井内美香の「すべての道はオペラに通ず」第8回

毒母《エロディアード》に支配された娘 《サロメ》が愛に生きる時――文学とオペラの危険な関係

読みもの
2019.04.07

「毒親」というワードをニュースなどで良く見かけるようになりました。親が子どもを支配しようとすることは、何も現代の問題ではなく、むしろ古代のほうが酷かったのかも? なにしろサロメは母親の命令で、男の首を切らせてしまったのですから......。

聖書に登場する「へロディアスの娘」こと「サロメ」が、芸術家たちを虜にし、彼らの手を通して毒母へロディアスから独立していく過程を井内美香さんが解説!

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ギュスターヴ・モロー作「幻影」(オルセー美術館所蔵)
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター
井内美香
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター
学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

最近、子どもを自分勝手に支配しようとする親を〈毒親〉と呼ぶことがあります。それで言えば、サロメの母親はまさに〈毒母〉と呼ばれるのにふさわしい存在でした。

聖書の「マルコによる福音書」「マタイによる福音書」、そしてヨセフス著『ユダヤ古代誌』(天地創造からユダヤ戦争直前までが記されたユダヤの歴史書)に出てくるヘロデ大王の孫にあたるヘロディアスと、その娘サロメ。

この母娘は、洗礼者ヨハネ斬首についての記述の中で登場します。洗礼者ヨハネに、律法で許されない再婚(サロメは前夫の子)を非難されたヘロディアスは、ヨハネを亡き者にしようと目論みます。彼女は娘に踊りを踊らせ、その褒美に夫である領主ヘロデにヨハネの首を要求させました。

ルネサンス期ドイツの画家ルーカス・クラナッハ(1472-1533)作《サロメ》

自分を攻撃する男を処刑させるために娘を使う。猟奇殺人事件とも言えるこのエピソードは、若い娘の踊り、という要素も加わり、彫刻、絵画、詩、小説、そしてオペラやバレエなどの芸術に格好の素材を提供しました。

ここではその中から2つの小説と、それぞれを舞台化したオペラ作品2作をご紹介しましょう。

文豪フローベールが描きだす毒母『へロディアス』

サロメの物語は、中世、近代に様々な形で伝えられ、やがて19世紀のフランスで「サロメの踊り」という題材として美術、文学の世界で花開きます。

『ボヴァリー夫人』『感情教育』などで知られ、フランス文学随一の文体家といわれるフローベールの短編小説「ヘロディアス」は、フランス文学史上、サロメの踊りを初めて具体的に記述したものであったと言われています。

実は、フローベールの小説にはヘロディアスの娘、というだけでサロメという名前すら出てきません。しかし物語の最後に出てくる娘の踊りは、人々に様々な幻想を抱かせたのです。

ギュスターヴ・フローベール『三つの物語』(谷口亜沙子訳)光文社古典新訳文庫

「素朴なひと」「聖ジュリアン伝」「ヘロディアス」が収録されている。言葉を究極まで研ぎ澄ませたフローベールにふさわしい吟味を重ねた新訳。
ギュスターヴ・フローベール(1821-1880)
『へロディアス』あらすじ

ヘロディアスは最初に結婚したフィリポとの間に一人娘が生まれたものの、野望のない夫には失望しかなかった。ヘロディアスは夫を捨て、夫の異母弟であるヘロデ・アンティパスのもとに走る。

しかし、この結婚が原因となった政情不安が起こり、12年が経過した今となってはヘロデはヘロディアスとの結婚を後悔している様子。しかもヨカナーン(洗礼者ヨハネ)という男が、兄の存命中に弟と結婚した(当時禁じられていた)ヘロディアスを声高に非難しているのに、夫は彼女を侮辱したこの男の処刑を渋っているのだ。ヘロディアスはローマに置いてきた前夫との娘をマカエラスに呼び寄せ、ローマ人のシリア総督ウィテリウスを迎えたヘロデの誕生を祝う宴で彼女を踊らせる計画をたてる。

物語のクライマックスはこの娘の踊りです。娘は母親の道具として登場し、彼女自身の人格を感じさせるような描写はありません。

「演壇にあがると、娘はヴェールをとった。それは、ヘロディアスであった。かつての、若かりし日のヘロディアスであった。やがて、舞が始まった。」

とあるように娘はある意味、ヘロディアスの分身として描かれています。かつてどんな男をも虜にしたヘロディアスの魅力を、娘は踊りによって表現します。

19世紀フランスの画家 アンリ=レオポール・レヴィ作《エロディアード》(1872)。うつろな目でヨハネの首が乗った皿を持つ娘(サロメ)を威圧的な態度で見ているへロディアスを描いている。

