インド唯一のプロオーケストラの内情は、日本のクラシック界に問題提起?
足繁くインドに通う、クラシック音楽のフリーライター、高坂はる香さんによる連載「インドのモノ差し」。
第3回は、指揮者ズービン・メータの出身地、ムンバイのクラシック音楽事情と、2006年に設立されたインド唯一のオーケストラ、シンフォニー・オーケストラ・オブ・インディア(SOI)を紹介。SOIのイギリス・デビュー公演追っかけレポートつき!
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
世界的指揮者ズービン・メータを生んだ街、ムンバイ
インドが生んだ世界的クラシック演奏家といえば、それはもう、指揮者のズービン・メータさんでしょう。
近年、欧米育ちのインド系クラシック演奏家は見かけるようになりましたが、メータのように、インドで生まれ、初期の音楽教育もインドという背景のもと活躍している人はいません。そもそも、インド系で、著名オーケストラの要職を歴任し、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで何度も指揮台に立つような大スターは、メータだけです。
今回は、そんなメータを生んだムンバイという街のオーケストラ事情をご紹介します。
その前に、メータのような存在がムンバイから生まれた経緯について、簡単に触れておきましょう。
メータは1936年、ムンバイのパールシーの家庭に生まれました。パールシーとは、ペルシャにルーツを持つゾロアスター教のインドでの呼称。富裕層が多く、インド最大の財閥タタ・グループもパールシー一族です。QUEENのフレディ・マーキュリーもパールシーの家庭の生まれであることが知られています。ムンバイに多く居住し、意識や趣味嗜好が西洋よりなところも特徴です。
メータが音楽の道に進むきっかけを作ったのは、父メーリ・メータでした。メーリは、名ヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツが、上海行きの途中にムンバイで行なったコンサートを聴いて、この楽器の虜になります。すると、ほぼ独学でヴァイオリンと指揮を勉強し、移民や軍楽隊のメンバーを集めて、1935年、ボンベイ・シンフォニー・オーケストラを作りました。
自宅が練習場状態だったこと、父が大量のレコードを持っていたことから、メータは子どもの頃から音楽に親しみます。加えてプネー在住のイタリア人教師のもとに通い、音楽理論を学びました。そして1954年、18歳でウィーンに留学。わずか4年後にリヴァプールの指揮者コンクールで優勝し、その後は大指揮者の代役のチャンスをものにして売れっ子の仲間入りを果たしました。
インドにいた頃はオペラなど聴いたこともなく、生で触れた演奏もムンバイの楽団のものばかりだったということですから、奇跡的なサクセスストーリーです。
一方の父メーリも、
とはいえ、メータは何年かに一度、世界的オーケストラを率いてインドで凱旋公演を行なってきました。1995年には、父の活動への敬意を表してメーリ・メータ財団を設立。この財団は今も音楽教育プロジェクトを行なうほか、数年に一度、一流オーケストラやソリストを招聘しています。
インド唯一のオーケストラの奏者の多くは、インド人ではない!?
他国の大都市と比べれば、クラシック人気はまだまだのムンバイですが、インド国内ではクラシック聴衆人口の多い場所です。そんなこの街には、インド唯一のプロオーケストラが存在します。
その名は、シンフォニー・オーケストラ・オブ・インディア(SOI)。クラシック音楽以外にもさまざまなイベントを行なう、ナショナル・センター・フォー・パフォーミング・アーツ(NCPA)を拠点とする楽団で、2006年に創設されました。運営側の関係者にはやはりパールシーが多いですが、前述のメータの父が作ったオーケストラとは基本的に関わりのない団体です。
創設のきっかけは、NCPAの会長がイギリスでオーケストラの演奏会を聴いて感銘をうけたこと。ムンバイでもまたクラシック音楽の文化を蘇らせたい! という想いを抱き、その日の出演者だったカザフスタン人ヴァイオリニスト、マラト・ビゼンガリエフさんにムンバイで演奏してほしいと声をかけたことがはじまりだそう。
これをきっかけに話がふくらみ、ビゼンガリエフさんを音楽監督に迎え、オーケストラが創設されました。
現在は春と秋に定期公演を実施。著名な外国人指揮者を招聘することもあり、そんなときは数日間の公演がソールドアウトとなります。聴衆の多くはパールシーの人々です。
ジャムシェッド・ババ・シアター
インドのオーケストラだなんて、演奏のレベルはどうなの? と多くの方が思うかもしれません。
しかし、実際のところ、わりとちゃんとした水準の演奏を聴かせてくれるのです。……というのもこのオーケストラ、インド人奏者は十数人しかいないのが実情。「インド初、唯一のプロオーケストラ」と銘打っていますが、常駐の団員は20名ほどで、それもインド人と外国人が半々。演奏会のシーズンになると、音楽監督のネットワークで、カザフスタン人やロシア人を中心とした演奏家が60〜70名どっと集められるのです。普段から世界各地で演奏活動をしている方々ですから、腕が確かなのは当然のこと。
2018年春の定期演奏会では、当時のワルシャワ国立フィルの音楽監督ヤツェク・カスプシックさんが指揮者として招聘されていました。オーケストラのレベルについて感想を聞くと、「プロの集まりなので、個々の能力は高く、ヨーロッパの楽団と比べても遜色ない。ただ、いつも一緒に演奏しているわけではないので、まとめることは少し大変。よく言えば、音楽祭の特別編成オーケストラのような祝祭的な雰囲気」と話していました。
SOIのイギリス・デビューを見届けました!
