読みもの
2020.03.12
井内美香の「すべての道はオペラに通ず」第11回

古代エジプトを舞台にクレオパトラやカエサルの物語をヘンデルが描くバロック・オペラ《ジュリアス・シーザー》

今、バロック・オペラが熱い!新国立劇場のシーズン公演としては初のバロック・オペラ上演として予定されているヘンデルの《ジュリオ・チェーザレ(エジプトのジュリアス・シーザー)》。クレオパトラやカエサルなど、古代ローマの登場人物たちが、その技を存分に競いあうゴージャスな世界を井内美香さんがご紹介します。

井内美香
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター

学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

アレクサンドル・カバネル作『死刑囚に毒を試すクレオパトラ』

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バロック・オペラがヨーロッパで流行中

バロック時代のオペラは、歌手たちが華麗な歌唱テクニックを披露するために、重唱や合唱は重視されておらず、登場人物一人ひとりが登場してはアリアを歌う、という形式が一般的です。主人公たちの多彩な感情表現、人間の明暗をくっきりと描くドラマが、今日の聴衆にとっても大きな魅力となっています。

そんなバロック・オペラの中でも特に人気があるのがヘンデル作曲《ジュリオ・チェーザレ》

ジュリオ・チェーザレとは、ガイウス・ユリウス・カエサル(英語ではジュリアス・シーザー)のイタリア語読みで、つまり、かの有名な古代ローマの軍人・政治家のカエサルが主人公のオペラというわけです。

1724年にロンドンで行なわれた初演は大成功を収め、その結果、ヘンデルはロンドン・オペラ界に君臨する作曲家となりました。

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ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)。同じ年に生まれた大バッハが生涯ドイツから出なかったのとは対照的に、イタリアで修業し、イギリスで成功を収めるなどヨーロッパを股にかけて活躍したバロック時代を代表する作曲家。
1724年に出版された《ジュリオ・チェーザレ》の初版楽譜。

《ジュリオ・チェーザレ》は権力と愛憎のドラマ

このオペラの正式なタイトルは《エジプトのジュリオ・チェーザレ》です。

ポンペーオ(ポンペイウス)を追ってエジプトに遠征したチェーザレが、女王クレオパトラと結ばれるまでの波乱万丈を描いています。幕が開いてチェーザレが登場するとすぐ、あの有名な「来た、見た、勝った」というセリフ(ラテン語では「Veni, vidi, vici」。紀元前47年のゼラの戦いにおけるカエサルの手紙から。戦地アナトリア・ポントスへカエサルが到着後4時間での勝利だったという)が歌われます。

そしてクレオパトラの弟であるトロメーオ王がポンペーオの首を落としてチェーザレに差し出すというグロテスクな展開、ポンペーオの妻コルネーリアの嘆き、その息子セストの復讐への誓い、野蛮なやり方へのチェーザレの怒り……。

加えて、自分の魅力でチェーザレを陥落しようとするクレオパトラ、トロメーオの部下アキッレのコルネーリアへのよこしまな思い(アキッレは同じくコルネーリアを狙っているトロメーオに裏切られる)など、権謀術数が渦巻く世界が描かれるのです。

イタリアバロックの画家ピエトロ・ダ・コルトーナ作『クレオパトラをエジプトの玉座に座らせるカエサル』

クレオパトラ「主人公はわ・た・し!」名アリアの数々

1724年の初演の舞台では、チェーザレ役にカストラート歌手セネジーノ、クレオパトラ役にソプラノ歌手フランチェスカ・クッツォーニという当代きっての2大スターが出演していました(ほかの配役も豪華でした)。観客は歌手の聴き比べを楽しみに、劇場へ通いつめたのです。

フランチェスカ・クッツォーニ(1696-1778)はイタリア・パルマ生まれの女性ソプラノ歌手。ヘンデルやボノンチーニらが作る人気オペラでしばしば主役を務めた大スター歌手。
セネジーノ(1686-1759)本名はフランチェスコ・ベルナルディ。シエナ生まれで、ヴェネツィアでデビュー後はロンドンやドレスデンでも活躍したカストラート・アルト歌手。ヘンデルの11のオペラを初演した。

ところで、このオペラの題名は《ジュリオ・チェーザレ》なのですが、実は真の主人公はクレオパトラなのでは? と思うことがあります。

クレオパトラ役に書かれた曲は技巧を聴かせるものから切々とした感情を歌い上げるものまでバラエティに富んだ名曲揃いです。権力のためなら色仕掛けもいとわない、というクレオパトラの性格描写が、後半にいくに従ってチェーザレへの真実の愛を吐露するようになり、その変化も聴きどころです。

イタリアバロック期の巨匠ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(1696-1770)作『クレオパトラの宴』。右に描かれているのはカエサル暗殺後、クレオパトラに夢中になったアントニウス。クレオパトラは伝説の美女として、バロック期にもたくさんの絵画の題材となった。

