J.S.バッハのCD写真に使われた人々は、いったい誰だったのか
クラシック音楽のCDジャケットデザインには、最大公約数的なお決まりのものがある。「作曲家の顔、演奏家の顔」「作曲家や作品にまつわる美術作品や風景写真」といったあたりは定番中の定番であり、おそらくはそれだけでも半分以上を占めるだろう。
しかし定番とは、言い換えれば安易な選択だということでもある。そこには見る者の目を引き寄せる驚きも(おそらく)なければ、好奇心を刺激してくれる誘惑も(ほぼ)なく、音楽の捉え方を一新してくれるような発見も(たぶん)ない。それゆえ、定番からはずれ、しかも強い力をもつデザインや写真などを使用したCDジャケットは、ときとして収録されている音楽の価値観も変えてしまうほどだ。
中学1年生のときにビートルズで音楽に目覚め、ドビュッシーでクラシック音楽に目覚める。音楽漬けの学生時代を経て、広告コピーライターや各種PR誌の編集業務などをする中、3...
バッハの教会カンタータ集を表すデザイン
僕がCDショップで、その印象的なジャケットを初めて見たのは(リリース時期を調べてみると)2010年の春~夏頃だったらしい。そこに映っていた、青いフードのようなものを被っている少女は、可愛らしい顔立ちながらも何かを訴えかけているような視線をこちらに向けていた。
CDに収録されていたのは、ヨハン・セバスティアン・バッハによる教会カンタータ集。歌と演奏は、イギリスの名匠ジョン・エリオット・ガーディナーと、彼が創設したモンテヴェルディ合唱団およびイングリッシュ・バロック・ソロイスツ、そして声楽ソリストたち。長年、メジャー・レーベルから多くのレコードやCDをリリースしてきた彼らが、奮起して立ち上げた新レーベル「SDG」の主軸となる、教会カンタータ・シリーズの第2弾である。
第2弾?……と思って調べてみると、第1弾には闇の奥からこちらをのぞき込んでいるような男性のポートレイトが使われていた。
さらには第3弾、第4弾と続くシリーズのすべてが、同じフォトグラファーの撮影だろうと思われる、非常に印象深い顔立ちの(そして中近東やアジアの人々であろうと思われる)ポートレイトを使用していたのだ。1枚、また1枚と購入して並べてみると、それは小さな、しかし心をざわつかせるような感触を生む写真展になった。
*
これらのポートレイトを撮影したのは、アメリカ人フォトグラファーのスティーヴ・マッカリー(Steve McCurry)。報道写真家として活動し、世界的に有名な写真家グループ「マグナム(Magnum)」のメンバーでもある彼は、1980年代初期より世界各地の紛争地域などを訪れている。
報道写真の一環として、訪れた地で出会った人々のポートレイトも撮影したのだが、難民キャンプなどで撮影したものも多く、結果的にそれらは世界中に紛争地の窮状を伝えるものとなった。
教会カンタータ・シリーズで使われたのは、アフガニスタンやパキスタンなどで出会った難民たちであり、インドやチベット、ニジェール、ミャンマーなどで出会った人々のポートレイトなのである。
もちろんCDであるから主役は音楽だ。しかし、マッカリーの写真は、J.S.バッハの音楽と、現代の社会における一側面との関係性を問うてくる。しかも、それが「マタイ受難曲」や「ロ短調ミサ曲」といった作品ではなく、日常に近いところで生み出された教会カンタータに使われたということも、なにかしら意味をもつような気がするのは僕だけだろうか。その「なにか」を探すため、僕はそのシリーズを購入し続けたのだ(結果的に全28タイトルを数えることになり、現在はボックスセット化もされている)。
写真が音楽との距離を少しだけ詰めてくれた
白状してしまうと、僕自身はこのシリーズに出会うまで、教会カンタータとは精神的な距離があった。音楽として楽しむことはできるものの、キリスト教信者でもない自分には表面的な理解に意味があるとは思えず、「その世界」へ入り込むことが難しいように思えたのである。
しかし、マッカリーの写真は(いや、人々の視線と表情は)、そのやるせない距離を少しだけ詰めてくれたように思う。少なくとも僕は、教会カンタータというものの普遍性について考えるようになった。今後の(限りある)人生においてこれを聴く時間が増えるだろうし、自分なりに「なにか」を発見するための旅に出る切符を手に入れたような気がしたのだ。
もちろんこのシリーズには諸処の、特に宗教的な問題を懸念する意見があったかもしれないし(顔写真が使われた人々の中には、イスラムやヒンズーなど他の宗教に心を委ねる人も多いことだろうし、自分の顔をキリスト教の音楽に使われることに抵抗する人がいてもおかしくはない)、実際にCDを手にとって違和感をおぼえた人からクレームが入ったかもしれない。これを見て「ちょっと待てよ、J.S.バッハの音楽は本当に“全人類”の宝なのだろうか」と疑問を抱いた人だっているかもしれない。
しかしながら、そうした多様な意見も含め、何かに気づくことこそが「デザイン」と呼ばれる作業の本質なのであり、これからのパッケージ・メディアを左右する存在理由なのかもしれないとも思う。
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