読みもの
2024.07.09
特集「ONTOMOパリ・ガイド」

ドビュッシーとめぐるパリ~住居の変遷から作曲家の生きざまが見えてくる?

パリ近郊で生まれ、パリで没した作曲家・ドビュッシー。パリの中で何度か引っ越しをしたドビュッシーの住居の変遷をたどると、どのような作曲家像が見えてくるのでしょうか。青柳いづみこさんがレポートします。

青柳いづみこ
青柳いづみこ ピアニスト・文筆家

安川加壽子、ピエール・バルビゼの各氏に師事。フランス国立マルセイユ音楽院首席卒業、東京藝術大学大学院博士課程修了。武満徹・矢代秋雄・八村義夫作品を集めた『残酷なやさし...

サン=ジェルマン・アン・レイのドビュッシーの生家

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生まれたのはパリ近郊のサン=ジェルマン・アン・レイ

2024年6月10日、パリ・カワイで開催されるコンサートのために現地入りしました。出発前には、7月のパリ・オリンピックを控えて盛り上がっていると聞いていたのですが、それどころではない感じでした。

9日夜、欧州議会選挙でル・ペン率いる極右政党に大敗したマクロン大統領が、一発逆転を狙って解散総選挙に打って出たものの形成不利。事態を案じる左派勢力が大規模なデモを起こしたり、市内は騒然としていました。

フランスは世界に先駆けて大革命を成功させ、1871年3月にも労働者階級初の革命、パリ・コミューンを起こした国です。実は、この出来事がドビュッシーの音楽人生に深くかかわっていることはあまり知られていません。

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ドビュッシーは1862年8月22日、パリ近郊のサン=ジェルマン・アン・レイに生まれました。父親は70年の普仏戦争の余波で職を失い、パリ区役所に再就職したのち、コミューン側の兵士として戦って捕えられてしまいます。母親とカンヌに疎開していたドビュッシーは、土地の音楽家についてピアノを習いはじめます。

監獄に収容されたドビュッシーの父親は、シヴリーというシャンソン作曲家に出会います。息子の音楽教育について相談したところ、母親のピアノ教師を紹介されたのです。モーテ夫人というその母親は、一説にはショパンの弟子とも言われています。

ドビュッシーの生家

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