ととのうピアノ音楽〜音楽ライターが愛用する秘密のプレイリスト
日頃、楽曲解説や演奏評のためにガチンコで音楽と向き合うクラシック音楽ファシリテーターの飯田有抄さん。そんな彼女が、落ち着いた気分になりたいとき、仕事に集中したいときに、スピーカーからそっと流す「ととのう」ピアノ音楽を、こっそり教えてくれました。
1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...
みんな大好きピアノ音楽。88鍵もあるピアノは、煌びやかな響きから、柔らかな音色、わりかしグロテスクな表現まで、かなり振り幅のある音楽を奏でることができます。
日頃、音楽ライターとしてガチンコでピアノ作品と向き合うことの多い私ですが、心を鎮めたいとき、集中力をみなぎらせたいとき、緊張をほぐしたいときに力を貸してくれるのもピアノ音楽です。どこか自分の根源的な部分に立ち返るようなひと時を与えてくれるのもまた、音楽の力だと思います。
ここではピアノ音楽の中から「ととのう」をテーマに、リアルに私がここぞという時にととのえてもらっている音源をご紹介します!
ピアノ演奏によるバロックでととのう
「どうも今日は原稿の執筆がはかどらないな」という時、私が「そんなときは……」といそいそと取り出すのがこちらのアルバム。アンドレイ・ガヴリーロフが弾くヘンデルの組曲です。こちらを、かなりボリュームをしぼってスピーカーから流すのです。ヘンデルの音楽に対して、そんな「使い方」はけしからん!と怒られてしまうかもしれないですね(苦笑)。もちろん、ガヴリーロフの演奏はしっかりしたボリュームで鳴らして正座して聴くに値する素晴らしい演奏なのですが(それはそれでやってください)、かなり小さなボリュームに絞っても、彼の奏でる音楽のスピリットがふんわりと届いてくるんです。むしろそうすることで、その透明感のあるピースフルな空気感が抽出されて届くような気すらします。それが心を落ち着けてくれて、集中力を高めてくれるから不思議です。しーんと静まった部屋よりも、むしろ作業に没頭できるようになるので、頼りにしている音源です。
このアルバムは、実はスヴャストラフ・リヒテルの演奏をカップリングでまとめられているのですが、「ととのう」には、リヒテルよりもガヴリーロフの演奏の方が私としては効果がある気がしますが、どうでしょうか。
悪名高い(?)練習曲も、音源と聴き方次第で「ととのう」音楽に
「チェルニーの練習曲」……子どもの頃にピアノを習った多くの人が、地味だし退屈だし面白くないし手が疲れるし…と、けっこうネガティヴな印象を持ったかもしれない、あのチェルニーの練習曲。100番、30番、40番、50番といったシリーズもので、次々とピアノの先生から渡されるテキストに、うんざりした経験のある方もいらっしゃるかも。
ですが、オトナになってクラシック音楽をいろいろ聴いたり、多少なりとも音楽史に興味をもったりしますと、チェルニーって、「あの練習曲の人」というよりは、ベートーヴェンの高名な弟子であり、かのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の初演者であり、初期ロマン派の優れたピアニスト、教師、作曲家だったということを知り、ちょっと印象が変わった、なんてことも起こる人物であります。
そして、100曲も延々と続くあの「100番練習曲」も、「弾く」のではなく「聴く」という観点から、ある意味気楽に接した時、あのピュアな音楽にちょっとした感動を覚えます。
あくまでも古典的で「ザ・正統派」な和声、練習曲ゆえに繰り返されるパターンが多く、仰々しさのカケラもないメロディー。それらに静かに接してみると、これがまさに「ととのう」感覚に近づけるのです。これまた真剣に「正座鑑賞」するのではなく、やはり小さなボリュームで部屋にそっと音を解き放ってください。やさしく、落ち着いた気分になれます。
日本のピアニスト中井正子さんが2022年にリリースしたアルバム「中井正子 カール・ツェルニー 100番練習曲 作品139」(ALM Records)が、芸術性の香りをまとう素敵な演奏なのですが、ストリーミングでは未配信のため、こちらをどうぞ。(第21~40番)
おばあちゃんちのピアノ、みたいな音に出会い直す
コンサートホールで華麗に鳴り響くピアノとは対極線上にあるのが、「おばあちゃんちのピアノ」みたいな、調律もままならないアップライトピアノではないでしょうか。そんな、どこか懐かしいピアノの音色をおさめたアルバムも、音楽体験の原風景に出会えるような気分になれます。
2000年代にマックス・リヒターらが提唱する「ポスト・クラシカル」のムーヴメントが起こったころから、あえてアップライトを用い、マイクを近づけて録音し、鍵盤が戻る音、ハンマーの動く音、ペダルの軋みなどの密やかなノイズをも音楽的な表現として生かす作品が現れるようになりました。
米ペンシルバニア出身のエレクトロニック・ミュージシャン/プロデューサーのキース・ケニフが、「ゴールドムンド」という名義で2008年発表しているこちらのアルバム「ザ・マラディー・オブ・エレガンス」もそうしたアルバムの一枚です。柔らかく濁るハーモニー、ハンマーのフェルトを感じさせる音の質感、メランコリックなメロディは、ちょっと特別な時間を過ごさせてくれます。
ミニマル・ミュージックは「ととのう」の鉄板かも
ここまでくると、私のオススメする「ととのう」ピアノ音楽に、ある一定の傾向があることが自分でもわかってきました(笑)。
大仰なメロディーがない、ガツンとインパクトをもたらすリズムやハーモニーもない。構成感・構築力に富んだ音楽ではなく、静謐に、淡々と、響きそのものが、繊細な音場が、気分や肌感覚に作用してくれる音楽。そうしたものが、どうやら独特の集中力を喚起してくれたり、ざわざわした邪念を取り払ってくれるのです。
その意味では、やはりミニマル・ミュージックも欠かすわけにはいきません。音楽的素材を限定して扱い、パターンを反復させる語法を用いた音楽です。アメリカの作曲家、ジョン・アダムスの「フリギアの門」や「中国の門」は、ふと思い立っては聴いている作品です。
ケージの描いたピアノ音楽の純粋性
もう飽きた、なんて言わないでください。このページは、一気に全部聞く曲のリストではなくて、「ととのえたい」と思ったときに戻ってきていただく場所ですので。この作品もリンクしておきますので、気分によって、ぜひジョン・ケージの名曲を。「沈黙」だとかプリペアド・ピアノによる「ノイズ」ばかりに着目せず、ケージのピアノ音楽として描いた純粋な美しさに触れて、ゆったりと、心と耳を整えてくださいね。名曲「ある風景の中で」です。
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