アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ——冷徹と呼ばれたピアニストの意外なプレゼント
2020年に生誕100年、没後25年を迎えたイタリアのピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ。完璧主義ゆえに「キャンセル魔」と呼ばれた彼が、イタリアのアルピニストたちで結成された合唱団に贈った意外なプレゼントとは? 増田良介さんが紹介してくれました。
ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...
冷徹な完璧主義者ミケランジェリ
2020年は、イタリアの名ピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)の生誕100年、没後25年にあたる。
ミケランジェリのピアノ演奏は唯一無二だ。徹底的に磨き上げられた音、完璧なテクニックで弾かれた彼のドビュッシーやショパンには、ちょっとこの世のものとは思えないような種類の美しさがある。
ただ、彼の現役時代、その演奏を聴くことは簡単ではなかった。ピアノに強いこだわりをもつ彼は、自分のスタインウェイを2台、演奏旅行のたびに現地へ運び、イタリアきっての調律師を常に同行させた。招く側も万全の準備で、細心の注意をもって彼を迎える。にもかかわらず、彼以外には誰にもわからないピアノの不調を理由に、彼はしばしば、演奏会を直前にキャンセルした。
やはり完璧主義で知られた指揮者セルジウ・チェリビダッケはミケランジェリと親しく、しばしば共演していたが、その彼にして、ミケランジェリが客演する前には、オーケストラの団員に、私語をしないこと、笑わないことなど、彼の機嫌を損ねないための注意をしていたという。
それに加えてミケランジェリは、録音嫌い、インタビュー嫌い、パーティ嫌いだった。その完璧な演奏からの連想もあってだろう、いつしか彼には、「冷たい」という形容詞がつきまとうようになる。
冷徹なピアニストの意外な一面
だが、人間というのはそう単純なものではない。ミケランジェリは教育に熱心で、多くの弟子たちを育てたが、彼らからは一切レッスン料を取らなかった。また、各地の教会にはしばしば寄付をしていた。ピアニストとしては確かに冷徹な完璧主義者だったかもしれないが、人間としては必ずしもそうではなかったようなのだ。
ミケランジェリに、「作品」があることをご存じだろうか。実は彼は、SAT合唱団という団体のために、民謡の合唱用編曲を手がけているのだ。これも、ミケランジェリの意外な一面のあらわれた逸話だ。
SAT(Società degli alpinisti tridentini)とは、イタリア北部の都市トレントのアルピニスト協会のことだ。この協会に所属する男声合唱団は、1926年創設というから、100年近い歴史をもつ。日本へ来たことはないが、ヨーロッパ各国はもちろん、米国、カナダ、メキシコ、ブラジル、韓国なども訪れたことがあり、レコード録音も1930年代から行なっている。
ミケランジェリがこの合唱団と出会ったのは10代のころだった。1936年、16歳のミケランジェリは、彼の地元ブレシアで行なわれたこの合唱団の演奏会に参加し、ヴァイオリニストの弟とともに幕間で演奏したのだ。これがきっかけで、未来の大ピアニストと、この合唱団との付き合いが始まる。
アルピニスト合唱団のために編曲のプレゼント
1949年、ミケランジェリは、トレントの北にある町、ボルツァーノの音楽院でピアノの教授となる。ちょうどそのころ、SAT合唱団の創立メンバーのひとりで、指揮も行なっていたエンリコ・ペドロッティが、ボルツァーノに写真スタジオを開いた。ここで彼らは旧交を温めたようだ。ペドロッティの撮ったミケランジェリのポートレートも残っている。
そして彼は、合唱団のために民謡を編曲してくれないかとミケランジェリに頼む。大胆な依頼だが、ミケランジェリはこれを快諾する。彼は、1950年代前半、少なくとも19曲の民謡編曲を行ない、彼らに贈った。
聴いてみると、どれも親しみやすく、可愛らしく、ときにはユーモアさえ感じられる編曲だ。ピアニスト、ミケランジェリの「冷たい」イメージからはおよそかけ離れている。
彼はリハーサルにわざわざ出向いたこともあるそうだ。合唱団の建物には、「尊敬と愛情をこめて。アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ」というサインの書かれた大ピアニストの写真が飾られている。
完璧主義者が見せた「情」
ところで、この編曲のずっとあと、1980年代のことだ。合唱団の人たちが、十数人でミケランジェリのコンサートに出かけていったことがある。ところが、演奏会の前半が終わったあと、アナウンスがあり、演奏会の後半はキャンセルとなった。
実はミケランジェリは、当日のリハーサルでピアノの調律が狂っていると激怒し、全部キャンセルしようとしたのだが、思い直し、今日は合唱団の友人たちが来ているから、と前半だけ弾いたのだという。当日の聴衆が前半だけでも聴けたのは、合唱団の人たちのおかげだったというわけだ。
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