プロコフィエフと耳掃除の話
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
突然ですが、今日は耳掃除のお話です。
先月、耳鼻科で花粉症の薬をもらうついでに耳の調子を少し見てもらったところ、先生に、ちょっと耳掃除をしすぎかもしれないと注意されてしまいました。曰く、「耳の穴の中は耳垢で覆われているくらいのほうがよくて、それによって保護されているんですよ」とのこと。
そうは言われても綺麗にしておきたいし……と思いながら聞いていると「いわば今のあなたの耳の穴の表面は、肌でいうなら垢すりしたあとみたいな状態ですからね」と。
垢すり!!
常々垢すりした直後の状態だなんて、敏感すぎて絶対にダメじゃないの!
この比喩による忠告がてきめんに効いて、頻繁な耳掃除は控えるようになりました。
と、なぜこんなどうでもいい私の耳の穴事情を書いているのかというと、私の耳掃除への“強迫観念”は一体どこからきたのかと考えていて、プロコフィエフだ!と気づいたからなのです。
そもそも、私は耳は掃除しすぎてはいけないという話を知っていました。それなのに、どうして執拗にやってしまったか。
原因は、プロコフィエフが日本滞在中に書いた日記です。
プロコフィエフは、1917年にロシア革命が起きると、混乱を避けてアメリカに渡ることを決意。1918年5月にサンクトペテルブルクを発ってシベリア鉄道で東へ向かい、ウラジオストックから船で福井の敦賀港に渡りました。すぐアメリカに行くつもりでしたが、ちょうど目当ての船が出港したところで、次が出るまでの約2ヵ月、日本に滞在することになります。
来日中、プロコフィエフは日記をつけていました。それがとってもおもしろい。
出航前の7月に東京と横浜でピアノリサイタルを開くことは決まったものの、それまでやることがないため、休暇を楽しむことにしたプロコフィエフ。特急列車に乗って、関西に出かけます。京都では寺院や琵琶湖疏水の風景を満喫し、夜には茶屋で芸者遊びも楽しんだ模様。奈良では公園で鹿にパンをやっていたところ、「周りを取り囲まれてしまった」などと書いています。
そして大阪に滞在したときのくだりで、床屋についてのこんな記述があるのです。
「我が国の床屋にはマニキュア部門があるが、ここには耳掃除部門がある。じつに面白い。我が国の耳の遠い音楽家連中を、こちらに送ってはいかがなものか。」
……これなんですよ、私が、耳掃除をしていないとちゃんと音楽を聴けなくなるんじゃないかという潜在意識を持つようになってしまった理由は! 実に単純な思考回路。プロコフィエフにどんだけ影響受けるんだ、っていう。
しかし我々にとって耳はいわば仕事の道具。健康を保つことはとても重要です。1世紀前の大作曲家が残した皮肉よりも、現代医療の常識にしたがって、今後は耳の穴を適切にお手入れしようと思います。
ちなみにこの日記は、小説を書くことが趣味だったプロコフィエフが主に日本滞在中に書いた作品を集めた本『プロコフィエフ短編集』(群像社)の最後に収載されています。小説も日記も独特の感性が炸裂していてとってもおもしろい! 一読をおすすめします。
『プロコフィエフ短編集』(群像社)
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