さて、そんなSOIが2019年2月、なんとイギリス・デビューを果たし、ロンドンやバーミンガム、エディンバラなど5都市をまわるツアーを行ないました。
演目は、2つ。1つはクラシックのオーソドックスな演目によるもの、もう1つは、インド最高峰のタブラ奏者、ザキール・フセインさんのタブラ協奏曲が入った演目。ソリストはもちろん、ザキールさんご本人です。
ちなみに、ザキール・フセインさんは、以前ONTOMOにも登場しているユザーンさんの師匠の一人。ユザーンさんといえば、異様なおもしろさのツイッターで人気ですが、インスタグラムのほうでは、インド修行中などすごく美味しそうな現地のインド料理をのせていらっしゃるので、ご興味のある方はぜひ。
ザキール・フセイン:タブラ協奏曲(2015年にムンバイで行なわれた公演より)
SOIの演奏を聴いて、イギリスの聴衆はどんな反応を示すのか……。それを見届けるべく、ロンドン公演を聴きに出かけました。
下:ランチコースの料理。繊細な盛り付けはフレンチのようですが、もちろん全部カレー味です。
私が聴いたのは、ザキールさんのタブラ協奏曲が入っていない、いわば、ごまかしのきかないクラシック作品のみによる公演。会場はカドガンホール、指揮者はイギリス人のマーティン・ブラビンズさんでした。相変わらず、弦のセクションがみんな思い思いの弓使いで演奏しているのですが、公演も回を重ねてきたこともあってか、ムンバイでインド人指揮者のもと聴いたときより、まとまりのある印象です。
お客さんの入りは7割ほど。後半のラフマニノフの交響曲第2番が終わると、客席から大歓声があがりました。インド系の聴衆はごく一部で、大部分がイギリスの方。楽章ごとに拍手が出ていたので、この日の客層が普段からクラシックを聴く人たちだったかはわかりませんが、ともかくSOIの演奏は好意的に受け入れられたようです。
ブルッフのヴァイオリン協奏曲でソリストを務めたのは、SOI音楽監督のビゼンガリエフさん。そこで終演後バックステージを訪ね、お話を聞くことにしました。
楽屋がわからずウロウロしていると、オーケストラ団員のみなさんが「何か探してるの?」「もしかして君、カザフスタン人?」と話しかけてくれます。カザフスタン人と日本人は顔立ちが似ているとよく言われるんですよね。それで仲間意識がわくのか、みなさん親切にソリスト部屋探しを手伝ってくれました。
そして、ようやくビゼンガリエフさんを発見! 名刺を渡し挨拶をしたところ、「おお、君はコサックじゃないか! 私もコサックだよ、仲間だな!」と。
……コサックというと、足腰が疲れそうなあのコサック・ダンスを思い出す方が多いかもしれませんが、同じ語源で、コサック(カザフ)民族のことも指すようです。そんなわけで、私のKOSAKA(高坂)という名前をカザフスタンの人が見ると、コサック仲間と思うらしい。
こうして、この日2度目となる謎の仲間意識を受け止めながら、ロンドン公演の感想、そして「インド人が少ししかいないのにインドのオーケストラと呼んでいいのか」問題について、お話を伺いました。
音楽監督ビゼンガリエフがSOIで大切にしていることとは?
カザフスタンに生まれ、モスクワ音楽院で学んだヴァイオリニストです。「日本に行ったときは、日本人に見えるみたいで日本語で話しかけられた!」と嬉しそうにおっしゃっていました(日本人だとしたら、独特の雰囲気がありますね)。
——創設から十数年、オーケストラの変化は感じていますか?
