日本の楽器メーカーは、人口13億人超のインド市場にどう挑んでいるのか
足繁くインドに通う、クラシック音楽のフリーライター、高坂はる香さんによる連載「インドのモノ差し」。
第2回は、インドで西洋楽器が受け入れられている背景と、日本の楽器メーカーの取り組みを紹介します。ヤマハの現地法人社長にもインタビュー!
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
受験に有利だから、楽器を習わせる!?
インドでも今、富裕層の間で、子どもに西洋楽器を習わせることが流行しつつあります。インド古典音楽を習わせる習慣も、もちろん続いていますが、そこに、ピアノやヴァイオリン、ギターといった西洋音楽の楽器が、少しずつつ幅をきかせはじめているのです。
趣味や教養として身に付けたい、インド映画で観てあこがれたから……など、その理由はいろいろですが、中でも大部分を占めているのが「受験に有利だから」というもの。
実はインドでは、大学進学にかかわる試験の際、日本でも実施されている、英国王立音楽検定やトリニティ音楽院のグレード検定の一定レベルをパスすることで、実技試験が一つ免除となるのです。それを狙って、一部の親が目の色を変えて子どもに楽器を習わせる……もとい、検定のグレードを取らせます。
インドの受験戦争は熾烈。何年か前、インドの集団カンニングが摘発されましたが、その際には、子どもにカンニングペーパーを渡そうと建物の外壁をよじ登るたくさんの保護者の姿を捉えた写真が海外ニュースで取り上られげていました。
ある音楽学校のスタッフは、「インドでは今も何世代もが一緒に生活する習慣があるから、親は将来子どもから面倒を見てもらうことを前提に、良い大学に入って、良い仕事についてたくさんお金を稼いでほしいという思いで、全力で学業をサポートするのだ」と話していました(カンニングの手伝いは、学業のサポートとは言えないと思いますけれど)。
ちなみに私の友人のインド人男性は、公的な年齢が実年齢より1歳上になっているそうです。曰く、子どもの頃「早く学業を終えれば、早くお金を稼ぎ始めることができる」という理由で、親が1歳上にサバを読んで早く学校に入れたから。冗談かと思ったら本気でした。衝撃的ですね!!
さて、そんな西洋楽器の需要がじわじわと増しているインドで、2019年、ヤマハがついに楽器製造をスタートしました。外国の大きな楽器メーカーがインドで現地生産を行なうのは、これが初めてです。
人口13億6千万人という巨大市場でのビジネスに、ヤマハはどんな展望を持っているのでしょうか。
今回は、おそらく鋼の心臓の持ち主でないと務まらない役職、ヤマハ・ミュージック・インディア社長の芳賀崇司さんに伺ったお話を、インドの鍵盤楽器受容の背景とあわせてご紹介します。
初めて乗り込んで市場を築いたカシオ
インドでは、1990年代からキーボードの需要が拡大しました。その立役者となったのは、実はカシオ計算機。カシオ製ミニキーボード「カシオトーン」が輸入販売され、どんどん販売台数を伸ばしたのです。インドでは、もともとハルモニウムという手漕ぎオルガンが親しまれていたこともあり、その代用として、ミニキーボードはすんなり受け入れられました。
カシオトーンは、インドではメーカーにかかわらずキーボード全般が「カシオ」と呼ばれるようになるほどの定着ぶりを見せました。昔、日本でも、コピーすることを「ゼロックスする」と言っていたらしいですが、それと似た現象ですね。
カシオは、1996年に現地法人カシオ・インディア・カンパニーを設立。インド映画俳優が着用したことで腕時計のGショックが人気を集めたり、インド式の桁表示に対応した電卓がヒットしたりと、キーボード以外でも成功します。
一方、キーボードは、インド音階やインド楽器の音色を取り入れたものがよく売れました。
ヤマハは音楽教育からアコースティックピアノ市場へ
一方、ヤマハが現地法人のヤマハ・ミュージック・インディアを設立したのは、2008年のこと。最初にその話を聞いたときは、高度経済成長期の日本、さらには近年の中国のように、音楽教室の展開とともにヤマハがインドにピアノブームを巻き起こすのか!? と、興奮したものでした。
ヤマハは現地法人の設立以来、地域に根ざしたキーボードの開発だけでなく、アコースティックピアノ市場の拡大を視野に入れた、音楽教育事業に取り組んできました。
とはいえインドでは、アコースティックピアノをまともに扱えるディーラーや、適切なメンテナンスができる技術者があまりいません。夏は暑く、雨季は猛烈な湿度の日が続く地域が多いので、アコースティック楽器の管理は大変なのです。
そんな現状を改善するべく、ヤマハでは調律技術者の育成にも力を入れてきました。
ヤマハ・ミュージック・インディアの松井久芳さんによれば、調律技術向上セミナーを開催すると、参加者の多くは、親から教わったとか、Youtubeを見て勉強したといって、我流のやり方を身につけてしまっているそう。
そういう人に正しい技術をつけ直してもらうとなると逆に難しいため、最近は、ヤマハの若いインド人スタッフから向いていそうな人を抜擢し、ゼロから育成することに取り組んでいるそうです。
こうして地道な活動を続けるなか、彼ら「適正な技術を持つ調律師」には強力なライバルがいるといいます。
それは、ピアノの88鍵のうち、“よく使う真ん中の部分”だけを安い金額で調律する調律師。鍵盤数の少ないハルモニウムの延長で使う人が多いせいか、それでいいという顧客も多いのだとか。合理的といえば合理的。さすがインド人です。
南インドの大都市、チェンナイとは?
