プレイリスト
2024.12.23
生誕100周年記念

サンソン・フランソワ~今なお愛されるピアノ界の悪童

2024年に生誕100年を迎えたフランスの名ピアニスト、サンソン・フランソワ。ショパン、ラヴェル、ドビュッシー......数々の名盤は現代まで愛されています。名教師が手を焼いた学生時代、短命の理由であろう不摂生な生活の様子から名録音まで、増田良介さんが紹介してくれました。

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

現代まで人々を魅了し続ける「悪童」ピアニスト

2024年は、フランスのピアニスト、サンソン・フランソワ(1924-1970)の生誕100年にあたる。彼は46歳までしか生きなかったから、彼がいなくなってから、今年で54年も経つわけだ。だが54年経っても彼の人気は衰えず、ドビュッシーなら、ラヴェルなら、そしてショパンならフランソワが一番という人はたくさんいる。

サンソン・フランソワ(1924-1970)
写真は名写真館スタジオ・アルクールで1948年、フランソワ24歳のときに撮影されたもの

フランソワは幼いころから才能を発揮した。少年フランソワの演奏を聴いて驚いたひとりが名ピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)だ。フランソワと同様、自由なテンポの変化で知られたコルトーはしかし、自ら教えるのではなく、マルグリット・ロン(1874-1966)に彼を推薦した。

フランソワは真面目な生徒ではなく、ときにはロンが手を上げることもあったらしい(そんな生徒は後にも先にもフランソワひとりだったという)が、指導のかいもあり、1943年、彼は第1回ロン=ティボー・コンクールで見事優勝する。

アルフレッド・コルトー
マルグリット・ロン

戦後、フランソワは若くしてフランスを代表するピアニストとなった。自由でいきいきとしたリズム感と詩情にあふれたその演奏は多くの人を魅了し、レコードや演奏旅行を通じて、日本を含む世界中にファンを獲得した。

だが、彼は46歳という若さで世を去ってしまう。これは間違いなく、彼が長年続けた不摂生な生活のせいだ。

不摂生な毎日~友人の証言

フランソワの学生時代からの友人で、ピエール・プティ(1922-2000)という作曲家がいる。プティにはピアノ協奏曲があるのだが、これはフランソワの依頼で書かれ、彼によって初演されたものだ。1956年8月、プティとフランソワが、ともにこの協奏曲に取り組んでいたころの生活はこんなふうだったという。

毎日午後2時半頃、プティはパリのフランソワの家を訪れ、寝ている彼を起こす。やっとのことで起き上がると、彼は猫のトイレの始末をしてタバコを一服、ウィスキーを少しやってから、ピアノの前に座って指鳴らしを始める。ジャズの混じった即興演奏のような音の奔流が約30分、これで準備完了だ。協奏曲の作業は夜の10時頃まで続く。ピアノの上には、各国への旅行から持ち帰ったおもちゃや動く人形のようなものが積み上げられていて、休憩のあいだ、フランソワはそれらで遊んでいる。

夜になると、友人たちが到着する。あまり大勢ではなく、いつも数人の小さなグループで、おしゃべりしたり、冗談を言ったり、そして真夜中に食事に出かけたりする。食事の代金はすべてフランソワ持ちだ。他の人が払おうとすると彼は機嫌が悪くなる。だがフランソワはほとんど食べないし、酒もほとんど飲まない。タバコはひっきりなしに吸っている。イギリス製のクレイヴンというタバコがお気に入りだ。

フランソワお気に入りのクレイヴン社製タバコ

次はジャズ・クラブだ。彼はパリの「ブルーノート」や「ザ・リヴィング・ルーム」の常連だった。若いころはジャズ・クラブで弾いていたこともあるフランソワだが、そのころはもっぱらミュージシャンたちの演奏に耳を傾けていた。夜明けが近づいてくる。誰かが帰ろうとすると「君はぼくを愛してないんだな」と非難する。ようやくフランソワが眠りにつくのは午前7時頃だ。そして、午後2時半になると、またプティが起こしにくる……。

もしフランソワが品行方正だったら......?

フランソワの近くにいたいろいろな人が彼の生活について書いているが、だいたい同じような感じだ。ほぼ毎日こんな生活をしていたら体を壊すのも無理はない。そして彼は、学生時代に先生の言うことを聞かなかったのと同様、体を悪くしても医者の言うことを聞かなかった。

健康に気をつけて、もっと長生きしてくれていたならば、とは誰しもが思うことだが、心のおもむくところに従い、やりたいことしかやらないのは、フランソワという人の本質であり、彼の自由な演奏の本質でもあった。彼が品行方正な人間だったら、その音楽も別のものになっていただろう。

【参考文献】
Scarbo – Roman Samson François, Jérôme Spycket, 1985, Van de Velde
Samson François, Histoires de… Mille Vies: 1924-1970, Maximilien-Samson François, 2002, Editions Bleu Nuit
『サンソン・フランソワ ピアノの詩人』, ジャン・ロワ著 遠山菜穂美・伊藤制子訳, 2001, ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス

フランソワの名演4選

スクリャービン:ピアノ・ソナタ第3番 (1961)

スクリャービンは、フランソワの演奏でもっといろいろな曲を聴きたかった作曲家だ。ホロヴィッツのレコードを聴き込んでいたというフランソワだから、スクリャービンの作品は知っていただろうが、録音はこのソナタ第3番しかない。

ショパン:「前奏曲集」第15~18番 (1963)

フランソワのショパンは誰とも違う。前奏曲第15番《雨だれ》や、それに続く数曲は、彼の即興的な表現の魅力がとくに強く感じられる。前奏曲以外では、まったくポーランド風ではないはずなのに心にしみるマズルカもいい。

ラヴェル:鏡(1967)

フランソワの録音したラヴェルの作品全集はレコード史上の金字塔だ。もっとも得意にしていたのは、2つの協奏曲や《夜のガスパール》あたりだが、《鏡》もすばらしい。とくに「道化師の朝の歌」や「鐘の谷」は絶品。

ドビュッシー:《映像》第1集、第2集 (1968,69)

最晩年に取り組んでいたドビュッシーの作品全集は完成しなかった。とくに《前奏曲集第2巻》や《12の練習曲》が未完に終わったのは惜しまれる。《映像》は幸いなことに2集ともある。

番組案内
NHK-FM「マエストロたちの変奏曲」

2024年12月のNHK-FM「マエストロたちの変奏曲」はサンソン・フランソワ変奏曲」をお送りします。

ゲストは、若きヴィルトゥオーゾ・ピアニストにして作曲家、阪田知樹さんです。フランソワをはじめ、往年の名ピアニストたちの演奏をこよなく愛する阪田さんは、縦横無尽にフランソワを語ってくださいました。

放送は全4回、FM放送のほか、らじる★らじるでもお聞きいただけます。

放送予定:
12月26日(木)&27日(金) 午後7時30分-9時10分
12月28日(土)&29日(日) 午後7時25分-9時5分

 

公式サイトはこちら

増田良介
増田良介 音楽評論家

ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