないと欲が出まして(笑)、自分流のやり方を考えました。カデンツアは全部自分の即興でやるなどわがまま放題のやり方でよければとお願いしたら、それでいいからやれってことになったんです。

――まさかそのアイディアが通るとは思っていなかったわけですね(笑)。

断ってくれればいいなとも思ったんですが(笑)。ところが、指揮の石丸寛先生との打ち合わせで、「ここは僕だけにしてください」とか、「こう弾きますから入ってください」とか。そしたら「いいよ、いいよ」と、とてもニコニコされているので安心しました。でも本番前に石丸先生が急病になられて、リハから急遽来てくださったのが松尾葉子先生でした。でも指揮者の方ってみんな凄いですね。ぼくのやり方を理解して、何の臆することもなく、「行くぞ!」っていう感じで本番を乗り切りました。現場では歓声も飛ぶなど、良かったのですが、肘うちなどもやっちゃったので(笑)ぼくはもうこれ一回だけだと思っていたんです。ところが何か「面白いやつがいる」という話がオーケストラ界に伝わったらしくって、それで続けてできるようになりました。ま、「色もの」扱いである事は自覚しています(笑)。

「最後に立ち上がって喝采を受ける快感を、自分の曲でやれたら」

――東京オペラシティ財団からの話があり、いよいよ2000年に《ピアノ協奏曲第1番「エンカウンター」》が初演されることになります。

ラプソディー・イン・ブルーを何度もやっているうちに、あれだけの人数と一緒にやって、最後に立ち上がって喝采を受けるというあの快感――実に俗でございますが(笑)――を、自分の曲でやれたら、どんなに良いだろうと。映画「カンゾー先生」の音楽をやったあとだったので少しそういう頭になっていたのかもしれませんね。

その頃にオペラシティから、タケミツメモリアル(東京オペラシティコンサートホール)で何かやってほしいというお話が来て、そのときに「ビビビ」ときた(笑)。あそこは東京フィルの本拠地だと勝手に思い込みまして、「そんなら東フィルを貸してください。私がピアノコンチェルトを書きます」って言っちゃったんですよ。よっぽど精神状態が凄かったんだね(笑)。

そうしたら受けられちゃって、そこからが大変でした。オーケストレーションをお願いした栗山和樹さんと合宿を3回ぐらいやりました。1年がかりでしたね。本番前に指揮の佐渡裕さんが急病になられて指揮者が代わるということがありましたが、なんとかやりきりました。佐渡さんは後に何度かその曲を振ってくださいました。

――合宿までされたんですね!? やはり作曲にはご苦労も多かったんでしょうか。

以前にやった事のある弦楽四重奏との共演ならジャズのコンボの捉え方でできるので自分で書けるのですが、オーケストレーションの響かせ方というのは、これまた全然別の技術があります。自分では無理だとわかっていましたので、栗山さんに頼みました。

ヒントになったのは《ラプソディー・イン・ブルー》で、ガーシュウィンが作曲し、オーケストレーションをグローフェがやっているんですよね。あれがあったので、栗山さんに最初にお願いする時に「僕、ガーシュウィン。君、グローフェ」などといって、引き受けていただきました。

オペラシティのシリーズはそれからも毎年続くのですが、なかでも、自分で傑作だと思っているのが(2009年に初演した)交響詩《ダンシング・ヴァニティ》です。筒井さんの作品を音楽化しようと思いまして、なぜかというと筒井さんが音楽を真似して書いているんですよ。小説にリピートを多用したりと、そういった実験をされたんです。それなら、これを音楽でやってやろうじゃないかっていうので、これはジャズ作曲家の挾間美帆との共作です。

スペシャル・ビッグバンドによる《脱臼したボレロ》

――こうした作品の延長線上に、今年2018年もコンサートが予定されているスペシャル・ビッグバンドの活動(2006年から隔年で開催)もあるのかなと思うのですが、それまでやられてきた「PANJAスイング・オーケストラ」とは、どう違うのでしょう?

スペシャル・ビッグバンドはぼくひとりの頭ではなくて、編曲をしてもらうトロンボーンの松本治さんと常に話し合って、ああしようこうしようという共同作業ですね。次はクラシックを取り上げて無茶苦茶にしたい(笑)なんていうのもその中から生まれた。メンバーの招集が2年に1度なので、彼が2年がかりで仕上げてくれるというパターンです。

もちろんPANJAのときにも譜面はあったんですが必要最小限でした(笑)。「このあとは大体即興」とか、そういうのが多かったんですね。それはそれでとても面白かったんですが、それを経たうえでもう少し違った面白さがあるはずだと思ったんです。今回のスペシャルビッグバンドは、ホーンセクションのメンバーは全部松本さんが揃えてくれました。

――これまでスペシャル・ビッグバンドでは《展覧会の絵》《ボレロ》《新世界より》など、色々やられていますけれど、山下さんにとって特に思い入れのあるレパートリーはありますか?

