選曲も運営もチケット販売も! 市民が全力で応援する「日本フィル九州公演」の物語
こんな演奏会、はたして他にあるのだろうか——。九州10都市の市民らが「手弁当」で実行委員会を結成し、日本を代表するオーケストラの行脚公演を長年、支えている。「日本フィルハーモニー交響楽団・九州公演」。毎年2月に開催し、今年でなんと44年連続。長崎から始まった今年のツアー中盤、2月16日の大牟田公演に記者が密着した。
1974年、東京都生まれの北海道育ち。東京学芸大学教育学部卒業後、朝日新聞記者に。富山支局、さいたま総局、東京版などを経て、2010年から「全日本吹奏楽コンクール」「...
斜陽の街を活気づける
福岡県大牟田市。西に臨む有明海の煌めくその先には、絶滅危惧種ベニアジサシなど野鳥の繁殖地・三池島が浮かぶ。この「三池」の名こそが街の要。明治初期に採炭が本格化し、日本最大の炭鉱へと発展を遂げ、大牟田の街は栄華を極めた。ところが、エネルギー改革のあおりを受け、1997年、炭鉱は閉山。かつて歓楽街に溢れていた人々はみるみる消え、老舗百貨店も閉じ、過疎の一途をたどっている。
ただ、この日、街の中心に建つこの場所だけは様相が違っていた。大牟田文化会館。
午後1時35分、1階ロビー。弦楽四重奏の清澄な調べが響いた先へ、聴衆約1000人の視線が一気に注がれた。楽員による「ウェルカムコンサート」が始まったのだ。
「やっぱり、生の演奏を聴いたらさ、もう、迫力が違うもの!」
ホールの端で聴き惚れていた水本高子さんは、興奮気味にそう話した。ペットボトルに切れ目を入れた貯金箱を自宅に置き、演奏会の入場料金に充てて、約15キロ離れた熊本県長洲町からやってきた。多発性リウマチを患い、現在は車椅子の生活を送る水本さん。
「でも音楽はこうやって聴けますから!」。元気に笑った。
彼女が初めて日本フィルの演奏を聴いたのは数十年前のことだ。「第九」の力強い旋律が強烈で、忘れられない思い出になった。「それまでは家から1歩も出たことのない生活だったんですよ。でも今は、毎年この日が楽しみで楽しみで」(水本さん)
喫茶店が実行委員の事務局に
開場したロビーでは、聴衆一人ひとりに深くお辞儀をする女性を見かけた。上野由畿恵さん。楽団の地元実行委員会「大牟田日本フィルの会」で事務局長を務めている。この人こそ、この街に日本フィルを毎年呼び続ける、張本人だ。
「九州公演自体は今年44回目ですが、大牟田は今年が32回目。でも、それから途切れることなく、毎年続けてこられました」(上野さん)
大牟田市の中心部で喫茶店を営む上野さん。店は実行委員の事務局も兼ね、チケット販売のプレイガイドを担う。九州公演の最大の特徴は、まさにこの点にある。公演を実質的に支えているのは、どの街も上野さんのような市民なのだ。
「市民とともに歩む」をモットーに掲げる日本フィルの九州公演。全10都市から実行委員の代表者が集結し、連絡会議を年6回開き、プログラムや集客、財政面について決めてきた。それが、じつに44年間も途切れることなく続いている。2月の本公演のほかに、前年11、12月に室内楽が九州全県を訪問し、プレコンサートも実施している。
一般市民とプロのオーケストラの連携。なぜ、そのような仕組みが始まったのか。
市民が救ったオーケストラの窮地
——話は1972年にさかのぼる。放送局の専属楽団として日本クラシック音楽界を先導してきた日本フィル。放送局の支援を突然打ち切られ、100人の楽員が解雇される事態に。楽団として演奏活動の存続さえ窮地に陥った。これを救ったのが、全国の市民たちだった。
「日本フィルの灯火を消すな」。労働争議が盛んだった九州では、とりわけ支援が大きく広がり、1975年、6公演の規模で九州公演が実現。それ以来、楽団が争議の解決を経てからも、九州各地の実行委員は支援の輪を解くことなく公演を継続させている。
大牟田の上野さんは振り返る。「労働者と経営者の闘いが、九州では常にありました。楽団内部で起こったような光景は、無縁ではなかった。それもあると思います」
後発組・ここ大牟田での公演の契機は、勤労者音楽協議会「労音」主催の演奏会に、日本フィルも駆けつけたこと。その中に地元出身の楽員、故・中島大臣(だいみ)さんがいた。20年以上前に他界。彼なくしては、大牟田実現には至らなかったと上野さんは断言する。
