「12のドイツ舞曲」——ウィーンの仮面舞踏会のために作曲
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
1792年、22歳のベートーヴェンは故郷ボンを離れ、音楽の中心地ウィーンに進出します。【天才ピアニスト時代】では、ピアニストとして活躍したウィーン初期に作曲された作品を紹介します。
ウィーンの仮面舞踏会のために作曲「12のドイツ舞曲」
1792年以降、ウィーンでは毎年11月25日の聖カタリーナ祭前後に宮廷で仮面舞踏会が開かれていた。これはウィーン美術家年金協会が遺族年金基金を募るために始めたもので、初年度はハイドンに作曲依頼され、「12のメヌエット」Hob.Ⅸ-11と「12のドイツ舞曲」Hob.Ⅸ-12が無報酬で提供された。
これが慣例となり、毎年この2組の舞曲がウィーンで高名な作曲家に作曲依頼された。
1795年にはベートーヴェンが宮廷小舞踏会場のために作品を無償提供した(ちなみに大舞踏会場用の作品はモーツァルトの弟子であったジュスマイヤーが担当)。
18世紀半ばころから大流行したドイツ舞曲はワルツの原型となった舞曲。同じ3拍子の宮廷舞曲メヌエットの厳格さとは対照的に、民謡調の旋律と単純な和声で親しみやすい音楽となっている。
解説: 平野昭
先生のハイドンや、モーツァルトのレクイエムの補筆者で、当時人気があったジュスマイヤー。彼らと同じ仕事を依頼されるようになったベートーヴェン、ウィーンで着実に名を上げ始めていますね。素朴で、楽しい雰囲気をお楽しみください。
「12のドイツ舞曲」WoO8
作曲年代:1795年(ベートーヴェン25歳)
出版:1795年12月ピアノ編曲版 アルタリア社(ウィーン)
1802年には弦楽三重奏編曲出版
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