音楽が「起る」生活#3 ファウストとトラウベルのモーツァルト、《ばらの騎士》
音楽評論家の堀内修さんが、毎月「何かが起りそう」なオペラ・コンサートを予想し、翌月にそこで「何が起ったのか」を報告していく連載。12月の予想はサラ・トラウベルS、ファウストvn&アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコ、ノット指揮東響《ばらの騎士》。11月の結果報告は、ネルソンス指揮ウィーン・フィル、新国立劇場《ウィリアム・テル》、イブラギモヴァvn&ティベルギアンp、ラトル指揮バイエルン放送響、N響第2025回定期演奏会の5つです。
東京生まれ。『音楽の友』誌『レコード芸術』誌にニュースや演奏会の評を書き始めたのは1975年だった。以後音楽評論家として活動し、新聞や雑誌に記事を書くほか、テレビやF...
何かが起りそう(12月のオペラ・コンサート予想)
1.サラ・トラウベルS~日本モーツァルト協会第664回例会「美しきヒロインたち」(12/9・東京文化会館 小ホール)
12月1日に聴くクリスティアーネ・カルクなら起ることが予想できる。でも9日のトラウベルは何が起るかわからない。カルクはオペラでもコンサートでも聴いてすばらしかったけれど、トラウベルは初めてだ。もちろん評判は聞いている。何が起るか?と期待して聴くにはもってこいというもの。モーツァルト協会のコンサートなので、歌われるのはモーツァルトの歌曲とオペラばかりだが、得意なジャンルなのでこれも楽しみだ。
2. イザベル・ファウストvn、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコ~モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全曲演奏会(12/10、11・東京オペラシティ・コンサートホール)
「刺激的な組み合わせ」とチラシに記されているが、その通り。ファウストのヴァイオリンは、キラキラと現代的だし、アントニーニとイル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏は、どんどん刺激的になっている現在の古楽アンサンブルの中でも、とくに鋭い。この組み合わせでモーツァルトのヴァイオリン協奏曲を全曲演奏するのだが一体どうなるんだろう?
この曲を聴き慣れている者には、いや、聴き慣れている者にこそ、見当がつかない。耳に残っているような、ロココの優美をめざした演奏になるはずがない。ではどんな演奏になるのか、聴きに行くほかありません。12月はモーツァルトの月になってしまいそう。それも予想できないモーツァルトだ。
3.東京交響楽団 特別演奏会《ばらの騎士》~ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団、ミア・パーションS、カトリオーナ・モリソンMs、アルベルト・ベーゼンドルファーBs、他 (12/13・サントリーホール)
大人気らしい。それはそうだろう、ジョナサン・ノットが指揮する東京交響楽団のR・シュトラウス・オペラ・シリーズは第1弾の《サロメ》から図抜けていた。軽く振り付けがあるだけの演奏会形式なのだが、並の舞台上演はかなわない充実ぶりだった。今を時めくアスミク・グリゴリアンの歌が息を飲むほどだった《サロメ》にとどまらない。次の《エレクトラ》も、会場を圧倒する出来で評判になった。
そして今度の《ばらの騎士》になる。これがシリーズ最終回らしい。当然期待は高まる。期待度は高いが、絶対安心というわけではない。これまでの2つを成功させたのはノットの力強い音楽だったのだが、《サロメ》や《エレクトラ》と《ばらの騎士》は同じシュトラウスのオペラでも大きく異なっている。作者たちの言う「モーツァルトのオペラのような」という言葉を真に受けないとしても、洗練されたウィーン風の優雅が全曲を貫いている。それはノットと東響にとって新しい挑戦なのだ。大いに期待しつつ、微かな不安をも抱いて聴こう。
何が起ったのか(11 月のオペラ・コンサートで)
1. ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 アンドリス・ネルソンス指揮 五嶋みどりvn(11/12・サントリーホール)⇒⇒⇒徹底して反全体主義のマーラー
なにもかも聞こえる。広大な交響曲の隅々にまで光が当たっているようだ。おまけに均一じゃない。トロンボーンが主張するとホルンが優しくたしなめ、ヴィオラの人々がざわめく。
なるほどマーラーは、皆が一丸となる音楽など作らなかったのだ。この夜のネルソンスとウィーン・フィルが実現させたのは徹底して反全体主義のマーラーだった。あまりの音楽量の多さに、アダージェットがこうこうとした夕陽に照らされて始まると、やがてやってくるはずの闇に、自分まで一緒に落ちていくのを感じてしまう。いや、大変な音楽を聴いてしまった。
それにしても、揃っているのがいい演奏なんて、どうして私たちは信じてしまったのだろう? ウィーン・フィルの、少なくともこのマーラーの5番の演奏は、オーケストラの演奏者がそれぞれ自分の演奏をして成り立っている。ウィーンの夕陽が赤々と輝いて沈み、聴く者を夜の世界へと連れ去った。
( 11/12・サントリーホール)
2. ロッシーニ《ウィリアム・テル》(11/20~30・新国立劇場)⇒⇒⇒やっとこのオペラの全容を知った!