バロック・オペラでは主役の歌手たちが華麗なる技巧を披露するために、ひとつのオペラの中にさまざまなタイプのアリアを歌うことになっていました。《ジュリオ・チェーザレ》では特に、ヘンデルがクレオパトラ役のクッツォーニのために腕によりをかけて書いたアリアの数々が大注目です。

❤をつけたものは、その中でも特に筆者お勧めのアリア 

声で堪能するクレオパトラの魅力

第1幕
「Non disperar がっかりしないで」
クレオパトラが、玉座に執着する弟トロメーオに対し、「がっかりしないで、あなたには玉座は無理でも、恋愛面で成功するかもよ」と皮肉たっぷりに歌う一曲。
メロディが頭に残りやすく、気がつくと鼻歌で歌っていたりする曲(笑)。

「Tutto può donna vezzosa 美しい女は何だってできる」
侍女リディアに変装したクレオパトラはチェーザレに会い、さっそく彼を虜にする。
「美しい女にはすべてが可能なの。愛らしく言葉を発し、眼差しをめぐらせれば」

「Tu la mia stella sei 希望よ、お前は私の星」
クレオパトラはシーザーや、トロメーオに恨みを持つコルネーリアとセストがいるのだから、弟トロメーオにきっと勝つことができる、と希望にあふれて歌う。

第2幕
❤「V’adoro pupille  瞳よ、愛の矢よ!」
チェーザレを宮殿に招いたクレオパトラは、ギリシャ神話のパルナッソス山を模した美しい風景の中で美徳の女神に扮して歌う。「私が崇める瞳よ、愛の矢よ! その煌めきはこの胸に喜びをもたらします」
ラルゴという、ゆったりしたテンポでチェーザレを誘う魅惑のアリア 。

「Venere bella 美しきヴィーナスへ」
クレオパトラがチェーザレを待つあいだ、「美の女神よ、いまだけは私に最高の魅力を与えてください」と歌う。

「Se pieta di me non senti もし私に情けを感じないなら」
チェーザレがトロメーオとの戦いに出て行ったあと、クレオパトラが彼の無事を祈るアリア 。

第3幕
❤「Piangerò la sorte mia 我が運命を嘆く」
クレオパトラは兵士たちがトロメーオ軍との戦いに敗れたため、囚われの身となる。運命を嘆く大変美しい旋律からはじまるが、中間部では「だが、死んだ後には亡霊となり、昼も夜も暴君を苦しめてやる」という激しい感情が表れるのがクレオパトラらしい。

❤「Da tempeste il legno infranto 嵐で船が難破しても」
バロック・オペラに典型的な、状況の困難さを嵐に例えて歌う、技巧的なアリア。海で死んだと思われていたチェーザレが生きてクレオパトラを救いに来た喜びを歌い上げる曲。「嵐で船が難破しても、そのあと、生きて港にたどりつければ、それ以上望むことはない」と高らかに歌い上げる。

冷めた視点をもつバロック・オペラとの相性が抜群なモダン演出

19世紀ロマン派以降の個人の感情を表現するオペラと違い、バロック・オペラでは普遍的な感情表現がみられます。別の言い方をすれば、主人公の喜びも嘆きも、一歩下がって冷めた視点を失わずに描かれている芸術といえるでしょう。そのため、現代人のシニカルな物の見方と共通点があり、それがバロック・オペラが現代において人気がある理由の一つとなっているのだと思います。

それを目に見えるものにしてくれるのがいわゆるモダンな読み替え演出(話の設定を、異なるシチュエーションに置き換える)。内容はさまざまで、眼から鱗の素晴らしいものから、何の意味があるのか!? とあきれてしまうものまで、さまざまですが、バロック・オペラに現代的な演出が似合うのはまぎれもない事実です。映像でも観ることができる3演出をご紹介しましょう。

20世紀のエジプトに時代を替えて、雰囲気はボリウッド!?

グラインドボーン音楽祭

このオペラの演出が長年の夢だったというデイヴィッド・マクヴィガーの舞台。オペラを19世紀末から20世紀初頭の英国とエジプトの軋轢に読み替え、ボリウッド(インドの娯楽映画)的な振り付けのダンスを多用して大ヒットした。何度見ても楽しいエンタメ系演出。

カエサルが中東の石油王に! 賛否両論を呼んだ演出

ザルツブルク音楽祭

内乱で荒れ果てた中東の国にEUから来た石油業者がジュリオ・チェーザレという設定。クレオパトラがロケットに乗って空を飛んだり、派手な効果を狙った舞台には悪評も多かった。名歌手が揃っているのが魅力の舞台だ。

博物館の倉庫で美術品が歌い出す! フランスの奇才の演出

パリ・オペラ座

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