ビゼンガリエフ もちろんです。はじめの頃は問題だらけでした。まず、一定レベル以上の常駐の演奏家を集めることが大変でしたから。しかし、こうして続けることで、ようやくオリジナルの音が生まれました。
SOIの弦のセクションの音は、とてもロシア的です。それに対してブラスのセクションは、より優れた奏者が多いと思うヨーロッパの演奏家を中心に集めました。これがとてもうまくかみあって、私たちのオーケストラは高い水準を実現できているのです。
——インド人奏者のレベルについて、どう感じてますか?
ビゼンガリエフ 楽団員は普段、SOIの付属機関で教えていますが、そこで学ぶ人たちのレベルはだんだん上がっていると思います。ただし、高いレベルの奏者が出るまでには、まだ時間がかかるでしょうね。ちゃんとした基礎を学べる場所がこれまでありませんでしたから。
今いるインド人団員の多くは、海外で勉強した経験のある人ばかりです。多くのインド育ちの演奏家を聴いてきましたが、オーケストラに迎えられるような人を見つけるのは、干し草の中から針を探すような難しさですよ。
これは伝統音楽などの影響かもしれませんが、そもそもインドの子どもはピッチの感覚が違う。リズムの面ではむしろ、どんなヨーロッパの子どもよりも優れていると思います。でも、イントネーションの面ではちょっと感覚が違うのでしょう。
SOIを継続させるには、将来的にはインド人の奏者が増えたほうがいいとは思います。高いお金を払って外国人を連れてきてばかりでは、いつか立ち行かなくなるでしょう。
——つまり、メンバーに、もっとインド人を増やしたいと。
ビゼンガリエフ いや、そう聞かれると、それは「イエス」であり「ノー」なのです。というのも、私たちのオーケストラが一番大切にしているのは、インド人の楽団員がたくさんいるということではないから。採用する演奏家は、なに人でも高いレベルでなくてはいけません。
——なるほど。「インドにオーケストラを」とは、インド人によるオーケストラを作ることを目指しているのではなく、インドを拠点にした優れた楽団を作ることが目的だと。
ビゼンガリエフ そう。私たちが大事にしているのは、クオリティなのです。上手い奏者がインド人なら、採用する、ただそれだけのこと。今日のステージには16人しかインド人がいませんでしたが、それも仕方ない。
でも例えば、イギリスの優れたオーケストラを見てくださいよ。純粋なイギリス人が何人います? そんなに多くないと思いますよ。
——……そういう意味では、日本のオーケストラって特殊ですね。
ビゼンガリエフ まったくですよ。例えば、ある日本人女性と外国人男性の演奏家カップルが日本に住むことにしたとき、日本人のほうはすぐオーケストラに就職できたけれど、外国人のほうはなかなか仕事が見つからなかった。演奏家としての水準は、はっきりいって外国人男性のほうが絶対に上だったのにね! だけど、日本人でないから雇われなかったのだと思います。でもまあ、そういう文化なんでしょうね。
——SOIのイギリス・デビューを経験して、どんな手応えを感じていますか?
ビゼンガリエフ まず、ソリストとして自分のオーケストラとロンドンで演奏できたことに満足しています。世の中にはすばらしいオーケストラがたくさんありますが、彼らは頑固ですから……自分のオーケストラとの演奏であれば、音楽的なアイデアを伝えることで、変えてほしいところは変えてもらえるし、音楽をより深く探求できます。
そしてなにより、私は長くイギリスに暮らしていたこともあって、このプロジェクトに賛同し支えてくれた知人たちに成果を見せられたことが、本当によかったと思っています。これを、ドイツやフランス、オランダなど他の国で演奏会をすることの足がかりとしていけたらと思います。
*
……インド人奏者が数えるほどしかいないことについて問題提起をするつもりが、逆に日本のオーケストラ事情を盛大に突っ込まれる結果となってしまいました。
ビザや契約、言語などの事情もあるのでしょうけれど、ほとんどの日本のオーケストでは外国人団員がとても少なく、それはこのグローバル化の時代にある意味不自然なのではという議論を目にしたばかりだったので、余計に気になる指摘でした。また今回も、インドのやり方から考えさせられることになってしまいました。
インドにはすでに優れた伝統音楽がありますから、無理に西洋クラシック音楽を普及させる必要はないというのが個人的な意見です。しかし最近は、クラシック奏者とインド古典音楽奏者がコラボレーションした、フュージョン音楽のライブが増えているのも現状。西洋クラシック文化の流入で、まったく新しい音楽が、ここムンバイから生まれるかもしれません。
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