リッカルド・ムーティ、偉大なマエストロの終わりなき闘いとは?
第30回高松宮殿下記念世界文化賞・音楽部門受賞にあたっての喜びのスピーチもそこそこに、マエストロは静かに怒りながら、イタリア音楽とはいかなるものかを語りはじめました。
2019年から3年間は東京・春・音楽祭の一環として「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」で教鞭・指揮をとるリッカルド・ムーティ。今までも、そしてこれからもムーティが重んじる「作曲家の真実を伝える」姿勢を語った記者会見を、林田直樹さんが熱くレポートいたします。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
リッカルド・ムーティは怒っていた。
「モーツァルトやワーグナーやリヒャルト・シュトラウスのオペラは、勝手に音を変えることが許されないのに、なぜヴェルディだけが、まるでイタリア・サーカス団のようなひどい扱いを受けてきたのでしょうか?」
さらにムーティはこう続けた。
「こんな調子では、イタリアという国が、モッツァレッラと、トマトと、マンドリンの国だと見られてしまっても仕方がないじゃありませんか。そしてオペラもあるね、といった具合ですよ。私はトスカニーニの系譜で勉強してきた人間の一人として、何十年も、こうした傾向に対して闘ってきたわけです。
作曲家が書いた音でなくとも、歌手が最後に高くて長い音を引き延ばせば、大喜びするくせに、作曲家が書いたとおりの音で演奏しても誰も拍手しない。そういうことがいまだに起こっている状態です。
一番ひどい例が、《イル・トロヴァトーレ》第3幕終わりの『燃え盛るあの炎』。テノールがオクターヴ高い音を引き延ばせば喝采を浴びるわけです。しかしそれは、ヴェルディではないのです。
楽譜通りに演奏しようとする私のところに、よくテノールが頼みに来るのですよ。『マエストロ、お願いですから、私にひとつゴールを決めさせてください』と。
もしモーツァルトでそんなことをしたら、そこで殺されてしまうでしょう」
それはあたかも、ムーティの独演会のようだった。
芸術の世界におけるノーベル賞とも言われる「高松宮殿下記念世界文化賞」(公益財団法人日本美術協会によって1988年創設)の2018年の音楽部門に、イタリアの指揮者リッカルド・ムーティ(1941年ナポリ生まれ)が選ばれ、10月23日に都内のホテルで記者懇談会を行なったときのことである。
予定の時間を大幅に過ぎ、結局1時間半近く、ムーティは質問に丁寧に答え続けた。司会者が時間を気にして切り上げようとするのを押しとどめ、最後の一人の質問まで聞こうとした、その姿勢はさすがだった。
正しいヴェルディ、正しいイタリア音楽を若い世代に伝えなければ
かつてミラノ・スカラ座に音楽監督として長年にわたって君臨し、2010年からはシカゴ交響楽団音楽監督として活躍するムーティも77歳。とりわけイタリア・オペラの世界に絶大な影響力をもつマエストロは、頑固なまでの楽譜原典主義者として知られてきた。
そのムーティが、毎年3月~4月に上野で行なわれる「東京・春・音楽祭」で、2019年から「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」を3年にわたり開催することになっている。演目は、《リゴレット》《マクベス》《仮面舞踏会》と、すべてヴェルディであり、指導の対象となるのは若い指揮者である。作品解説に一晩をかけ、連日のリハーサルには一般聴講生も募るほか、来日歌手と日本のオーケストラによる演奏会形式抜粋上演も行なわれる。
ムーティは言う。
「ヴェルディは人気の高い作曲家ですが、ただし彼は悪い演奏法で演奏されることが多い作曲家でもあると思っています。いや――“悪い”ではなく、“非常に悪い”と言うべきですね。(会場から笑い)
なぜかといいますと、これはイタリア人のせいでもあるのですが、世界中で演奏されるときに、イタリア人的なものの表面だけを抜き取って演奏されていることが多いのです。テノールが、ソプラノが、バリトンが、あの超高音……(皮肉そうに)3時間も続くような超高音ですね。楽譜から適当にカットもされてしまうし。