「立ち上がろう!」勇ましい歌にあおられてたじろぐ。やっと聴けた。やっとこのオぺラの全容を知った、と喜ぶ一方で、これはいま上演するのにぴったりなのか、逆なのか、とまどう。なるほど《ウィリアム・テル》がロマン派時代の幕を開け、国民国家の成立をうながしたオペラだというのはよくわかったが、おしまいに戦禍に会った現代の都市が暗示されると、安心して拍手するのは難しい。
ルネ・バルベラが歌ったアルノルドは聴きものだったし、ほかの歌手たちも悪くなかった。そして大野和士の指揮は何よりロッシーニの歴史的意欲作がどういうオペラかを過不足なく伝えた。情念の過剰は抑えられ、オペラ《ウィリアム・テル》の全体像が初めて東京に姿を現わした。時を得た重要な上演を、新国立劇場は完遂した。たとえ第2幕の恋する2人の歌に酔えなかったとしてもあきらめよう。《ウィリアム・テル》が、申し分なくその役割を果たしたのだから。
(11/20 ・新国立劇場)
3. アリーナ・イブラギモヴァvn&セドリック・ティベルギアンp(11/21・王子ホール)⇒⇒⇒シューマンの現代性に驚く
全部前衛音楽だった。ヤナーチェクもエネスクも、シューマンさえも。仰天するほかない。このプログラムで現代の斬新な音楽を、息をつめて聴き入ることになるなんて想像していなかった。驚くべきはシューマンの現代性だが、個人的にはエネスクの「ヴァイオリン・ソナタ第3番」のスリルいっぱいの音楽に興奮した。ヴァイオリニストとピアニストは2人の戦士だった。
(11/21・王子ホール)
4. バイエルン放送交響楽団 サイモン・ラトル指揮(11/27・サントリーホール)⇒⇒⇒リゲティからワーグナーへ奇跡の移行
得もいわれぬ瞬間を味わった。滅多に味わえない特別な瞬間はコンサートの前半、リゲティの《アトモスフェール》がワーグナー《ローエングリン》第1幕の前奏曲に移る時に起った。リゲティが長い静寂を作って消えていくのを、誰もが息をこらして聴き入る。いつ終ったのか、というより終ったのかどうかがわからない。緊張が緩んだ瞬間が終った瞬間になるはずだが、そんな瞬間は訪れない。息苦しい沈黙の中から微かな響きがやってきて、《ローエングリン》の聖杯が姿を現わした。
後半にはこれを聴こうと意気込んでいたブルックナーの9番も演奏され、すばらしかったのだが、思い出されるのはなによりこの移行の奇跡だ。
(11/27・サントリーホール)
5. NHK交響楽団第2025回定期演奏会 ファビオ・ルイージ指揮 クリスティアーネ・カルクS(11/30、12/1・NHKホール)⇒⇒⇒背後から漂う死の香り
背後から甘い死の香りが漂ってくる。《トリスタンとイゾルデ》の「愛の死」だけじゃない。シェーンベルク《ペレアスとメリザンド》からも香る。
驚いたのはカルクが歌ったシュトラウスの歌曲だ。これ以上細く張ることはできないという声の曲線に、ルイージとN響がこれ以上繊細な響きは出せないという演奏をからませ、別れの歌の奥から香りを引き出す。たいへんな演奏を聴いてしまった。
(11/30・NHKホール)
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