悪魔と契約を交わした都市伝説を持つ音楽家たち
成功者へのやっかみや、人間業をかけ離れた技術に対して、しばしば言われる「悪魔に魂を売った……」という表現。音楽の世界でも例外ではありません。そんな都市伝説を持つ、音楽の偉人たちのエピソードをまとめて紹介します。
スピリチュアル分野およびサブカルチャー分野で翻訳および執筆活動。特に都市伝説はライフワークに近い形で追い続けており、これからも多くの話を集め、検証していく予定。面白い...
望むものが何であれ、誘惑に負けて悪魔と契約し、それを手に入れる代わりに魂を売り渡す……。キリスト教的寓話に繰り返し登場するモチーフだ。ただ、こうした話は音楽の世界でも語り継がれている。誰もが認める業績を残した音楽家の人生に、悪魔の姿が見え隠れすることもあるようだ。
ジュゼッペ・タルティーニ
この手の話で、最もよく知られているのはジュゼッペ・タルティーニ(1692~1770)ではないだろうか。200曲以上の作品を生み出し、ストラディバリ作のヴァイオリンの最初のオーナーだったとされている人物だ。
18世紀のイタリアやフランスでヴァイオリニストとして高い評価を受けていたが、すぐにキレる性格でも有名だったようだ。名が売れてからも劣等感にさいなまれ、自分の作品や演奏テクニックを他者と比較せずにはいられなかったと伝えられている。
自分よりうまいヴァイオリニストがいることを知ると、どうしても勝ちたくて引きこもりに近い状態になり、1日12時間練習するというストイックな一面を見せることもあった。後世に残る逸話となった出来事が起きたのは、こうした生活を送っていた時期だ。ある夜夢の中に悪魔が現れ、タルティーニにヴァイオリンを弾いて聴かせた。その曲が、代表作であるバイオリンソナタ・ト短調『悪魔のトリル』だったといわれている。
1765年、タルティーニはフランスの著名な天文学者ジェローム・ラランドと話をする機会があった。タルティーニはシュールな夢の中で悪魔が弾いたヴァイオリンの旋律について熱っぽく語り、それを基に曲を書いたことを打ち明けた。悪魔は、「魂を売れば世界一のヴァイオリニストにしてやる」ともちかけてきたという。このエピソードは、ラランドの『Voyage d’un François en Italie』というイタリア旅行記の中でも紹介されている。
死後250年近くが経過しても、人々の記憶に名前と代表曲が残っているのは、悪魔との契約のおかげなのだろうか。
ニコロ・パガニーニ
史上最高のヴァイオリニストと評されることが多いニコロ・パガニーニ(1782~1840)は、3オクターブの音域を行き来する速弾きの超絶テクで名を轟かせた。彼もまた悪魔との関係を噂された音楽家の一人だが、契約を取り交わしたのはパガニーニ自身ではなく、息子を有名にしたかった母親だったと伝えられている。いずれにせよ、パガニーニは歴史に名を残すヴァイオリニストとなった。
7歳でヴァイオリンを父親から習い、13歳からスパロ・ギレッティという巨匠の下で2年間修業したパガニーニは、15歳という若さでイタリア全土を回るソロツアーを敢行する。その演奏スタイルも観客を驚かせた。楽譜をまったく見ないのだ。1回のステージで演奏する曲はすべて暗譜していた。信じられないくらい細く長い指を弦の上で“悪魔のように”躍らせ、『24の奇想曲』や『モーゼ幻想曲』、『魔女たちの踊り』といった楽曲をオリジナリティあふれる演奏で披露した。
ウィーンで行なわれたコンサートでは、ステージに悪魔が現れたと主張する人が続出したという。さらには、「ステージで演奏するパガニーニを見ているパガニーニが聴衆の中にいた」とか、「もうひとりのパガニーニが宙に浮かんだ状態でパガニーニの演奏を見ていた。しかも頭に角を生やし、両足はひづめだった」といった怪現象の噂も広まった。
パガニーニ自身は“悪魔と契約したヴァイオリニスト”という噂を否定することはなく、むしろ自ら広めるような態度を崩さなかった。亡くなったときは教会機構から正式な埋葬を拒否されたという。
本当に悪魔と契約を交わしていたのなら、パガニーニという音楽家は、タルティーニの死後違う肉体に生まれ変わった同じ魂だったのかもしれない。