かつて大指揮者トスカニーニはイタリアを去ってアメリカに行きました。彼はファシズムの時勢に合わなかったからですが――そのトスカニーニも、イタリアの音楽の守護者でした。要するに、演奏家は作曲家の意図をどう表現するか。作曲家のしもべであるべきだと思うのです。ヴェルディの書簡集のなかに、こう書かれている手紙があります。
『指揮者も演奏家も、私が書いた通りに演奏するべきである』
つまり、勝手に創作してはならないということです。そういう言葉をたくさん残している。創造する者は一人でいいのだ、それは作曲家であると。有名なオペラでさえ、いまだ今日においても、めちゃくちゃにされていると私は思います。
これはイタリアでよく起こることなのですが、観客はオペラを観に行くときに、オペラを観に行くのではなく、あの歌手の声――ドミンゴやパヴァロッティやディ・ステファノだったりするのかもしれませんが――そういうことに興味をもって行くということが、多くなってしまっている。
もちろん偉大な声があり、偉大な演奏家がいることは大事なことです。しかし偉大な演奏家になればなるほど、作曲家のメッセージを正しく伝えることこそが大事な仕事だと思うのです。
ヴェルディの有名な3つのオペラ、《イル・トロヴァトーレ》《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》《リゴレット》。この大事な曲でさえ、ほとんど常にカットされる場所があるのです。音程を歌手に合わせて、移調させてしまうことすらあります。作曲家が書いていない高い音を付け加えてしまうこともあります。その結果、品のないものになってしまう。
博物館や美術館では、人は作品を見て判断します。音楽は、演奏を聴いて曲を判断するわけです。歌手や演奏家が勝手に音を変えてしまったら、それを聴いた人には、正しいものが伝えられていないということになってしまう。
私は何年もそれに対抗して闘ってきた。それを東京・春・音楽祭のアカデミーでも日本の若い指揮者にも伝えたい」
ヴェルディの演奏法の問題についてのムーティの使命感は強い。他のイタリア・オペラの作曲家の演奏解釈と比べても、この是正は「急を要する」とまで言っていた。
演奏者はあくまで作品の真の姿を伝えるための媒介者であるというムーティの考え方は、聴き手にとっても、音楽を聴く姿勢を根本的に問い直すものである。
2019年は、最円熟期のマエストロの熱い思いを心して受け止めたい。
プログラムA
日時: 2019年1月30日(水)19:00
曲目:
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調op.73
プログラムB
日時: 2019年2月3日(日)14:00
曲目:
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」op.35
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調op.64
ヴェルディ作曲「レクイエム」
日時:
2019年1月31日(木)19:00
2019年2月2日(土)14:00
ソプラノ: ヴィットリア・イェオ
メゾ・ソプラノ: ダニエラ・バルチェッローナ
テノール: フランチェスコ・メーリ
バス: ディミトリ・ベロセルスキー
合唱: 東京オペラシンガース
会場: 東京文化会館
開催日程: 2019年3月28日(木)~4月4日(木)
ヴェルディ作曲: 歌劇《リゴレット》
指導・指揮: リッカルド・ムーティ(指揮者)
マントヴァ公爵: ジョルダーノ・ルカ
リゴレット: フランチェスコ・ランドルフィ
ジルダ: ヴェネーラ・プロタソヴァ
スパラフチーレ: アントニオ・ディ・マッテオ
マッダレーナ: ダニエラ・ピーニ
管弦楽: 東京春祭特別オーケストラ
スケジュール:
2019年3月28日(木)
リッカルド・ムーティによる《リゴレット》作品解説
東京文化会館 大ホール
2019年3月29日(金)~4月3日(水)
リハーサル
東京藝術大学 第6ホール(音楽学部構内)
2019年4月4日(木)
リハーサル 東京文化会館 大ホール
公演:
リッカルド・ムーティ指揮 歌劇《リゴレット》(演奏会形式/抜粋上演)
東京文化会館 大ホール
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