読みもの
2020.07.15
ビールと音楽の美味しい関係 12杯目

マーラーが好んだシュパーテン醸造所のビール

山取圭澄
山取圭澄 ドイツ文学者

京都産業大学外国語学部助教。専門は18世紀の文学と美学。「近代ドイツにおける芸術鑑賞の誕生」をテーマに研究し、ドイツ・カッセル大学で博士号(哲学)を取得。ドイツ音楽と...

ミュンヘンで開催されるビールの祭典、オクトーバーフェスト。写真はシュパーテン醸造所のテント。

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グスタフ・マーラーは、ミュンヘンにあるシュパーテン醸造所のビールを愛していた。ミュンヘンを訪れると、必ず飲んでいたそうだ。そのビールは、ヘレス(「淡色」の意)と呼ばれるスタイルで、麦芽の芳潤な甘みが特徴である。

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1894年6月20日が、ヘレスビールの誕生日とされている。北ドイツでのピルスナーの普及を受けて、シュパーテン醸造所が淡色のビールを扱い始めたからだ。これを皮切りに、ヘレスビールは市内の醸造所に広がった(翌年にはレーベン醸造所、96年にはプショル醸造所、99年にはアウグスティーナー醸造所がヘレスビールの販売を始めている)。

「元祖ミュンヒナー・ヘレス(Das erste Münchner Hell)」。ラベルの表記通り、シュパーテン醸造所はミュンヘンのヘレスビールの誕生に大きく貢献した。

当主ガブリエル・ゼードルマイアーが冷凍機の研究を支援し、その1号機を醸造所に設置したのだ。冷凍機の誕生によって、ビールは暑い季節でも安定供給され、欧米各国に輸出されるようになった(詳細は「R.シュトラウスのオペラ《薔薇の騎士》が献呈されたプショル家が作るヘレスビール」参照)。

シュパーテンのビールは、1867年に開催された第2回パリ万国博覧会で金賞を得るなど、海外でも高く評価された。現在は、オクトーバーフェストの公式銘柄として、日本でも販売されている。

ヘレスビールが普及して間もない頃、マーラーはミュンヘンで交響曲第4番と第8番を初演している。とりわけ、交響曲第8番(通称:千人の交響曲)は、「ミュンヘン博覧会1910」というイベントで大成功を収めた。当時の新聞は、初演の様子を次のように伝えている。

1910912日、ミュンヘンの新音楽祭劇場にて、グスタフ・マーラー「交響曲第8番」の初演が行われた(作曲されたのは、1906年)。翌日には、同じ場所で1回目の再演を果たした。どちらも、作曲者による感動的な指揮で演奏された。[中略]巨大ホールを2回も満たした聴衆は、演奏が終わるやいなや、終演を惜しむ歓声をあげた。歓声の大きさたるや、筆舌に尽くしがたいものだった。マーラーの敵対者ですら、手をたたき、感動したことを認めたほどだ。

新音楽新聞1990年10月より

初演の成功から8ヶ月後、マーラーはウィーンで亡くなってしまった。交響曲第8番の成功は、まさに作曲家としての到達点だったといえる。

上:交響曲第8番が初演された場所。現在は、ドイツ博物館の交通館。©Maximilian Dörrbecker
左:「ミュンヘン博覧会1910」のポスター。

演奏会が成功した直後、ミュンヘンでは第100回オクトーバーフェストが開かれていた。マーラーもシュパーテンのビールで初演の成功を祝ったかもしれない。

山取圭澄
山取圭澄 ドイツ文学者

京都産業大学外国語学部助教。専門は18世紀の文学と美学。「近代ドイツにおける芸術鑑賞の誕生」をテーマに研究し、ドイツ・カッセル大学で博士号(哲学)を取得。ドイツ音楽と...

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