読みもの
2023.12.22
ONTOMO MOOK「ヨハネス・ブラームス 生涯、作品とその真髄」より

ブラームスを知るための25のキーワード〜その8:もらった勲章・称号

毎週金曜更新! 25のキーワードからブラームスについて深く知る連載。
ONTOMO MOOK『ヨハネス・ブラームス 生涯、作品とその真髄』から、平野昭、樋口隆一両氏による「ブラームスミニ事典」をお届けします。どんなキーワードが出てくるのか、お楽しみに。

平野昭
平野昭 音楽学者

1949年、横浜生まれ。武蔵野音楽大学大学院音楽学専攻終了。元慶應義塾大学文学部教授、静岡文化芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授、桐朋学園大学特任教授。古典派...

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名誉博士号やレオポルト勲章をはじめ、7つの栄誉を受ける

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勲章や称号を授かるということが、芸術家の創造行為に何らかの励みになるとか、意欲を掻き立てるとは、私には考えられないが、ただ、そうした機会に返礼として軽い作品が創られることはあるだろう。本来、勲章や称号はそれまでの行為、作品に対する評価として贈られるのであるから、ここでブラームスが授かったそうした名誉を列挙することも、彼の音楽が、当時どれだけ人々に受け入れられたかを知るうえでは、ひとつのヒントになるかも知れない。

(1)1873年のちょうどクリスマスの日に、思いがけないプレゼントがブラームスを驚かせている。バイエルン王のマクシミリアンから、その夏のミュンヘンとトゥッツィングでの芸術的活動に対し、マクシミリアン功労勲章が送られたのである。これが彼の受けた最初の勲章であった。

(2)音楽家に対して、奉義もしていない大学から名誉博士号を贈られるということは非常に稀なことであったが、1879年3月に、ブラームスはブレスラウの大学から、名誉哲学博士の称号を贈りたいという申し出を受けた。そのためには新作の交響曲か祝典的な合唱曲を大学に送らねばならなかった。こうして翌1880年の夏に《大学祝典序曲》作品80が完成されたのであった。なお、学位授与式は1881年1月4日で、その日にはこの作品のほかに《悲劇的序曲》 作品81と第2交響曲作品77をブレスラウで指揮している。

(3)1886年12月にウィーンの音楽家連盟(ヴィーナー・トンキュンストラー・フェライン)の終身名誉会長の地位を与えられる。

(4)1887年1月にプロイセン国家から功労勲章を授与されている。

(5)1889年5月23日、イシュルに滞在していたブラームスの許へ、故郷ハンブルクの市長、カール・ペーターセンからの電報が届いた。その内容は、ブラームスにハンブルクの名誉市民権を授与するというものであった。この名誉市民権の授与には、ハンブルク市議会の賛同が必要というほどの特別の栄誉で、当時もモルトケとかビスマルクといった、偉大な人物12人にしか贈られたことのないものであったという。この授与式は同年9月14日にハンブルクで行なわれたが、ブラームスは同9月に開催されていたハンブルク市主催全国商工業博覧会の関連音楽祭にも出席していた。その音楽祭では、前年1888年に完成させた(86年から作曲)3曲からなる八声部のための無伴奏混声合唱曲《祭典と記念の格言》作品109が、H.v.ビューロー指揮で初演されている。

(6)1889年夏、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフから、レオポルト勲章という、国家に対して特別の功績のあった人に与えられる最高の栄誉を受けている。

(7)1895年5月には、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフから「芸術と科学に功績のあった者」への金メダルが、音楽家では第1号としてブラームスに授与されている。ちなみに、翌年にはブルックナーに贈られている。

第1章 演奏家が語るブラームス作品の魅力
第2章 ブラームスの生涯
第3章 ブラームスの演奏法&ディスク

今回紹介した「ブラームスミニ事典」筆者・平野昭と樋口隆一による「1853年の交友にみるブラームスの人間性」、「ブラームスの交友録」、「ブラームスを育んだ作曲家たち」、「ブラームスの書簡集」をはじめ、多岐にわたる内容を収録!
平野昭
平野昭 音楽学者

1949年、横浜生まれ。武蔵野音楽大学大学院音楽学専攻終了。元慶應義塾大学文学部教授、静岡文化芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授、桐朋学園大学特任教授。古典派...

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