どれも、これもですね。このバンドに関してはハラハラしながら聴いているんです(笑)。今度また再演することとなった《ボレロ》は、わざとボレロのテーマとも言えるあのリズムを最初から出さないで、ぐちゃぐちゃ始まります。一体なんだろうと思わせて、最後はあのリズムで決めるというやり方です。初演を聴いた筒井康隆さんが「脱臼したボレロ」と言ってくださったので、それをずっと自慢にしています(笑)。

ボレロは僕のソロピアノのレパートリーだったんですが、ビッグバンド版を是非やりたかった。松本さんはラヴェルのオリジナルから僕のやったものまですべて知っていますから、それではないものを模索したんだと思います。それには脱臼するしかないと(笑)。

ビッグバンドも少人数も、どのジャンルでもそうなんですが、まず演る者同士お互いに面白いと思い、尊敬しあい、ニッコリできる。これが源なんですよ! だから《展覧会の絵》で最初のトランペットのあのフレーズを「エリックが吹くのかよ~!」って、それだけでみんなニコニコしちゃうんですね。

――2年に1度のお楽しみというのは、お客さんにとってだけでなく、出演者側にとってもなんですね!

そうなんですよ! まずはそれがあって、お客さんに伝わるんだと思います。

――そして、今回は《組曲 山下洋輔トリオ》と題して、山下さん初期の代表楽曲〈グガン〉〈クレイ〉などが松本さんのアレンジで新しく蘇るそうですね。

忘れられない曲ばかりで、あれらの曲を携えてヨーロッパへ乗り込んだという思い出もありますし。まさか僕自身もビッグバンドでやるとは思っていなかった(笑)。

――〈グガン〉は、これまでにも大人数の管楽器奏者たちと演奏をなされていますが、それともまったく違うものになるということでしょうか。

まったく違います、いきなりフルートで出ますから(笑)。それがピアノと呼応しながら全員に広がって、勿論ピアノのフリーソロもある、最高のフィナーレになっています。この組曲は〈クレイ〉で始まって〈グガン〉で終わるんですが、ほかにも、〈ロイハニ〉、〈ミナのセカンドテーマ〉、〈キアズマ〉、〈寿限無〉も入ります。

――もうひとつ、今回の目玉としてはデューク・エリントンの《極東組曲》をやられますね。

この《極東組曲》というのはとてもレアなものでして、周りに聞いても、聴いたことのある人はいませんでした。アジアで感じたものを、そのまんまエリントンの感性のなかで作っている。さすがに日本は琴の音をピアノで弾いたり、案外当たり前のことをしちゃっているので、今回はやりませんが。

中東を含む地域に影響された音楽は、今までのエリントンにない不思議なハーモニーやスイング感があるんですよ。エリントン自身もそうだし、メンバーたちも極東を初めて訪れて受けた刺激があって、力強い上に、どこかフリージャズに近いようなアドリブをやっている。でも、ちゃんと全体がエリントンになっている。とっても興味深いアルバムでした。これをおれたちでやれば、もっと変になるだろうというので(笑)、今回取り上げることにしたんです。

――そして今年はスペシャル・ビッグバンドのほかにも、山下さんにとって重要なコンボであるニューヨーク・トリオが結成30周年を迎えられます。6月13日に記念アルバム『30光年の浮遊』が発売されました。

10周年の時に《10拍の曲(テンス・テーマ)》、20周年の時に《20拍の曲(トゥエンティス・テーマ)》を入れているので、その伝統は外すまいと《30拍の曲(サーティース・テーマ)》をやっています。30拍をどうしようかと色々考えましたが、聴いてくれればわかります(笑)。

他には、言葉をアルファベットや数字に変えて、ただそれを楽譜に書いた《チェーン・リアクション》という曲もあります。どの音を長く弾くのか短くするのか、全部それがお互いのチェーン・リアクション(連鎖反応)になっています。

そういう面白がり方で全部で8曲あります。日本の童謡も1曲やりました。それらをふたりともニコニコして受け取ってくるんですよ(笑)。

――まだまだ面白い試みが山下さんの頭のなかには溢れているようで(笑)。ご活躍が今後ますます楽しみです。本日はありがとうございました!

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