フローベールの「ヘロディアス」は恋愛の物語ではありません。そこには複数の異民族、異文化、異言語のせめぎあう世界での権謀の数々が描かれています。

焦点がへロディアスからサロメの恋心に......マスネのオペラ《エロディアード》

このフローベールの「ヘロディアス」はオペラの原作になっています。

《ウェルテル》《マノン》などの名作で知られるジュール・マスネが作曲した《エロディアード(ヘロディアスのフランス語読み)》がそのオペラです。フローベールの原作に、オペラの台本らしい大胆な改変を施してあり、だからこそ原作と比べると非常に面白い。

ジュール・マスネ《エロディアード》あらすじ

(フランス語の全4幕のオペラ。台本はポール・ミーリエとアンリ・グレモン)

エルサレムのヘロデの宮殿。サロメは幼い頃に生き別れた母親を探してエルサレムまで来たが母は見つからなかった。その代わりに預言者ジャン(洗礼者ヨハネ)に出会いその崇高な姿に打たれ彼を愛している。ヘロデは踊り子サロメを熱愛している。

ヘロディアスは預言者ジャンが自分を悪し様に言うのであの男の首を切ってくれとヘロデに言うが夫は承知しない。高僧ファヌエルはヘロディアスにサロメはお前の娘だと知らせるが、ヘロディアスはヘロデの寵愛を奪うかもしれない女を自分の娘とは認めない。預言者ジャンは逮捕され、ヘロデは彼を救おうとするが、サロメがジャンを愛していることを知り嫉妬から彼の処刑を決める。ジャンは神に祈りながらも自分の中にあるサロメへの愛に気づく。

処刑を命じたヘロディアスにジャンの命乞いをするサロメ。ヘロディアスが娘への愛に目覚めジャンを許そうとするところに処刑が終わったことが知らされ、サロメはジャンの命を奪ったヘロディアスを短剣で刺そうとする。ヘロディアスが「私はお前の母親なのだ」と告げると、サロメは「ならばこの血と命を受け取るが良い!」と短剣を胸に突き刺して自害する。

オペラでは、エロディアードとサロメはお互いが母娘とは知らずに物語が進行します。バリトン(エロド)はソプラノ(サロメ)を愛しているが、相思相愛になるのはテノール(ジャン)とソプラノ(サロメ)。メッゾ・ソプラノ(エロディアード)はソプラノのライバル、というまさにオペラのお約束の4人の関係が物語の主軸となっています。オペラのタイトルは《エロディアード(ヘロディアス)》なのですが、台本と音楽から、このオペラのヒロインはサロメだと言って良いでしょう。

合唱やバレエが多用された華やかな歴史絵巻物としてグランド・オペラ(19世紀フランスで主流だった大規模なオペラ)という形式で書かれたこの作品は、素晴らしい音楽を持っています。マスネらしい甘美な旋律と華やかなオーケストレーションが描き出すのは、愛と運命に翻弄される人々。

このオペラには、サロメが踊りの対価にジャンの首を要求するという場面もありません。そして、ヘロディアスとサロメは、毒母と呼ばれてもおかしくない母親と、その母に愛されなかったが故に愛に生きて愛に死ぬ娘という、感情移入しやすい登場人物たちになっています。

歌劇《エロディアード》~サロメのアリア『彼は優しい人』

フローベールが「ヘロディアス」執筆中の1877年に、サロン展で見たギュスターヴ・モローの絵画《ヘロデの前で踊るサロメ》。
ギュスターヴ・モロー作《洗礼者ヨハネの首の前で踊るサロメ》(1874)。モローはサロメを題材に多数の絵画を制作している。

母の支配からの卒業、自ら踊るサロメ——オスカー・ワイルド『サロメ』

そして、ついには娘が母親の道具であることを卒業する日が来ます。

イギリスの作家オスカー・ワイルドによって小説の主人公はサロメとなり、年若き処女サロメの歪んだ愛情が、ヨハナーンと彼女自身を破滅させる物語となったのです。ワイルドの「サロメ」はフランス語で、フローベールの16年後に書かれました。

