マリア・カラスの凄さとは~生誕100年に振り返るドラマティックな人生と必聴アリア
2023年はマリア・カラス生誕100年。世界各地でさまざまな企画が予定されています。まるでオペラの主人公のようなドラマティックな人生を振り返るとともに、マリア・カラスの凄さを知るための必聴アリア5曲をご紹介。この機会にぜひ、「20世紀最高のプリマドンナ」の声に耳を傾けてみてはいかがでしょうか?
オペラに詳しくなくても、マリア・カラスの名前を知っている人は多いはず。生誕100年となったいまでも彼女の名声は衰えるばかりか「20世紀最高のプリマドンナ」への称賛と関心はたかまるばかりだ。理由な何なのか。彼女の人生を顧みながらその秘密を探ってみたい。
マリア・カラスの生涯
14歳でデビュー、「究極の歌姫」の地位を得る
ニューヨークでギリシャ系移民の子として1923年に生まれたカラスは、両親の離婚後に母とともにアテネにふたたび移住。娘の音楽的素養に気づいた母の尽力もあり、アテネ音楽院で往年の名歌手エルヴィラ・デ・イダルゴの教えを受け、超絶的な技巧を獲得。そしてソプラノ歌手としての類いまれなる才能を開花させる。
実に14歳(!)でアテネ王立歌劇場にて本格デビューして脚光を浴び、その後イタリアに渡り、最初はヴェローナで《ラ・ジョコンダ》に主演してこれまた大成功。当時イタリア・オペラ最高のマエストロだったトゥーリオ・セラフィンの目にとまり、彼の指導を受けつつヴェネツィア・フェニーチェ劇場に登場。そして1950年に殿堂ミラノ・スカラ座で華麗なるデビューを果たしたのだった。
以降、彼女の名声は広まり、ミラノを拠点としながらもローマ、ロンドン、ニューヨークなど多くの一流歌劇場に招聘される。《椿姫》などヴェルディの名作の数々、《トスカ》《ランメルモールのルチア》《ノルマ》《蝶々夫人》《トゥーランドット》などの名作をもってステージにたち、“ディーヴァ・アッソルータ”(最高の [究極の] 歌姫)の地位を獲得した。
多くの伝記によれば、音楽院時代のカラスは地味で無口な少女だったという。本格デビュー後も、肺病を患う椿姫からはかけはなれた体形だった。しかし、そこから彼女は過酷なダイエットでもって女優さながらの容姿を手に入れた。美しい悲劇のヒロインかくあるべし、という信念はそれまでのプリマドンナたちと一線を画すものだった。
絶頂期の彼女の写真をみても、その美貌と華麗ないでたちはハリウッド女優にも匹敵するものだ。映画監督の巨匠ルキノ・ヴィスコンティや、オペラ演出で知られるフランコ・ゼッフィレッリたちがカラスの歌唱と演技を称賛し、舞台の演出を買って出たのも当然のこと。
オペラの主人公のような恋多き女性
オペラ歌手として最高の地位に昇りつめたカラスだったが、その恋愛人生もまた劇的なものだった。
歌手として“ブレイク”し始めた1949年、裕福なイタリア人ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニ(1896~1981)がカラスに猛烈にアタックし、2人は結ばれる。30歳ちかく離れたいわば“年の差婚”。メネギーニはハンサムでもなく、洗練された都会人でもなかったが、カラスが大物であることを見抜いていた。若い彼女に贅沢な生活を提供し、自らマネージャーを務めることになる。裕福なビジネスマンとはいえ、ディーヴァを妻にした男の心境とはどんなものだったか。
カラスもメネギーニに対して愛情を抱いていただろうが、常に自分をコントロールし、ひたすらショー・ビジネスでの成功しか眼中になかったメネギーニは窮屈な存在だったと推察される。ライバルたちのひしめくオペラ界で生き抜き、トップの座を保つために必要なやすらぎを、メネギーニは与えてくれたかどうか。
やがてマネージャーとしてのメネギーニの手腕に影がさし始める。出演に関する契約で訴訟問題を起こすなど、様々なトラブルが発生するようになった。
そんなメネギーニに苛立ちを覚え、カラス自身の声にも衰えが見えはじめて舞台のキャンセルが相次ぐなど、追い詰められていた頃のこと。1959年にカラスは夫と共に「海運王」として知られたギリシャの大実業家アリストテレス・オナシス(1906~1975)から地中海のクルージングに招かれる(この豪華ヨットには元・イギリス大統領ウィンストン・チャーチルも同乗するなど、豪華極まりないセレブたちが同乗した)。これがきっかけとなり、カラスとオナシスとの恋愛関係が始まり、メネギーニとあっさり離婚。
「海運王」オナシスとの恋の破綻と謎の死
