インドの衝撃—— 1、2年でヴィルトゥオーゾに!?「ロシアン・ピアノ・スタジオ」の指導法
大学院の研究のためインドに渡航してから、早○年、足繁くインドに通いつつも、クラシック音楽のフリーライターとして活動する高坂はる香さんによる連載「インドのモノ差し」スタート!
初回は、チェンナイにあるピアノ教室の仰天のキャッチコピー、「1、2年でヴィルトゥオーゾに」の謎に迫ります。
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
インド人の自信
随分昔のことになりますが、学生時代、インドに行って間もない頃、携帯電話のカスタマーサポートセンターで、やたら上から目線のインド人男性スタッフと口論になったことがあります。何で揉めたのか理由はすっかり忘れましたが、インドアクセントの早口英語で契約条件についてまくしたてられ、わからなかった部分を聞き返したところ、「君のような日本人には、俺たちのブリティッシュ・イングリッシュは理解できないんだろうなッ!!」と言い放たれました。
「R」をしっかり「ル」と発音する(たとえば、Number1ならナンバル1みたいな感じ)彼の見事なインド英語を耳にしながらも、一瞬、そうか、私はイギリス英語の聞き取りに慣れていないから……と流されかけている自分に気づきました。そして、ああ、この自信と押しの強さがあるからこそ、インドの人々は世界の経済界でも成功できるのだろうと感心してしまいました(きっと彼の単語のセレクトは英国風だったのでしょう)。
長い歴史を持ち、その伝統文化に愛着と自信を持つインドの人々。しかしインドにも、当然グローバル化の波は押し寄せています。
インド古典音楽は今も親しまれ、優れた演奏家は神格化されるほどの尊敬を集めています。一方、インドらしさの中にロックやポップスの要素が取りこまれたインド映画音楽の人気もまた圧倒的です。
では、インドにおける西洋クラシック音楽の浸透度はどんな状態なのでしょう?
インドにおけるクラシック音楽教育の独自路線
イギリス植民地時代、インドにも西洋クラシック音楽は持ち込まれましたが、これはそのままの形で広く親しまれることはありませんでした。
“そのままの形で”と付け加えたのはどういうことかというと、一部の楽器に、完全にインド化された状態で親しまれているものがあるため。例えば、18世紀末に東インド会社の軍楽隊が持ち込んだヴァイオリンは、インド古典音楽の楽器として、奏法をインド式に改変して取り込まれいてます。
T.N.Krishnan氏によるインド・ヴァイオリンの演奏
とはいえ、現在そんなインドでも、西洋クラシック音楽の注目度がじわじわと上昇しています。富裕層の間で、子どもに西洋楽器を習わせることが流行しつつあるためです。
しかし、外国人演奏家を雇うごく一部の教室を除いてはインド育ちのインド人が教えているケースが多く、レッスンの質は高くありません。
*
そんななか、私は数年前、驚くべき看板を掲げたピアノ教室があることを発見しました。その名も、「ロシアン・ピアノ・スタジオ」。
これまでロシアン・ピアニズムを継承する名手の音に幾度となく心奪われてきた身として、果たしてこれが何なのか、気にならないわけがありません。
もしや、名ピアニストがインドに移住し、インド人にロシアン・ピアニズムを伝授することを決意したとでもいうのか? いや、もしかするとロシアで鳴かず飛ばずのピアニストが、インドでならいけるとロシアのメソッドを称して適当に教えている可能性も……。
勝手に想像しながら指導者のプロフィールを見ると、そこには恰幅のいい、生粋のインド人の姿がありました。さらに、クラスの紹介としてYouTubeにあった動画は驚くべきもの。先生と門下生のこねるような指使いと濃厚な味付けの音楽。“この生徒は◯ヶ月でこうなりました”という説明まで添えられています。
クラスのキャッチコピーは「1、2年でヴィルトゥオーゾに」。そんなことがあるのでしょうか。
「ロシアン・ピアノ・スタジオ」の紹介動画
ロシアン・ピアノ・スタジオの実態
その教室は、インド南部、チェンナイのKM音楽院の中にあるとのこと。このKM音楽院というのは、「ムトゥ 踊るマハラジャ」や、アカデミー賞作曲賞を受賞した「スラムドック$ミリオネア」など、映画音楽で有名な作曲家、A.R.ラフマーンが創設した学校です。