さて、そんな奮闘を続けて約10年。ついに、ヤマハは現地製造に踏み出したわけです。とはいえ、アコースティックピアノの製造予定は当面なく、製造するのは、キーボードとアコースティックギター。いずれは音響機器の製造にも取り組む予定だそう。
ヤマハが今回工場を設立したのは、南インド、タミル・ナドゥ州の州都、チェンナイ。自動車産業の集積地で「インドのデトロイト」と呼ばれる場所ですが、北西部のムンバイや、北部に位置する首都デリーのような都会的な忙しさは感じられません。人々の多くはタミル人で、タミル語を話します。
チェンナイは言葉だけでなく、食文化も北インドと異なります。日本でも昔からよくあった、ナンの添えられたこってりしたインドカレーは、その多くが北インド料理。
一方、南インド料理の主食はお米。バナナの葉の上によそわれた、いくつものおかず(いわゆるカレーですが、野菜のスパイス炒めやサラサラ系カレーが主)と米を、指で混ぜて食すスタイルです。基本的におかわり自由なので、給仕のおじさんが巡回しつつ、もっと食べるか? そのおかず、もうないぞ! と、わんこそばスタイルでおかわりをお勧めしてくれます。
食後の飲み物も、チャイ(スパイス入りのミルクティー)ではなく、甘いミルクコーヒーが定番です。最近は日本にも、南インド料理が食べられるお店が増えてきました。
南インド、チェンナイのミールス。バナナの葉の上で食べます。(日本でいう定食のようなもの)
おかわりをどんどん勧められるので、うっかりすごい量食べてしまいがち。 pic.twitter.com/abzDprxhkt— 高坂はる香(音楽ライター) (@classic_indobu) February 7, 2020
テーブルにバナナの葉を開き、少量の水をピシャっと広げたら、料理のサーブがスタート。この水、大丈夫かな……などという細かいことを気にしていたら、インドではごはんが食べられません。
異例の早さで進んだチェンナイ工場の設立
さて、かなり話が脱線しましたが、ヤマハの楽器製造に話を戻しましょう。
チェンナイ工場は、2017年7月に着工、1年後に建屋が完成、2019年4月に本格的にキーボードの生産を開始しました。そして同年11月からは、アコースティックギターの製造もスタート。2020年1月現在、400名弱の従業員が働いているそうです。
インドでのビジネスは、法的な手続きに時間がかかることが多いですが、今回は異例のスムーズさで事が進んだといいます。
それには、モディ首相のメイク・イン・インディア政策(インドでのものづくりを促し、外国資本の投資を誘致する経済改革)の流れに加え、ちょうどチェンナイ市が、外資の受け入れ手続きが遅いという悪評がたったことを払拭しようと躍起になっていたためだそうです。
ヤマハはこれまで日本以外に、中国、インドネシア、マレーシアに生産拠点を置いてきました。現在、チェンナイ工場の責任者も務める芳賀崇司社長は、「次の生産拠点は世界のどの場所にするか?」という大スケールな場所選びの段階から携わったといいます。
そんな芳賀社長に、インドの生産拠点としての魅力について、お話を伺いました。
ヤマハ・ミュージック・インディアの芳賀崇司社長にインタビュー!
——候補地の中から、最終的にインドが選ばれた理由はなんでしょうか?
芳賀 昨今、中国も人件費が上がっている中、これから生産のキャパシティを増やすならどこを拠点とするかという話が出たのが、2015年ごろです。生産拠点の立ち上げを経験した人材が抜けてしまう前に、次の世代にノウハウを伝えておこうという考えもありました。
既存の工場がない国で、立地条件、労務費などを検討した結果、人件費が抑えられることに加え、やはりこの市場の大きさが備わったインドを選ぶことになりました。
将来的に、中近東やアフリカでの製造の可能性を視野に入れるなか、インドで立ち上げを経験しておくのは良いステップになるだろうという思惑もあります。
——以前からインドではカシオのキーボードが広く販売されてきましたが、全て輸入です。キーボード市場のライバルとして意識するところはありますか?
芳賀 キーボードをカシオと呼ぶというくらいがんばっていらっしゃるので、戦っていかないといけない部分もあるのでしょう。ただ、私としては、そのために現地生産を始めたというより、全体の市場を大きくするためという意識が強いですね。お互い市場を取り合うのでなく、カシオさんとも協力して、音楽人口を大きくする方向に進めたらいいなと思っています。そうでなくては、将来がありません。
——インドの従業員の仕事ぶりはいかがですか?