オナシスは地位、財産、外見的にもパーフェクトな存在。カラスにとって申し分のない相手だっただろう。入籍こそせず、別居生活ではあったものの恋愛期間は約10年にも及ぶ。しかし、不幸が彼女を待ち受けていた。人生に新たな希望を与えてくれたオナシスが、突如アメリカでジャクリーン・ケネディ(元アメリカ大統領夫人)と結婚してしまうのだ。
裏切られ打ちのめされたカラス、その怒りは原動力となって演奏活動に向けられることもなく、打ちひしがれる姿はまるでオペラの悲劇的なヒロインさながら。
その後、オペラの舞台に復帰することはなく、名テノール歌手、ジュゼッペ・ディ・ステファノ(彼とは恋愛関係であったらしい)とコンビを組み、1973年に世界ツアーを行なったが(74年来日)、1977年にパリの自宅で孤独なまま亡くなった。心臓発作とされているが、直接的な死因についてはいまだ解明されていない。
最高の座に昇りつめ、激しい気性の持ち主と言われながらも、実は愛の支えを必要としていたカラス。オナシスとの恋に破れた歌姫の姿は、ヴェルディやプッチーニのヒロインたちを彷彿とさせる。現代の女性たちの目に、カラスの生きざまはどう映るのだろう。
マリア・カラスを知るための必聴アリア選
1.ヴェルディ《椿姫》より〈花から花へ〉
高級娼婦ヴィオレッタがプロバンス出身の青年アルフレードからのアプローチに心をときめかせ、「どうかしてるわ、そうよ快楽だわ、快楽よ、いつも新しい世界を楽しむのよ!」と歌う。
前半はゆっくりとしたテンポ、後半は華麗なコロラトゥーラで嬉しさのほとばしりを表現。カラスは最終部分で楽譜にない超高音Es(♭ミ)を響かせる。
2. ベッリーニ《ノルマ》より〈清らかな女神よ(カスタ・ディーヴァ)〉
敵の主将を愛し子どもまで産んでいる巫女の長ノルマが、月の女神に平和の祈りを捧げる歌で、カラスの代名詞的なアリア。彼女の持ち役として有名で、生涯で実に90回演じている。カラスの声は“ドラマティコ・ダジリタ”と言われ、太くそれでいて敏捷な動きと高音までカヴァーする特別なものだった。
3. ドニゼッティ《ランメルモールのルチア》より〈あの方の声の優しい響きが〉
恋人と結ばれることを許されず、政略結婚の相手を殺害してしまうルチアによる長大なアリアで、「狂乱の場」として知られる。「あの人(恋人エドガルド)の優しい声が聴こえたの、私はあの人の元にいくわ」という歌詞で、オブリガートのフルート(本来はグラスハープ)を伴いながら、遅いテンポのなかカラスは超絶技巧を存分に披露する。
4. プッチーニ《トスカ》より〈歌に生き、愛に生き〉
(政府への反逆罪で死刑を宣告された)恋人マリオを救いたいのなら、自分のものになるんだな、と脅すローマ警視総監スカルピアをナイフで刺してしまう歌姫トスカ。これはその殺害の前に歌われるアリアで、カラスの迫真の歌唱はいまもって最高峰とされる。
5. ビゼー《カルメン》より〈ハバネラ(恋は野の鳥)〉
ロマの恋多き女カルメンが、実直な曹長ホセをからかい半分で誘惑する歌。実は全曲録音やコンサートで歌っているものの、カラスは《カルメン》を舞台では歌っていない。「恋はね、手におえない小鳥と同じよ。誰も飼いならすことなんてできないの。恋は自由で好き勝手。気ままなものなのよ」と、エキゾチックな旋律にのって歌われる。
2023年のマリア・カラス関連イベント
今年が生誕100年のマリア・カラス。彼女の録音(元EMI)はオペラをふくめ、ワーナークラシックスよりアニバーサリーに向けてLP、デジタル配信でのオペラ曲、コンピレーションアルバムが昨秋からリリースされ、この3月には《ノルマ》(ステレオ録音)のLPが予定されている。今秋までには、LPとデジタルをメインに再発が進行中。
マリア・カラスの伝記映画『Maria』(パブロ・ラライン監督)の制作が進行中。カラス役をアンジェリーナ・ジョリーが務めるのが話題。1970年代のカラスの最後の日々を描くという。
ギリシャのアテネに、マリア・カラス博物館が今夏オープン。アテネ市長コスタス・バコヤニスによるプロジェクトで、カラスに関する膨大な資料が展示される。
スペイン、リセウ大劇場で2023年3月に❝7 deaths of Maria Callas❞を開催。様々な歌手たちが、カラスが得意としたヒロイン7人(カルメン、トスカ、デズデモーナ、ルチア、ノルマ、蝶々さん、ヴィオレッタ)に扮して名アリアを歌う)。
イギリス、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館では『DIVA』と題して、カラスにまつわるオペラ作品、演劇、映画などを通してディーヴァの功績を展示する。6月に開催。
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