読みもの
2020.12.27
洋楽ヒットの裏側で Vol.3

新人同士、手探りのプロモーションと邦題の単数形に込めた想い——a-ha『ステイ・オン・ディーズ・ロード』

インターネットがなかった時代、まさに自らの手で数々の大ヒットを生み出した元洋楽ディレクターたちによる連載。第3回は、「テイク・オン・ミー」の大ヒットで知られるa-haの元担当ディレクター、佐藤淳さんが登場。初めてデビューから担当したアーティスト、a-haの3人との奮闘と、その後の絆を語ります。

佐藤淳
佐藤淳

1983年留年中のところを、ワーナーパイオニア(後のワーナーミュージックジャパン)洋楽部に拾われ、ワーナーブラザーズレーベル、ゲフィンレコードを制作宣伝担当。ポニーキ...

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覚悟はしていたけれど、コロナによりa-haの振替公演の再延期が発表された。

https://www.creativeman.co.jp/event/a-ha/

2020年3月→2021年1月→2022年1月という延期。再会の予定をしていたので少し残念だけど、初対面から35年も経ってしまえば、1年や2年の延期なんて、たいしたこともない気もする。あるいはそう思える年齢になったのか。 

初めて担当する「デビューアーティスト」

ワーナー洋楽部2年生。生意気盛りの20代だった僕は、見習いのくせに不遜なことを思っていた。偉大なるヴァン・ヘイレンやプリンスの担当ディレクターをさせて貰ったのも光栄だけど、いちからアーティストを手掛けてみたい。『1984』も『パープル・レイン』もどっちも6作目のアルバム。何だか歴代の先輩たちの元カノみたい。デビューアーティストを自分の色に染めてみたい、と。

そこにワーナーブラザーズUKオフィス契約のスーパールーキー、a-haの「テイク・オン・ミー」という曲のアドバンステープが届いた。アドバンステープとは、その名の通り新譜の音源カセットで、日本では誰よりも早く聴けるのが洋楽ディレクターのある種の特権であり、楽しみである。

師匠の田中敏明さんと僕のデスクのあいだに赤いカセットプレイヤーが置いてあった。この小さなマシーンでアドバンステープを大音量でかけるのが、ワーナーブラザーズチーム新プロジェクトスタートの号砲だった。

「テイク・オン・ミー」に素早く反応したのは、ヒットメイカーである我が師匠だった。「いけるぞ、この曲。淳、やってみろ」。「はいっ!」と元気良く答えながら、秘かに思った。

来た! 僕だけのデビューアーティストだ。

a-haは1984年デビュー、ノルウェー出身の3ピースバンド。デビュー曲の「テイク・オン・ミー」は、斬新なミュージックビデオとともに大ヒット。全米1位、全英2位を記録した。

同世代の新人同士、一から「ミステイク」だらけのプロモーション

そしてa-haがプロモーションのため来日した。3人と怒涛の取材の日々。年齢が近いし、彼らもデビュー、僕も新米で、マグスの言い方を借りると、「4人でありとあらゆるミステイクをした」。

一張羅の革ジャンジーンズだけだと写真がワンパターンになってしまうので、DCブランドさんから素敵なタキシードやスーツを手配して頂いた。「これがお前のイメージなのかよ!」と、3人から猛抗議を受けながら撮影した。こっちだって新米なのだ、経験則の確信なんかない。3人に似合うと閃いただけだ。写真が素晴らしいことが救いだった。

プロモ来日での3人の頑張りが功を奏し、皆さんに応援してもらって、コンサートで呼んでもらえた。五大都市以外でも演奏することが叶い、革ジャン・ジーンズのドメスティックな強さ(?)を証明できた。

ファンの方が各地の宿舎に押し掛け、メンバーはもうホテルの部屋から出られない。モートンのジレンマが強くなる。「これじゃ囚人だ」「ロビーで長時間待ってくれるファン一人一人にお礼が言いたい」。普通人の常識を忘れないからこその悩みは痛々しい。

デビューシングル「テイク・オン・ミー」が全米ナンバーワンだったことは、その後は足かせとなる。「一発屋」「ビデオだけ」「顔だけ」。心無い言葉が僕にも届く。人気を証明し続けてくれたのは全国のファンのみんなだ。日本でのa-haの人気のバロメーターは、アメリカのチャートじゃない。たくさんの街でコンサートをさせてくれるファンであると叫びたかった。無口なポールが珍しく言ってくれる。「アメリカンチャートと無関係の人気を日本で作れたね」。

2度目の来日だったか。武道館の舞台からマグスが僕の名前を呼んでくれた。「ジュンサトウとワーナージャパンに成功させてくれたことを感謝します」。ベイビーリーダーと呼ばれたお調子者マグスは気遣いの人でもある。

邦題の単数形に込められた意味、そしてそれぞれの道へ

僕が、最後に手掛けたアルバムは『ステイ・オン・ディーズ・ロード』(1988)。時効だから告白すると、原題はStay On These Roadsと複数形なので、僕の邦題は間違っている。道が複数になっているのを不吉に感じてわざと単数形にしたのだが、1990年に別な道を選んだのは僕のほうだった。

a-ha『ステイ・オン・ディーズ・ロード』

2010年サマーソニックで来日したとき、舞台袖から登壇するa-haを見送った。担当当時、何度も何度もそうしたように。「昔みたい」と最後に出て行くモートンが言う。

そうだね。何も変わっていないけど、すべてが違う。お互いの道を遠くに眺めている。3人それぞれの良き旅を願いながら、自分も別な道を歩く。それは再会の日のために。

佐藤淳
佐藤淳

1983年留年中のところを、ワーナーパイオニア(後のワーナーミュージックジャパン)洋楽部に拾われ、ワーナーブラザーズレーベル、ゲフィンレコードを制作宣伝担当。ポニーキ...

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