100周年記念ザルツブルク音楽祭が閉幕~コロナ禍で伝統を守り抜き来年へとつなぐ
2020年8月1〜30日、100回記念を迎えるザルツブルク音楽祭が開催されました。パンデミックによって、開催の可否には議論が重ねられ、開催決定後も規模を縮小したプログラムの内容に注目が集められてきましたが、無事に閉幕。音楽祭中の現地の雰囲気はどうだったのでしょうか。
宮城県仙台市出身。現在、東京藝術大学大学院博士後期課程およびウィーン国立音楽大学博士課程(いずれも音楽学)在籍。主な研究対象はE. W. コルンゴルトの一次資料。20...
100周年を迎えた今年のザルツブルク音楽祭が閉幕した。当初予定されていた44日間・200公演・16会場は、新型コロナウイルスの影響で30日間・110公演・8会場に縮小。販売されたチケットは当初の3分の1ほどとなったが、厳しい感染対策が功を奏し、成功と呼べるかたちで会期を終えた(8月1〜30日)。
パンデミック後の新ルール適応で会場の様子はどう変化した?
筆者がザルツブルクを訪れたのは、8月20日からの5日間。街なかには予想以上に多くの観光客がおり、ウィーンで人混みを避けて生活していた筆者は少々たじろいでしまった。オーストリアは8月末現在、ほとんどのヨーロッパ諸国との間の自由な移動を認めている。
ザルツブルク音楽祭の会場周辺はというと、20日夜の演奏会前はあまり人出がなく、少々寂しげに見えたものの、翌日のオペラ《エレクトラ》の上演前後や22、23日の週末には華やかな装いの人々が行き来し、音楽祭に来た!という実感を強く抱いた。とはいえ、すべての会場で座席が半分ほどに減り、加えて他者と最低1メートルの距離をとるパンデミック以来のルールがあるため、例年のように密集するような混雑はなかった。
6月末から再分配・再販売されたチケットはすべて記名式となり、さらに今年はじめてスマートフォンでQRコードを表示する電子チケットにも対応。入場時には、チケットと同時に身分証明書も提示しなければならなくなった。
会場に入ると、クロークやプログラム冊子の販売・配布はあるが、飲食を提供するビュッフェはない。全公演に休憩もないため、いつもなら社交や団らんの場としてにぎわうはずのロビーは通路と化し、がらんとしていた。
会場内では、演奏・上演中をのぞいてマスク着用義務がある。開演時のアナウンスでは、次のように呼びかけられた。「飛沫の拡散を防ぐため、扇子はお使いにならないでください。今からマスクをはずして構いませんが、公演中も着用されることをおすすめします。拍手の間は再びマスクをお着けください」。演奏中もマスクを着けていた観客は、全体の半分ほどだっただろうか。席に着くなりマスクをはずしてしまう人や、カーテンコール中もマスクを着けない人がいると、すかさず会場スタッフが注意をしていた。
守られたザルツブルク音楽祭の伝統、《イェーダーマン》
縮小開催となったものの、今年、何をおいても実現されなければならなかったのは、演劇《イェーダーマン》の上演である。1920年8月22日、ザルツブルク音楽祭は、大聖堂広場での《イェーダーマン》の上演ではじまった。この演劇の作者フーゴ・フォン・ホーフマンスタール、演出のマックス・ラインハルト、そしてリヒャルト・シュトラウスの3人が中心的な発起人となり、第一次大戦後の混乱期に平和プロジェクトとして音楽祭を築いたのである。以来《イェーダーマン》は、第二次世界大戦以前のわずかな例外をのぞいて、毎夏、大聖堂広場で演じられてきた。
それからちょうど100年となる今年の8月22日「イェーダーマンの日」には、ザルツブルクの街全体を舞台にして、ささやかなイベントが行なわれた。日中には市内のレストランで、歴代のイェーダーマン俳優たちがリレー形式の朗読会を開いた。21時からは通算726回目となる《イェーダーマン》の上演(雨のため、大聖堂広場ではなく祝祭大劇場で開催)があり、さらにこの日のため特別に印刷された《イェーダーマン》の台本1万部が街じゅうで無料配布された。
このアレゴリー(寓話)劇は、裕福な男イェーダーマン(独語で「すべての人」の意)が突然「死」を告げられ、仲間に同行を求めるも相手にされず、やがて「善行」と「信仰」によって静かに「死」へと導かれる、という道徳劇になっている。
今年イェーダーマンを演じた人気俳優トビアス・モレッティは、はじめ高慢だった男が死の恐怖に怯え、そして死を受け入れていくさまを、まったく人が変わったように演じ進めた。彼は、ミヒャエル・シュトゥルミンガーによる現行の演出が新制作された2017年からこの役を演じてきたが、今年でその役目を終える。他の演目もあわせると123もの公演に出演した功績を称え、千秋楽には音楽祭からモレッティにルビーのブローチが贈られた。なお、このブローチは今年、《エレクトラ》を指揮し、会期中の8月16日に60歳の誕生日を迎えたフランツ・ヴェルザー=メストにも贈られた。
新作の音楽劇《千羽鶴》に込められた平和への願い
いっぽう、ザルツブルク大学大講堂では、10歳以上の子どもから大人までを対象とした音楽祭委嘱新作の音楽劇《千羽鶴》(シブランド・ファン・デア・ヴェルフ台本、演出)が初演された。広島で被爆して12歳で亡くなり「原爆の子の像」のモデルとなった、佐々木禎子の物語である。
メゾソプラノの島田香奈子をはじめとする4人の演者が舞台に立ち、日本の童謡をはじめとする歌、ヴァイオリンとピアノの演奏、そしてライブエレクトロニクスとともに、病が治ることを夢見て鶴を折り続けた禎子の生涯と、原爆症の恐ろしさを描いた。
無料のプログラム冊子には折り紙が1枚挟まれていて、劇中で観客が演者と一緒に鶴を折る時間もあった。ここで集められた折り鶴は、後日広島に送られるという。
筆者撮影
これからの100年を見据えて
100周年に寄せて、次の100年を音楽祭がどう歩んでいくかを10項目にわたって記した『メモランダム(覚書)』も公開された。この記者会見で、総監督のマルクス・ヒンターホイザーは「文化、芸術、教育——これらは失ったら二度と手にすることができません。今年、私たちが特別なかたちで音楽祭を祝ったのは、危機的状況における能動的かつ模範的な意思表示なのです」と述べ、100年前の政治的・経済的混乱と現在のコロナ禍を重ね合わせた。
100周年でありながら縮小開催、そして厳しい感染対策、という異例ずくめのなか、ザルツブルク音楽祭は無事に30日間の会期を終えた。来場者は約76500人、アーティストやスタッフに実施されたPCR検査は約3600回にのぼったが、会期中は一人の感染者も報告されなかった(会期前の7月上旬にはスタッフ1名の感染が確認・報告されている)。
今年実現しなかった記念公演は2021年に持ち越され、今年で総裁の座を退くはずだったヘルガ・ラーブル=シュタードラーの任期も1年延長された。彼女は音楽祭閉幕にあたってコメントしている。「来夏にはコロナがなくなり、通常の座席配置に戻ること、そしてビュッフェなども含め、お客様が総合芸術作品として楽しめる音楽祭になることを願います」。
左:祝祭劇場前の広場に今夏敷かれた「つまずきの石」。演出家のラインハルトをはじめ、ナチスに迫害された28人の音楽祭ゆかりのアーティストの名前が刻まれている。
筆者撮影
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