米国のルーツ・ミュージックを保存しているアーフーリー・レコード その創始者クリス・ストラクウィツの仕事に注目して欲しい
ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。
Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。
●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2023年7月号に掲載されたものです。
ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...
ライ・クーダーに褒められたアーフーリーのTシャツ
Tシャツを褒めてもらうのは気分がいいものですが、ライ・クーダーに褒めてもらうのは更に嬉しい話です。ライがニック・ロウと一緒に来日した2009年、取材に伺った時にぼくが着ていたのはアーフーリー・レコードのロゴをあしらったシャツでした。ブルーズ・フェスティヴァルの売店で買ったものでかなり着古したものですが、この前、5月の頭ちょっと久しぶりに着た翌日にそのアーフーリーの創始者だったクリス・ストラクウィツが91歳で亡くなったニュースが流れました。
クリス・ストラクウィツの名前は一般の音楽ファンにはあまり知られていないものの、アメリカのルーツ・ミュージックの好きな人の間ではほとんど神様のような存在でした。
彼が1960年に立ち上げたアーフーリー(南部の方言でアフリカン・アメリカンの人たちが畑で歌った労働歌のこと)で素朴なブルーズをはじめ、フォーク、カントリー、ケイジャン、ザイデコ、ノルテニョと呼ばれるテクサスのメクシコ系の歌など、アーフーリーがなければ記録されずに消えてしまった可能性のあるさまざまな音楽をレコードにして、60年の間に400枚を超えるカタログを築いていったのです。
これというヒット作はなく、ストラクウィツ自身が持っていたSP盤の膨大なコレクションの一部を売却して運営資金に充てることもあったそうですが、それでも一度出した作品を廃盤にすることなく経営を続け、2016年にはアメリカの国立博物館に相当するスミソニアン協会の一部であるスミソニアン・フォークウェイズにレーベルを売却しました。
2021年、アーフーリーの60周年を記念して製作された動画
テレコを持って、消えてしまう貴重な音楽を記録に残したクリス
今なおアーフーリーのアルバムはすべて何らかの形で入手可能です。売却後もストラクウィツはずっと拠点にしていたサン・フランシスコ郊外のエル・セリートでダウン・ホーム・ミュージックというルーツ専門のレコード店を経営し、また彼が大事にしてきた音楽の記録と保存を手がけるアーフーリー財団も設立しました。そのアドヴァイザー役の中にボブ・ディラン、トム・ウェイツ、ボニー・レイト、リンダ・ロンスタットなどの名前が並んでいます。
クリス・ストラクウィツは1931年、ドイツ南部のシレシア地方(現在のポーランド南西部)で農家の息子として生まれました。第二次世界大戦終了後、攻めてきたソビエト軍から逃れて、クリスが16歳だった1947年に家族がアメリカに移住した時点で、彼はすでにドイツで耳にしていた米軍放送から当時のスウィング・ジャズに興味を持っていたのですが、カリフォルニアのさまざまなラジオ局ではヒルビリーやリズム&ブルーズなどの音楽にますます魅了されました。カリフォルニア大学バークリー校に学び、兵役を務め、しばらく高校教師として働きながら積極的にレコードを蒐集しました。
テープ・レコーダーを買っては南部にミュージシャンを探しに出かけ、テクサス州南東部の町ナヴァソタでマンス・リプスコムという小作農家を発見。「ソングスター」(ジャンルに関係なく何でも歌う)と称する彼のギターの弾き語りは1960年のアーフーリー初のLPとして発売されました。
マンスの居間で録音したこのアルバムの最初に作った250枚のうち、現在1枚がアメリカ議会図書館で保管されているそうです。
商業主義の音楽と対極にあるレコード制作
クリス・ストラクウィツは商業音楽のことを「マウス(ネズミ)・ミュージック」と言って嫌っていました。商業の対極にあるアーフーリーのようなレコード会社が60年も存続したのは奇跡的な話のようですが、実は会社の収入を支えたのが楽曲の著作権でした。
特に大きな貢献をしたのが3曲あります。
一つは1965年、バークリーでフォーク・シンガーとして活動していたジョー・マクドナルドが自主制作のEPをクリスの家で無料で録音してもらった代わりに、その楽曲の権利をアーフーリーに譲ったのです。その後ジョーはカントリー・ジョー&ザ・フィッシュのリーダーとして知られ、1969年のウッドストック・フェスティヴァルでは彼がソロで歌った「I-Feel-Like-I’m-Fixin’-to-Die Rag」はクリスに思わぬ収入をもたらしました。
もう一つはミシシピ・フレッド・マクダウェルの曲「You Gotta Move」。ミシシピ州の片田舎で農業を営みながらギターを弾いて歌っていたフレッド・マクダウェルを探しに、クリスは1964年に出かけ、すでに60歳になっていたフレッドの初アルバムを制作しました。古くからある霊歌を取り上げた「You Gotta Move」の彼のヴァージョンをローリング・ストーンズが1971年のアルバム『スティキ・フィンガーズ』で演奏した際、クリスはストーンズ側の弁護士と闘って、癌のために体調が弱っていたフレッドに「人生で最大の小切手を渡すことができた」と回想しました。
そしてもう一つはアーフーリー開業前にクリスが録音した西海岸のブルーズ・シンガー、K.C.ダグラスの「Mercury Blues」。オリジナルは素朴な曲ですが、70年代にスティーヴ・ミラー・バンド、80年代にデイヴィッド・リンドリー、90年代にはカントリー歌手のアラン・ジャクスンが取り上げたため長期的にアーフーリーにとって大事な財産となりました。
個別のアルバムの他にアーフーリーの40周年と50周年をそれぞれ記念した素晴らしいボックス・セットのCDもあり、貴重な未発表音源と詳細な解説の本も付いています。アーフーリーの膨大なレパートリーを知るための入り口としてどれも大変お薦めです。
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