ベートーヴェン生誕250周年を、生まれ故郷ボンではどう祝っているのか?
生誕250周年を2020年に迎えたベートーヴェン(1770〜1827)を、生まれ故郷であるドイツのボンではどのようにお祝いするのでしょうか。2019年12月のベートーヴェン・イヤー「BTHVN 2020」の開幕に合わせて、ドイツ観光局主催によるプレスツアーに参加したベルリン在住のジャーナリスト、中村真人さんが現地の様子をレポート!
1975年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『新装改訂版 ベルリンガイドブック 歩いて見つけるベルリンとポツダム...
私がベートーヴェンの音楽に出会ったのは、14歳のときだった。
交響曲第5番《運命》、そしてとりわけ第3番《英雄》に電撃的といえるほどに心酔してしまったのである。
時はベルリンの壁崩壊、冷戦の終結、さらに東西ドイツの統一というまさに歴史が揺れ動く最中。ベートーヴェンが求めた自由の精神と、壁の上で踊る人びとの姿とが重なり合った。
そのとき受けたインパクトはあまりに強く、私にとってベートーヴェンを聴くということは、人間社会や時代の動きに感覚を研ぎ澄ませることと無関係ではなくなった。
世界が再び大きく揺れ動くいまの時代、ベートーヴェンという存在は、私たちの前にどのように立ち上がってくるのだろうか。
オープンマインドを大事にする国際的な都市、ボン
ケルンから列車で30分ほど揺られ、ボンに到着した日の夕方、最初に訪れたのが旧市街のマルクト広場に面した旧市庁舎だった。
ボン市長のアショック・シュリダラン氏が、私たちジャーナリストのために小さな懇親会を開いてくれたのである。シュリダラン市長はボン生まれだが、父親は南インド出身の外交官、母親はドイツ人という血筋を持つ。
「ボンはいくつもの国連機関が居を構えるなど、町の規模に比して、国際的な性格の強い都市です。この町が生んだもっとも偉大な息子であるベートーヴェンの音楽が世界中で愛されているように、オープンマインドの都市であることを大事にしています」。
時折ユーモアも交えながら語るシュリダラン市長は、ベートーヴェン・イヤーのオープニングを数日後に控え、静かな高揚感を漂わせていた。
ベートーヴェンが生きた時代を伝える展覧会
翌日、ブンデスクンストハレ(ドイツ連邦美術館)で開催される展覧会「ベートーヴェン – 世界、市民、そして音楽」を見学することができた(開催は4月26日まで)。ベートーヴェン・イヤーの中心となる展覧会であり、連邦政府が運営する美術館で開催することからも、ドイツが国を挙げてベートーヴェンの記念年を祝う姿勢が伝わってくる。
ベートーヴェンの生涯を5つの段階に分けて年代ごとに紹介するこの展覧会では、「特に『人間』ベートーヴェンを可視化させ、彼が生きた時代を伝えようと試みました」とパトリック・シュマイング館長は語る。
交響曲第3番《英雄》やピアノ・ソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》、ミサ・ソレムニスといった彼の創作の転機となった作品の自筆譜や肖像画から、1800年頃のオーケストラの楽器を紹介したコーナー、1902年にウィーンで展示されたクリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」を再現した部屋まで、ベートーヴェンとその生きた時代、さらに後の受容までもが浮かび上がる壮大な内容だ。
ピアノ・ソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》
ベートーヴェンの日常とは?
私が特に興味を覚えたのは、ベートーヴェンの典型的な1日の過ごし方。
毎朝6時までには起き、朝食後に作曲の仕事に集中する。午前の残りの時間で短い散歩をしたり、手紙を書いたりする。昼食後には来客を迎え、その後よくカフェハウスに行った。午後遅くに長い散歩に出かける際はメモ帳を持参し、アイデアを書き留めた。夜はしばしばレストランに行き、時々コンサートやオペラにも足を運んだが、22時頃には就寝したという。
規則正しい日課を課すことで、創作の時間と、インスピレーションを得たりリラックスしたりする時間とのバランスをうまく取っていた様子がうかがわれる。
ますます盛り上がりを見せていくBTHVN2020、これからの見どころ
そんなコーヒーやワインに目がなかったベートーヴェンが足を運んだといわれる、古いレストラン「Im Stiefel」が、生家のすぐ近くにある。ここで昼食をいただきながら、「BTHVN 2020」のプログラム制作に携わっているヨハネス・プラーテさんから今年のハイライトを伺った。
「毎年9月に開催されるベートーヴェン音楽祭が、今年は例外的に3月にも行なわれます。
テオドール・クルレンツィスとジョヴァンニ・アントニーニが、ムジカエテルナを指揮して交響曲の全曲演奏会を行なうのが大きな目玉になるでしょう。
8月21日にはミサ・ソレムニスがあのケルン大聖堂で上演されます(ケント・ナガノ指揮コンチェルト・ケルン)。
9月4日にマレク・ヤノフスキ指揮バイロイト祝祭管弦楽団が、ボンで『第9』を演奏するのも特別な機会ですね。
9月下旬には、ベートーヴェン、パエール、マイール、ガヴォーという同時代の作曲家4人が、『レオノーレ』を主題に書いたオペラを連続上演するツィクルスもあります。
さらに、子どもたちとの合唱プロジェクトや、テクノバンド『クラフトワーク』とのコラボによる野外コンサートなど話題は尽きません」
ベートーヴェンは22歳のときにウィーンに移住してから、ボンに戻ることは二度となかったが、1801年にボンの幼馴染フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラーに宛てた手紙の中で「ボン時代は、私の人生でもっとも幸せな時期でした」と懐かしんでいる。
ウィーンに居を移してからも、ベートーヴェンは父なるラインに面した故郷の風景に想いを寄せていたのだろうか。
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