オスカー・ワイルド『サロメ』(平野啓一郎訳)光文社古典新訳文庫

『マチネの終わりで』などで有名な小説家、平野啓一郎による新訳版。内容に忠実ながら、繊細で現代的なセンスがある良訳。田中裕介による解説も秀逸。
オスカー・ワイルド(1854-1900)

ワイルドはフランス文学に精通し、フローベールを尊敬していました。ワイルドの「サロメ」は頽廃的な美の世界です。それまでの〈洗礼者ヨハネ斬首〉の物語において、ヨハネの首を要求するのはヘロディアスでした。ヘロデとの再婚を非難されたからです。この再婚の問題は、ユダヤの国の覇権をめぐっての争いでもありました。それに対してワイルドの戯曲では、ヨハネの首を要求するのはサロメであり、その理由は彼女の「異常な愛情」なのです。

オスカー・ワイルド『サロメ』の挿絵として描かれた、イギリスのペン画家オーブリー・ビアズリー作《洗礼者ヨハネとサロメ》
『サロメ』挿絵より《クライマックス》

ワイルドの世界観を音楽に......リヒャルト・シュトラウスの衝撃作

リヒャルト・シュトラウス《サロメ》は、20世紀初頭に書かれたドイツ語の一幕物のオペラです。台本はワイルドの戯曲を、いくつかのカットはあるものの、基本的には設定も言葉も変えずに、そのままドイツ語に訳して使用しています。シュトラウスの《サロメ》は、強烈な不協和音を大胆に使い、背徳的な美の世界を表現して大ヒットしました。今日でも上演が多い人気演目です。

オペラ《サロメ》の中盤でサロメがヘロデに対して踊る〈7枚のヴェールの踊り〉

リヒャルト・シュトラウス《サロメ》

(オスカー・ワイルド原作、ヘドヴィッヒ・ラッハマンのドイツ語翻訳台本)

死海に臨むマカエルス(ヨルダン)の城砦。四分割領主ヘロデ・アンティパスの宮殿で宴が開かれている。ヘロデの後妻ヘロディアスの連れ子サロメは、義理の父親の執拗な視線に倦みバルコニーに逃げてくる。そこに、幽閉されている預言者ヨハナーン(洗礼者ヨハネ)の声が響く。サロメはヨハナーンに興味を持ち、彼を牢獄から出すように命じる。

サロメは神秘的な預言者に魅力を感じるが、ヨハナーンは罪深いヘロディアスの娘サロメを断罪し接触を拒む。芽生えかけた愛情が憎しみに変化したサロメは、ヘロデの望みにこたえて7枚のヴェールの踊りを踊り、その対価として銀の盆にのせたヨハナーンの首を要求する。

同じ〈サロメ〉という題材をもとにここまで違う内容を持つ2つの小説とそれぞれのオペラ。その全く違う魅力を味わうことで、サロメに惹かれた芸術家たちが何を求めていたかを肌で感じることができるのかも知れません。

東京二期会《エロディアード》《サロメ》
マスネ《エロディアード》(セミ・ステージ形式上演)

公演日:
2019年4月 27日(土) 17:00/28日(日) 14:00
(開場は開演の60分前)

会場:  Bunkamuraオーチャードホール

指揮:  ミシェル・プラッソン
合唱:  二期会合唱団
管弦楽:  東京フィルハーモニー交響楽団

R.シュトラウス《サロメ》新制作

公演日:
2019年6月 5日(水)18:30
6日(木)14:00
8日(土)14:00
9日(日)14:00

会場: 東京文化会館 大ホール

指揮:  セバスティアン・ヴァイグレ
演出: ヴィリー・デッカー

第57回大阪国際フェスティバル2019
R.シュトラウス《サロメ》(演奏会形式)

公演日: 2019年6月8日(土)15時開演

会場: フェスティバルホール

指揮・音楽監督: 尾高忠明
管弦楽: 大阪フィルハーモニー交響楽団

詳細はこちら

新国立劇場《サロメ》
R.シュトラウス《サロメ》

日時: 2020年5月17日(日)14:00開演

2020年5月20日(水)19:00開演

2020年5月23日(土)14:00開演

2020年5月26日(火)14:00開演

会場: 新国立劇場オペラパレス

指揮: コンスタンティン・トリンクス

管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団

詳細はこちら

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