「つねに夢を語り、お酒や美味しいものを愛し、音楽を愛した温和な方でした。そんな彼が熱心に『日本フィルをぜひ大牟田に』って。最初はとんでもないと思いましたが、上手にそそのかされたのかも知れません(笑)」(上野さん)
喫茶店は365日、年中無休だ。公演準備のかたわら、店内では小編成コンサートを開き、街の人たちにクラシックに親しんでもらえるよう努めている。人口規模が大きく、組織的な運営のできる他都市とは異なり、大牟田の実行委員はまったくの手探り活動を続けてきた。
挫けそうになりかけた近年、地元活性化団体の若者たちから「応援するから、続けましょうよ」との声が上がった。「考えてみれば、楽団も存続危機から始まったんです。音楽好きな人が支え、一緒に闘う意識をもたないと」と上野さん。
大牟田市民会館にて
午後1時50分、ホールのロビー。ごった返す聴衆のなかに、どこかで見たことのある顔を見つけた。デザイン活動家として国内外で活躍を続ける、ナガオカケンメイさん。楽団の応援トークイベントを開催するなど、日本フィルの支援を続ける人だ。
「地域を音楽で活性化させる意味で、東京からは陰ながら応援するしかない。その、ひとつの方法として毎年、大牟田のこの公演に車で仲間と一緒に応援に来ているんです」(ナガオカさん)
前日夕方に東京を出発し、なんと夜通しバンを運転して駆け付けた。「来年も来ますよ。この活動を応援していることを伝えるために」(ナガオカさん)
会場整備にあたっているのは地元市民吹奏楽団「大牟田奏友会」メンバーたちだ。会長の徳川昭彦さんは「私たちも演奏活動をやるなかで、スタッフのサポートがあってこそ成り立つのをひしひし感じていますので」。当日券販売、場内整理を手際よくこなしていた。
開演!
午後2時、大ホール。舞台では楽員らが登壇し、拍手に包まれながら藤岡幸夫マエストロが深々とお辞儀をした。ムソルグスキー「モスクワ川の夜明け」が始まった。リムスキー=コルサコフによるオーケストレーションの、流麗な旋律が鳴り響いた。
ところで、「手弁当」で楽団を助けるのは地元メンバーだけではない。楽屋袖から見守っていたのは、「ライブ録音担当ボランティア」の鈴木重行さん。東京からレンタカーを運転し、九州公演の行動を楽団と共にしている。録音エンジニアとして、録音を長年担う重鎮だ。
「九州は、景気衰退の波をかぶり、音楽どころではない街もあります。でも大牟田は、ほんの僅かだけれど、活気が見えてきた気がする。今が端境期なのかも知れません」(鈴木さん)
来年80歳になる。「楽団を最後まで見届けることはできないけれど、こうやって見ている。九州の皆さんは優しくて、そして私と同様クレイジー(笑)。首都圏ではこんなカタチってないよね」。日本フィルと彫字のなされた名札が、鈴木さんの胸に誇らしげに光っていた。
この日のソリスト、萩原麻未さんのチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」が軽やかな旋律を響かせた後、ムソルグスキー(ラヴェル編曲)の組曲「展覧会の絵」で、演奏会はクライマックスへ。最後の挨拶に立ったのは楽団長の中根幹太さん(バストロンボーン)だ。「また来年、この大牟田で皆さまとひと時を迎えることを、楽団員一同心待ちにしております!」。温かい拍手に包まれ、大牟田公演の幕は閉じた。
市民の力は財産
終演後ロビー横。藤岡マエストロの前には、サインを求める長蛇の列ができていた。
後藤大地さん・愛花さん親子もその一人だ。「この九州公演には毎年来ています。日本フィル、ホント楽しみで」(大地さん)。ピアノを習い始めた愛花さんも「すごかった!」と大絶賛。そんな様子を、目を細めて見守っていたのは日本フィル常務理事・後藤朋俊さんだ。
「九州が原点なんです。気持ちの温かさを感じ、人に寄り添って演奏する。そんな温かい音楽を演奏するのが、楽団の基本なんですよね」
演奏会の間、楽団創設者・渡邉曉雄氏の言葉を思い出したという後藤さん。「『市民の力は何よりの財産。感謝の気持ちを込め、大切に続けなければ』。若い楽員たちもこの伝統を肌で感じ、次につなげてほしい。ホント、皆さんに育てられているんです」(後藤さん)
