ボブ・ディラン御大のフェス参戦にざわつきが止まらない!

ジャズという古典に新たな命を吹き込むディランのアーティスト魂

読みもの
2018.05.19
鈴木宏和 音楽ライター
鈴木宏和
鈴木宏和 音楽ライター
広告営業、広告制作、雑誌編集を経て、2000年にフリーランスのライターに。ロックを中心に雑誌、新聞、ウェブ等で執筆。CDライナーノーツも手がける。これまでにフー・ファ...

中高年のロック・ファンにとって、すっかり日本の夏の風物詩として定着したFUJI ROCK FESTIVAL。毎年、“フジロッカー”と称されるリピーターを中心に、のべ10万人規模のオーディエンスが集結する。

かく言う自分もそのひとりなのだが、苗場に会場を移して20回目の開催となる今年は、ついにあの御方が登場するということで、早くも心がざわついている。

そう、ボブ・ディランだ。ローリング・ストーンズやU2らとともに、これまでに何度となく「出るかも」という(おそらくは多分に参加者の願望が呼んだ)噂が巻き起こっていた、まさに生ける伝説。出演時には、なんと齢77になられている。プレミアム感というか、お宝感というか、このようなドリーミーなブッキングは、2001年のニール・ヤング&クレイジーホース以来ではないだろうか。

さて、そのボブ・ディランがキャリアの最終章とも仕上げとも言える時期に差しかかって傾倒しているのが、ジャズ界のレジェンドにして、ジャズとポップスを繋ぐ架け橋的な重要な役目を果たしたフランク・シナトラだ。

2015年にリリースされたアルバム『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』、続く2016年リリースの『フォールン・エンジェルズ』でディランは、シナトラのレパートリーとして広く知られているスタンダード曲を大々的にカヴァーしている。2016年に開催されたジャパン・ツアーのセットリストも、これらスタンダードのカヴァーを中心とした内容だった。

傾倒と述べたが、それはちょっと違うかもしれない。ディラン先生からもお叱りを受けてしまいそうだから、改めるとしよう。フランク・シナトラが歌うスタンダード・ナンバーの素晴らしさ、美しさというものを、自分の目の黒いうちに正しく世に伝承しようとしている、とでも言えばいいだろうか。

 

「私はこれらの曲はどう見てもカヴァーとは思っていない。もう十分カヴァーされてきた曲ばかりだから。実際カヴァーされすぎて本質が埋もれてしまっている。私とバンドがやっていることは、基本的にその覆い(カヴァー)を外す作業だ。本質を埋められた墓場から掘り起こして、陽の光を当てたのさ」(『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』発売時のプレス・リリースより抜粋)

この本人によるカッコ良すぎなコメントからもわかる通り、フランク・シナトラの名唱が体現していたスタンダードの本質的な魅力を知り尽くしている、という自負があるディランは、時代を経ながらカヴァーされ尽くしてすっかり手垢にまみれてしまった楽曲たちを、自らの力で本来あるべき姿に戻したいと考えたのだろう。昨年リリースされた、ディランのキャリア史上初となる3枚組『トリプリケート』でもアメリカン・スタンダード30曲がカヴァーされているというのも、つまりはそういうことなのだと思う。しかも、『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』にしても『フォールン・エンジェルズ』にしても、全盛期のシナトラが使っていた米ロサンゼルスのキャピトル・スタジオでレコーディングされている。

さらに言えば、偉大なる先人/楽曲への敬愛と少年時代へのノスタルジアを思い入れたっぷりに刻み込むといった、終活的な作風とはまるで違っていて、すべて現在のツアー・メンバーとの一発録りで、トラック分けもオーヴァーダブもなければヴォーカル・ブースやヘッドフォンの使用もなし。それこそ僕たちのぬるいノスタルジアを蹴散らすかのように、自身の往年の名曲をことごとく解体して歌うディランが、オリジナルに実に忠実に、そして丁寧に、(メロディを!)歌っている。

テクノロジーを駆使して、いかなるアルバムでも自在に作れてしまう時代に、あえて当時と同様のプリミティヴな手法でジャズという古典に新たな命を吹き込みながら、本質的な魅力に限りなく迫ろうとすること。老境に入り、ますます赤々と燃え続ける、ボブ・ディランのアーティスト魂が見えてくるかのようだ。 

アルバム
フォールン・エンジェルズ

2400円+税(発売中)

アルバム
シャドウズ・イン・ザ・ナイト

2400円+税(発売中)

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