ロシアン・ピアノ・スタジオは、この音楽院の特別コース。8歳から入室可能で、学費は年間約20万円。普通のインドの音楽教室と比べると、高額です。
私はさっそく、指導者であるスロジート・チャタルジー先生に話を伺うことにし、加えて、何人かの生徒の演奏も聴かせてほしいとリクエストしておきました。
チャタルジー先生は、1950年生まれ。インド人の師のもとピアノを学んでいましたが、当時の首相インディラ・ガンディーの推薦を受け、1972年から全額奨学金を得て10年間モスクワに留学。“インド人初のモスクワ音楽院卒業生”という、なかなかパンチの効いた肩書きをお持ちです。その後アメリカのロサンゼルスで25年間、貧しい子どものピアノ教育に携わったといいます。
教室を訪ねると予想外の展開が待っていました。
なんと部屋にはチャタルジー・クラスの生徒が勢ぞろい。さらに、親御さんまで集められていたのです。なんでも、日本のジャーナリストの訪問は初めてだから、発表会を行なうことにしたとのこと。チャタルジー信奉者の熱い視線を浴び、余計なことは言えないという緊張を感じます。
そんななか、チャタルジー先生は自信たっぷりにこう語りました。
「普通、良いピアニストになるには、子どもの頃から始めて15年以上かかりますが、私が編み出したメソッドなら、1、2年でヴィルトゥオーゾになれるのです!」
最初に演奏してくれたのは、ピアノを始めて1年だという当時10歳の少女。ピアノに覆いかぶさり、猛烈な勢いで指を動かして、ブラームスのハンガリー舞曲第5番を演奏します。
ピアノ歴1年半、10歳、アッシジさん
演奏曲:ブラームス ハンガリー舞曲第5番
続いて登場したのは、ピアノ歴7ヶ月だという21歳の女性で、演奏したのはクレメンティのソナチネ。
初心者、ましてや20歳すぎで始めたとなれば、普通は各指を独立させて動かすことも簡単でないでしょうが、彼女は指でしっかり鍵盤をとらえ、強弱をつけながら表情たっぷりに弾き進めていきます。情念のこもったような雰囲気、小指を横に倒す指使いに少しドキッとしますが、いずれにしてもそんな短期間でこれほどになるのは、純粋にすごい。チャタルジー先生によれば、「初心者が練習曲を弾くときでも、一音一音に魂を込めることを要求する」のだそう。
ピアノ歴7ヵ月、21歳、サヴェリさん
演奏曲:クレメンティ ソナチネ第10番 第3楽章
その後、20代半ば、ピアノ歴3〜5年という門下生トップの青年たちが、得意のショパンを披露してくれました。一部のプロピアニストがするように、しばしピアノを前にかがみこんで精神統一をしてから弾き始め、たっぷりタメをつくりながら、鍵盤をこねるようなタッチでねっとりとメロディを歌わせます。ワルツなどは、伸び縮みにより三拍子とは別次元の何かになっています。
ピアノ歴3年、24歳、ラメシュワルさん
演奏曲:ショパン 24の前奏曲より 第15番「雨だれ」
ピアノ歴5年、24歳、プーニートさん
演奏曲:ショパン ワルツ 第7番
しかし、これも一般的なショパンのワルツの解釈を知って聴くから違和感を覚えるのであって、もともとこの曲を知らなければ、豊かな情感に心を動かされるのかもしれません。単に正確なリズムで無感動に弾かれるより、よほど心に残るような気もします。彼らが真剣にピアノに向かう様と、そこから放たれる強烈なエネルギーを目の当たりにしていたら、そんな気持ちになってきました。
チャタルジー先生は、生徒の演奏を満足げに眺めながら、こう話しました。
「私はロボットのような演奏を絶対に許しません。メトロノームのようなリズムも地獄行きです! 私のメソッドでは、ピアノで歌うことができます。そのためにはまるで骨ナシのような手が必要です。ピアノと絆を結び、指で呼吸をしながら演奏しなくてはなりません」
演奏を聴き終えた衝撃を抱えたまま、ギャラリーの目線を気にしつつ、先生に質問をぶつけてみました。その問答の一部をご紹介します。
チャタルジー先生にインタビュー!
——クラス名に「ロシアン」とついているのは、ロシアン・ピアニズムと関係があるのでしょうか?