マエストロも参加する地元の人たちとの交流会
午後5時。九州公演のもう一つの「名物行事」が始まる。ホール近くのレストラン。地元の人たちと楽団との交流会だ。乾杯の発声と同時に、約100人の参加者がビールやワイングラスを威勢よく傾けた。じつは九州公演全10都市では終了後、必ずこの交流会を行うという。
約20分後、早速ほろ酔いの藤岡マエストロに直撃。九州公演は今回で4回目という。
「大牟田にはすごく思い出があるんですよ。九州公演で初めて来たのが1998年。僕、指揮者としてデビューしたてで、全然ダメダメだったんです」(藤岡さん)
当時、各地での公演後には楽員に怒られたり、助言されたりされる日々。
「ある日、団員が楽屋に来て『藤岡、お前、力入り過ぎだぞ。もっと力を抜け』。だから次の日に一所懸命、力を抜いて振ってみたら、こんどは別の団員が『お前、本気で振れよ!』って(笑)。もう、どうすりゃいいか。オレ、辞めちゃおうか、ってぐらい大牟田で思い詰めていたんです」
そんな藤岡さんがふと、滞在先のホテルの部屋でテレビをつけた。目に飛び込んだのは長野五輪のジャンプ競技。藤岡さんは釘付けになった。原田雅彦が飛び、「船木~!」と叫ぶ、あの名シーン。金メダルの瞬間、藤岡さんは自分も勇気づけられたように感じた。
「来る日も来る日もドヴォルザーク8番。でも俺、それから頑張って振ったんです。そうしたら大牟田で、地元の方が『良かった!』って。あ、そうだ。この店で言われたんですよ、ここの店!」
だから、この街には特別の感慨がある。「僕たちアーティストも育てていただいている。ずっとずっと九州公演が続くよう祈っています」(藤岡さん)
交流会の進行役を務めていたのは、祢寝(ねじめ)由利香さん。大牟田の副事務局長として上野さんを支え、仕事・両親の介護を経て時間に余裕ができてからは、さまざまな業務を担うようになった。「今日はずっとロビーで仕事しましたけど、九州の他の街の公演を聴きに行くんです。鹿児島、福岡……、組織の在り方を見学したり、大牟田も頑張りたいって思ったり。人と人とのつながりが、私にとって大きな財産かなって思っています」
支える人たちが寄り添い、その力を合わせてこそ、音は輝きを増し感動を呼んでいく。ここ九州の地で、一人ひとりが再確認しているように筆者には見てとれた。午後7時、参加者の多くは週末の歓楽街へと繰り出した。二次会、三次会と音楽談義に花を咲かせ、そしてシメの豚骨ラーメンへ。「また来年ね!」。翌日の福岡マチネ公演を数時間後に控えつつ、大牟田の熱き夜は日付が変わるまで続いたのだった。
出演:
指揮:藤岡幸夫/チェロ:横坂源/ピアノ:萩原麻未、古賀大路(唐津市出身)/日本フィルハーモニー交響楽団
プログラム(下記から3曲を組み合わせ):
ドヴォルジャーク:スラブ舞曲第1番
ドヴォルジャーク:チェロ協奏曲
ドヴォルジャーク:交響曲第9番《新世界より》
ムソルグスキー(R=コルサコフ編):
歌劇《ホヴァンシチーナ》より「モスクワ川の夜明け」
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲《展覧会の絵》
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
日程:
2月8日(金)18:30開演/長崎/長崎市民会館
2月9日(土)16:00開演/佐賀/佐賀市文化会館大ホール
2月10日(日)14:00開演/北九州/アルモニーサンク北九州ソレイユホール
2月11日(月・祝)14:00開演/唐津/唐津市民会館大ホール
2月13日(水)19:00開演/宮崎/メディキット県民文化センター大ホール
2月14日(木)19:00開演/大分/iichiko グランシアタ
2月16日(土)14:00開演/大牟田/大牟田文化会館大ホール
2月17日(日)14:00開演/福岡/アクロス福岡シンフォニーホール
2月19日(火)19:00開演/熊本/市民会館シアーズホーム夢ホール
2月20日(水)19:00開演/鹿児島/宝山ホール
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