バッハのコーヒー愛に触れた後は、いよいよ彼が味わった料理について紐解いてみましょう。実は、バッハの書簡などの史料で食にまつわるものは極めて少ないのが実情です。その中で、記録のある料理をご紹介します。1716年5月3日(バッハ31歳)にオルガン鑑定でハレに招聘された後、高級旅籠「金環亭」にて歓待された晩餐会でのメニューです。
牛肉の煮込み/カワカマスのサーディン バター添え/燻製ハム/グリーンピース一皿/ジャガイモ一皿/ホウレンソウ、チコリ二皿/羊肉の塊のロースト/アスパラガスの温サラダ/ゆでたカボチャ/レタス/ラディッシュ/仔牛肉のロースト/揚げ菓子/レモンの皮の砂糖漬け/サクランボの砂糖漬け/フレッシュ・バター
合計16品からなる豪勢なメニューです。当時、庶民は滅多に食べられなかった牛、羊、仔牛肉を使った振る舞い料理でした。バッハとしても一世一代のフルコースだったのではないでしょうか。今回はこの16品のメニューの中から最初に記された牛肉の煮込みを取り上げることにします。
ハレの宴から7年後の1723年に、マリア・ゾフィア・シェルハンマー=コンリング(1647~1719)という人物が著した料理本が『ブランデンブルク料理書』の名で堂々刊行されました。この書は1692年、1697年、1704年、1713年に『充分に教育を受けた⼥料理⼈』という名称で出版され、その後、内容はそのままに『ブランデンブルク料理書』と改名され、ベルリンで1723年、1732年に出版されました。
バッハの人生に照らし合わせてみてみると、1719年にケーテン侯に頼まれチェンバロ購入の品定めをした旅がきっかけとなり、1721年(36歳)にブランデンブルク辺境伯へ《ブランデンブルク協奏曲》を献呈しています。その2年後にシェルハンマーの『ブランデンブルク料理書』が刊行されたわけで、音楽と料理の繋がりの「妙」を感じさせてくれます。
そんな『ブランデンブルク料理書』に載っている「牛肉の煮込み」のレシピを見てみましょう。
1.牛肉のジュニパーベリー添え
牛肉を少量の水で長時間よく茹でておき、肉の出汁に長時間浸かりすぎないよう水分を切る。酸味のあるリンゴを二つ丸ごと添えて焼き、砕いたジュニパーベリーを一掴み、キャラウェイと胡椒、生姜、ナデシコをそれぞれ少量ずつ加える。煮詰まりすぎない段階で砕いたパンを加えてもよく、リンゴや桃の果汁を加えるのも悪くない。
(マリア・ゾフィア・シェルハンマー『ブランデンブルク料理書』)
前回のモーツァルトのレシピもそうでしたが、今回も塩の記述がありません。今回も加えたい気持ちを抑えつつ、原典レシピに準拠して作っていきましょう。
また、このレシピの特徴は、ジュニパーベリーとりんごを使った牛肉煮込みという点でしょう。ジュニパーベリーは、西洋杜松(ねず)と呼ばれる針葉樹の実のことです。苦みと甘みが感じられるスパイスとして使われるので、この料理の味の肝になっています。
続いて、りんごも牛肉に添えて焼くという興味深い記述にぶつかります。「焼く」という記述を生かしながら、原典レシピを少しアレンジします。両面にコショウした牛肉と輪切りにしたりんごをフライパンで焼いた後に、各種スパイスを加え弱火でじっくり煮込んでいきましょう。バッハが味わった第1の皿として、インパクト十分の牛肉煮込みです。
【材料】(4人分)
牛肉 500g
りんご 1個
ジュニパーベリー 大さじ1
キャラウェイ 小さじ1/2
コショウ 1つまみ
ジンジャー粉 小さじ1/2
食パン 1枚
バター 10g
【作り方】
1. 一口大に切った牛肉の両面にコショウを振りかける。りんごは皮をむいて輪切りにする。
2. フライパンにバターをとかし、1を加えて弱火で10分両面を焼く。
3. 2に分量外の水を肉が浸るくらいまで注ぎ、ジュニパーペリー、キャラウェイ、コショウ、ジンジャー粉を加えて弱火で60分煮込む。
4. クッキングシートを敷いた天板に食パンを置き、220℃のオーブンで2分焼く。カリカリになったパンを砕く。
5. 3を火からおろし、10分蒸らす。
6. 5を皿に盛りつけ、砕いたパンをふりかけて完成。
*ジュニパーベリーはエスビー食品が出している「S&B ジュニパーベリー 7g」の小瓶タイプが入手しやすい。時折、品ぞろえのよいスーパーマーケットにも置いてあるが、上記の単語などで検索し、通信販売で購入するのが確実だろう。
*原典のレシピを尊重し、塩を加えずに作ってみよう。塩味が少ないと思ったら、「追い塩」をして味わうのもよい。
*原典のレシピに登場するナデシコは、生食用花(食べられる花)。入手できたら加えてみるのもよい。