フィリップ・ミュザール
プロムナード・コンサートという形式を生み出したとされるフランスの作曲家フィリップ・ミュザール(1792~1859)は斬新な音楽性で名を知られることになったが、その成功も悪魔との契約があったからこそだといわれている。
コンサート会場も奇抜な装飾が多く、演奏の仕方もきわめて斬新だった。また、演奏中に“人間とは思えない”と形容される顔芸めいたものをしばしば披露し、これも話題になったようだ。ミュザールのコンサートに訪れる観客は正式にドレスアップすることもなく、むしろ会場の奇抜な装飾にマッチするような派手な服を着て現れ、黙って音楽に耳を傾けていることもなかった。その時代にはまだ使われてはいなかっただろうが、デカダンスとかアヴァンギャルドといった表現がふさわしい観客に対し、ミュザールは奇抜でバリエーション豊かなセットリストを披露して、コンサートを行なうたびに名を広めていった。
やがて、パリでは知らぬ者がいないほど有名になったミュザールに関する噂が広まるようになる。作曲や舞台装飾を含め、ミュザールが才能を発揮できるのは、悪魔と契約を交わしたからだ。そんな話があちこちで聞かれるようになった。そしてミュザールが新しいスタイルの音楽を発表するたびに、悪魔との絆をほのめかす噂の信ぴょう性が高まっていったようだ。
ミュザールと悪魔の関係性を具体的に語るもの、たとえば前出の『Voyage d’un François en Italie』のような資料は一切ない。しかし、その“かぶきっぷり”が悪魔との契約と結び付けられて考えられても無理はなかったのかもしれない
ロバート・ジョンソン
最後に紹介するのは、クラシックという範疇からは外れるが、アメリカ音楽史に名を残す伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソン(1911~1938)だ。『ローリングストーン』誌が発表した“史上最も偉大なギタリスト100人”の5位にランクされたこともあるジョンソンは、オリジナルを29曲しか発表していないにも関わらず、ブルースの世界では神格化されている。そして、彼が悪魔と契約したという話は、もはや既成事実化していると言っていいレベルで語られ続けている。
同世代のミュージシャン、サン・ハウスによれば、ジョンソンはハーモニカこそプロとして普通のレベルだったが、ギターはひどかった。ところが18歳になった頃に数週間姿を消し、再び現れた時には見違えるほどの腕前になっていたという。何かがきっかけで、隠れていた才能が爆発したのだろうか。いや、どうやらそうではないらしい。
都市伝説的なニュアンスで語り継がれている話によれば、自分が望むほどうまくなれないことを悲観したジョンソンは、ある夜ギターを抱きながらふらふら歩いているうちに、ミシシッピ州クラークスデールにある州高速49号線と61号線の交差点に立っていた。そこに悪魔が現れ、魂を売り渡すことを条件にジョンソンのギターをチューニングしてくれたという。魔力を与えた、という表現のほうが正しいだろうか。
『Cross Road Blues』や『Me and the Devil Blues』、そして『Hell Hound on My Trail』など、十字路と悪魔、地獄をキーワードにした曲には、何らかの思いが込められているのかもしれない。27歳で亡くなっているが、死因に関してはパーティーで知り合った人妻に手を出してその夫に刺されたとか、彼の才能に嫉妬したミュージシャンに毒を盛られたとか、憶測の域を出ない話が多い。さらには、墓所の正確な場所もわかっていない。
ジョン・レノン、ケイティー・ペリー、そしてノーベル文学賞受賞者ボブ・ディランも公の場で「悪魔に魂を売った」ことをほのめかす発言をしている。単なる比喩的な表現なのか。それとも、真実の一部が込められた言葉なのか。偉大な才能の向こう側には、この世ならぬダークなものがうごめいているのかもしれない。
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