チャタルジー このメソッドは、ロシアの奏法にインスパイアされていますが、基本的には関係ありません。クラス名に「ロシアン」と入れたのは、私が学んだ場所、モスクワ音楽院へのオマージュです。
インドには西洋クラシックの伝統がないので、ロシアや日本のように長期間の訓練を続けることは難しいものです。そこで私は、たった1、2年で、演奏技術と音楽家としての精神が身につくメソッドを編み出しました。これは、アメリカで貧しい子どもを教えていた経験の中で生まれました。彼らはすぐ結果があらわれないとドロップアウトしてしまうため、どうしたら早く弾けるようになるのかを模索したのです。
——ショパンなど、テンポを揺らした独特の解釈でしたね。
チャタルジー 音楽は感情表現ですから、メトロノームに従ったテンポでは奏でられないものです。
以前ある人が私に、ピアノ教育のノーベル賞が取れるのではといったことがありましたけれど、もちろんそんなことは起きません。それは、どんな国や地域にもそれぞれの文化があり、音楽について感じることに世界的なスタンダードはありえないからです。ラフマニノフやショパンについて、例えばイギリス人が私と同じように感じるとは限りません。誰もが、自分の心にもっとも近いものをすばらしいと認め、受け入れるのですから、そこには違いが生じて当然です。
——身体の動きも大きく、指使いも独特ですね。それには何か意味があるのでしょうか?
チャタルジー 演奏する際の見た目は大切です。演奏中、その顔の表情からは、痛み、喜び、勝利が伝わらなくてはいけません。すべての身体の動きも表現にとって意味があるのです。
——日本ではときどき、「顔で演奏するな」と言われることもありますが……。
チャタルジー 間違って捉えてほしくないのですが、彼らはわざと顔や体を動かしているわけではないのです。私のメソッドでは、演奏していると音楽への愛情や思いが表情に出てしまうということです。
まだ人類が言語を使っていなかった頃、彼らはボディランゲージで意思を通わせ、子孫を残しました。ボディランゲージの力は大変なもので、言葉はそのずっと後にできた……むしろ嘘をつくためにできたものと言っていいかもしれません。身体の表現は嘘をつきません。
音楽には魂があります。演奏者はあなたの前でその魂を見せる。これは教会での祈りと同様、ほとんど宗教的な営みです。
——インドには優れた伝統音楽がありますが、西洋クラシック音楽にも親しむ必要があると思いますか?
チャタルジー 先ほども話したように、私はとてもインド人的な人間です。西洋クラシックを勉強したからといって、西洋人のメンタルになるわけではありません。しかし他の国の音楽を勉強することで、より大きな人間になれるということは確信しています。
このクラスのもっともすばらしいところは、学ぶことによって人間として大きく成長できるという点です。私は歴史や地理についても多くのことを知っていますので、生徒にはロシアや中国、イギリスについて教えることもできます。私が教えているのは音楽のことだけではなく、総体的なことなのです。むしろ、音楽やピアノは口実といってもいいでしょう。私の生徒は、ピアノを通して人生を奏でているのです。
インドではまだ、西洋クラシックの文化は生まれたての子どものようなものですが、いつかロシアや日本のように豊かな伝統を持つようになるかもしれません。
グローカル化するインドに学ぶこと
チャタルジー先生の話を聞くうちに、私の頭の中には「グローカル化」という言葉が思い浮かびました。これは、グローバルとローカルをあわせた造語で、世界規模で広まるものを、土着の精神や身体表現に合う形で変質させ、受け入れていく現象のことです。
インドの音楽文化におけるこの現象については、インドがハルモニウム(手漕ぎオルガン)をインド古典音楽に取り入れ、それがさらにキーボードに取って代わられていった現象について論考している、岡田恵美著『インド鍵盤楽器考 ハルモニウムと電子キーボードの普及にみる楽器のグローカル化とローカル文化の再編』(渓水社)で詳しく論じられています。
このグローカルの話は、冒頭で紹介したインド英語の話にも少し通じるかもしれません。今やムンバイあたりの富裕層は、日常会話でかなり英語を取り入れていますし、インド映画でも、セリフに英語が混ざることが増えています。それも、インドアクセントであえて話すことこそが今風なのだとか。確かにどんなスター俳優でも、劇中の英語はがっつりインド風です。独自に育んだ文化に対して自信を持つことに、なんの迷いもないのでしょう。
チャタルジークラスの演奏について、楽譜に忠実かということや、長く弾いたときの身体への負担など、疑問を抱かずにいられない点もあります。一部のインドの指導者から批判を受けることもあるらしいですが、それも仕方ないかもしれません(ちなみに、彼らの演奏動画をピアニストの脳神経の研究で知られる医学博士、古屋晋一さんに少しお見せしたところ、身体の故障の可能性は否定できないながら、これだけ大きく動かすことが、脳に指使いなどを覚えさせることに役立っているのは確かだろうとのこと)。
ただ、一般的な習わしを取り払ったインドのこのやり方の中に、画期的なアイデアが隠されているようにも思うのです。もしかすると、大人のピアノ学習に生かせること、伝える力を育む方法など、日本でも取り入れられることがあるのではないでしょうか。
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