「白鳥の湖」〜着想は「羽衣伝説」から? 人間の二面性をテーマにしたバレエ音楽の代名詞
飯尾洋一さんが毎回一作のおとぎ話/童話を取り上げて、それに書かれた音楽作品を紹介する連載。第8回はバレエの代名詞とも言える名作「白鳥の湖」 。実は原作がはっきりしない本作品、遡ると「羽衣伝説」に辿り着く?
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
バレエ音楽の代名詞《白鳥の湖》のストーリーをおさらい
バレエと言われて、多くの人がまっさきに思い浮かべるのが《白鳥の湖》だ。ベートーヴェンの《運命》が交響曲の代名詞的な存在であるのと同様に、チャイコフスキーの《白鳥の湖》はバレエ音楽の代名詞的な存在と言ってよいだろう。オーボエによる「情景」のソロを耳にすると、反射的に白鳥姿のバレエダンサーを連想してしまうほど。
《白鳥の湖》の主人公は王子ジークフリート。結婚を求められているが、まだその気にはなっていない。白鳥を狩ろうと湖に出かけたところ、一羽の白鳥が美しい乙女に変身するのを見かける。オデットだ。彼女は呪いにより白鳥の姿に変えられ、夜の間だけ人間に戻ることができる。呪いを解くのは永遠の愛。ジークフリートはオデットに愛を誓う。
だが、翌日の舞踏会で、悪魔が娘のオディールを連れてくる。オディールは魔法によりオデットと瓜二つの姿に変身していた。ジークフリートは偽のオデットに結婚の誓いを立ててしまう……。
結末は演出次第でバッドエンドにもハッピーエンドにもなりうる。ジークフリートとオデットが身を投げて天上で結ばれたり、愛の力で悪魔を打ち倒したりする。いずれにしても、よくできたおとぎ話だと思う。
さまざまな解釈が可能ではあるが、オデットとオディールを同じダンサーが踊ることで際立つのが、人間の二面性というテーマだろう。オデットだと思ったらオディールだった。でも人はしばしばオデットにもなるし、オディールにもなる。ワーグナーのオペラ《タンホイザー》で、正反対の存在であるヴェーヌスとエリーザベトがどこかでつながっているように感じるのと少し似ている。
《白鳥の湖》〜第2幕フィナーレ(オディール)と第3幕「黒鳥(オデット)のパ・ド・ドゥ」。どちらも演じているのは英国ロイヤル・バレエ団のマリアネラ・ヌニェス。
民話、ヴェール、羽衣......物語はどこからやってきた?
では、この物語はどこから来たのか。実はよくわからない。明確に原作に相当する物語が見当たらないのだ。さまざまな民話や伝説を素材としつつ、バレエのためのオリジナル作品として書かれたらしい。台本はボリショイ劇場のディレクターであったベギチェフとダンサーのゲルツァーが共作したとも、初演時の振付けを担ったライジンガーの作とも言われている。着想源としては、しばしばJ.K.A.ムゼーウスの「奪われたヴェール」が挙げられる。
もっともこの「奪われたヴェール」、読んでみると、話はまるで《白鳥の湖》と似ていない。かろうじて白鳥に変身する乙女が登場するところだけが共通点といえるだろうか。湖にやってきた白鳥が美しい乙女に変身すると、これを見て魅了された元傭兵の男が乙女のヴェールをこっそり盗む。すると、乙女は白鳥に戻れずに困ってしまう。男はヴェールを隠したまま、乙女に親切にしてやり、やがて嫁にしようと企む。
この話からだれもが連想するのは《白鳥の湖》よりも、昔話の「天の羽衣」ではないだろうか。百姓が天女の羽衣を盗んで、天女を妻にするという話だ。盗みによる策略で妻をめとる話が各地に伝わっているのはそれはそれでおもしろいが、いずれにせよ《白鳥の湖》からは遠い。
ワーグナー作品では王子が白鳥に
人間が白鳥に姿を変えるという点では、ワーグナーの《ローエングリン》が同類に挙げられるかもしれない。ローエングリンは白鳥の騎士。白鳥が引く小舟に乗ってやってくる。その白鳥の正体こそ、魔法によって姿を変えられた王子ゴットフリート。
こちらは乙女が白鳥になるのではなく、王子が白鳥になる点が興味深い。かたや王子ジークフリート、かたや王子ゴットフリート。もとをたどれば似たような民話にたどり着くのかも。《白鳥の湖》と《ローエングリン》は異母兄弟のような関係、といっては言いすぎだろうか。
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