芳賀 スタッフ、工場のオペレーターとも、水準が高く向上心もあります。ただ、これは国民性なのかもしれませんが、本当にこちらが言ったことを理解してもらえているのか、ちょっと不安になるときはありますね。自分たちに良いように解釈して進めて、我々の望んでいることとギャップが出てくることが時々あるかな。その辺は気をつけて見ていかないといけません。
インドの方が返事をするときの頭の振り方って、日本人からするとイエスかノーかわかりにくいですけれど(注:彼らはイエスの意味で小首をかしげます。前出のレストランの給仕のおじさんの動画参照)、それに象徴されているというか……わからなくてもはっきり言ってくれないことが多いかもしれません。
——メーカーの製品ですから、各自で臨機応変に解決されては困るでしょうね。インドっぽいといえばインドっぽいですが。
芳賀 そうそう、それが良い結果につながることもあるかもしれませんが、品質確保の意味では勝手な判断をされると困るのです。とはいえ、市場に出る製品にはテストが行なわれますから、品質の確保という意味では問題ないでしょう。
——「それが良い結果につながるかも」とおっしゃるあたりに、芳賀さんはインドで仕事をするのに向いていらっしゃるんだろうなと思ってしまいました(笑)。
芳賀 ははは(笑)。まぁ確かに、何もかも頭から押さえつけるのは良くないとは思ってます。実際、そこにヒントが転がっていることもありますからね。
固定概念があると、それから外れたくなくなってしまいがちですが、これは、大きな間違いかもしれません。外からの視点や、ひらめきは大事にしたいです。そして大変なときも、明日は明日があるさ、みたいな気持ちでやっていますよね。
——インド向けの商品開発も、現地生産をはじめることで、日本の本社を通していたときより効率がよくなりそうだと伺いました。
芳賀 そうですね、今後は現地の情報をどんどん物作りに反映したいです。
他の会社では珍しくないのかもしれませんが、実はヤマハとしては、製造と販売が一体の会社は、このインドが初めてなんです。営業・販売と製造がツーカーの関係であることが、良い方向に作用したらいいなと期待しています。
——日本の本社からの期待感はどうでしょう? インドのビジネスはどういう位置付けにあるのでしょうか。
芳賀 マーケットとしてはアメリカ、ヨーロッパ、日本が中心で、そこに中国が伸びてきている現状の中、次にくる場所として、インドは注目されています。
日本でもかつて、ヤマハ音楽教室が大きな役割を果たしました。すぐ売り上げにつながるわけでなくても、先行投資をして、インドでの音楽教育の推進、学校への働きかけを広げていかなくてはいけません。
いずれにしても、このチェンナイ工場は、オール・ヤマハの支援のもと、現在に至っています。特に、既存の海外の工場の協力が大きな助けになりました。
例えば、私が以前駐在していたマレーシアの工場には、マレー人のほかに、中国系、インド系のスタッフがいるのですが、実はこのインド系がタミルからの移民で、家ではタミル語を話しているんです。そこでこのチェンナイ工場では、そのインド系マレーシア人スタッフを駐在員として招き、通訳などとして活躍してもらいました。彼らはすでにヤマハのやり方を理解していますから、助かりましたね。
日本人だけでなく、世界各地のローカル人材を活用する、良い事例になったと思います。
——インドの仕事に携わっているうえでの抱負はありますか?
芳賀 まず工場の責任者としては、良いものをしっかり作っていくこと。ヤマハ・ミュージック・インディアの社長という立場としては、市場の開拓を進めいくこと。この両輪で軌道に乗せていきたいです。
あと、これはどこの国でも同じですが、工場をつくった以上、やっぱりインドのためになることをやりたいですね。例えば、雇用の促進などで地元に貢献する。そうして、地域に根の張った工場であり、ヤマハ・ミュージック・インディアにしていきたいです。私たちの商品は、人を幸せに、豊かにするものですから。会社からは、早く儲かるようにしろと言われると思いますけれど(笑)。
そして、縁があって私たちの会社に入ってくれた人が成長し、生活が豊かに、家族が幸せになってくれることが、私の一番の夢です。
*
芳賀社長のお話からは、単に「人件費が安いからそこで作る」というのではなく、地元に貢献するという考えを大切にしていることが感じられて、チェンナイのみなさんにかわって、私が嬉しくなってしまいました。もちろん、同時にビジネスとしても成立させなくては、持続可能にならないわけですが。製造業において、こういうトップの方が増えることで、少しずつ、世界の地域による格差がゆるむ流れに向かったらいいのにと思います。
楽器を作るからには、音楽教育にも、さらに積極的に力を入れていくというヤマハ。これからインドでどんな展開が待っているのか、期待がふくらみます。
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