「分けられたものを一つに結び付けたい」~山田和樹が「うたう地球儀」に込めた思い
構想から5年、ついに「山田和樹 アンセム・プロジェクト 世界の国歌 うたう地球儀」が完成した。
208の国と地域の国歌、206曲を収録し、7枚のCDに収められた録音を前に、山田和樹は今何を思うのか。東京混声合唱団らと果たしたプロジェクトについて、あらためてその思いを聞いた。
1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...
構想から地球儀に入るまで、実にドラマチックでした
山田和樹「世界には自分の知らない国がこんなにもあったのかと、驚きました。200以上の国と地域を扱いましたが、そのうちの100も知らなかった。初めてその名を聞くような国もあり、それがどこにあるのか、どんな人が住んでいるのかも、さっぱりわからない。
最低限の知識だけでも、と各国のことを調べたけれど、それだけでも圧倒されちゃう。どの国の歴史だって、一言では言えませんし、国ごとにみんな事情が違います。国歌に対してだって、国民が自国の国歌を認めていないとか、知らないとか、変えたいとか、好きではないという場合もある。
一方で、オリンピックの表彰台で国歌が流れれば、
そう感慨深げに語る、指揮者の山田和樹。だが、当初の発想はかなりシンプルだった。
国歌とは、そもそも近代国家の誕生とともに作られ、国を象徴する一種の機会音楽だ。国家行事などで国民によって広く歌われるものであるから、基本的には芸術性を追求した複雑な歌曲とは違う。どの国歌も19世紀以降に誕生しており、西洋の音楽体系(12音からなる音階のシステム)で作られた、マーチ風のものや賛美歌風のもの、つまりシンプルな曲が多い。
山田「単純なアレンジでいいと思っていたんです。原語で歌うだけでも難しいですから、歌自体は斉唱(同じ旋律を大勢で歌うこと)で、すこしピアノで伴奏がつけられれば、それでいい、と。
作曲家の信長貴富さんには、最初からこのプロジェクトに関わっていただかなくちゃならない、というのは直感的にありました。
信長さんに連絡して、アレンジで関わっていただいきたいとお願いしたんです。僕は話をふっかけるだけだから、信長さんが全曲やればいいと思っていたんだけれど『この企画をきちんと実現させるためには、自分だけではなくて、たくさんの作曲家が必要になるだろう』と、ごく初期の段階からお話があった。それで信長さん以外にも、若手の作曲家6名にアレンジに加わってもらいました」
結果、シンプルであるはずの国歌が、生き生きとした音楽として鳴り響き、聴いて楽しめる作品へと仕上げられた。とはいえ、恣意的で無配慮な編曲作品ではない。「国歌らしさ」を感じさせる清廉さと純度は損なわれていない。編曲家によっては、ピアノパートに、その国の民族楽器らしいパッセージなどを密かに忍び込ませている。
山田「それぞれ個性が違っていて、オーソドックスでシンプルなものから、とても複雑で凝ったものまで、混声四部合唱、なかには八部合唱で書いてきてくれる人もいました。
プロジェクトの完遂を視野に入れるなら、それほど複雑なものでなくていいと僕は思っていたけれど、とにかくみんながんばってくれちゃったもんだから、まぁ大変だったけれど、面白かった。
2年弱のレコーディングの間で、編曲家の皆さんともどんどん距離が縮まっていったし、僕が強く意見するような場面もあったけれど、みんなが変化を遂げていって、それがとにかく素晴らしかった。実にドラマティックでしたね、構想から、レコーディングして、地球儀に入るまで。当初のシンプルなイメージが、大きく花開きました」
言葉や音楽になる前の、概念を共有できたら
それにしても、208の国と地域、206曲を網羅しようというのは、やはり針の触れ切った、尋常ではない取り組みだ。
山田「最初は200曲以上なんて無理だと思ったし、オリンピック参加国だけにしよう、とか、セレクトしようという声もあがったんです。政治的に日本との間柄が微妙な国もありますし、アラブ諸国の宗教的なことや、政治的な問題も常に絡んでくる。
でも、だからこそ逆に、全部の国を平等に扱おう、と。断固として順位やプライオリティを排除して、全曲をやるんだ、と。そこを貫き通しました。
とはいえ、すべて原語で歌うことにしていましたから、東混のみんなも最初は不安で、どうやって進めていったらいいかと悩みもありました。でも、歌う行為とは、本能と結びついている。みんなの思いは次第に強まり、完成させたいという熱い意欲が湧いてきた。原語指導に入ってもらったり、手分けして研究し、教え合ったりしながら、みんなの情熱はいつしか、僕の思いも追い越していってくれた。それがとても嬉しかった。
山田「外国語はカタカナ語として入ってくるわけですが、国歌は、そこを超えた世界なんですよね。その国の言語体系をすっかり知らなければ意思疎通ができない、というわけでもない。そこが音楽の素晴らしいところ。こちらに思いがあれば届くはず、共感を生めるはず。
仮に英語のLOVEという単語を知らなくても、『愛』という概念を知っていれば、『ラヴ』と歌うことで伝わるものはある。なるべくネイティヴに近い発音を目指して頑張ったし、歌詞の言語体系も大事だけど、最後はもっと、そこを超えた世界。
言葉というのは、もともと言葉にできないものを、むりやり言葉にしている。音楽も言葉にできないものを音楽にしている。『言葉にできないものを、なんとか形にしようとしている』という前提が、言葉も音楽も一緒なんです。言葉や音楽になる前の、概念の部分。そこを共有できたら、と思うわけです。
分けられたものを一つに結び付けたい
山田「国ごとによって言葉も歌も違うけれども、『国が歌を持っている』ということも一緒。国歌がない国はないんです。ここに録音されていない国はない。
人間は『分ける』ということをする。理解するために分ける。分けるから分かる。しかし、分けるという作業は、ときに不幸も生む。国境も分けている。人間はすぐ、宗教が違う、肌の色が違うとか、そういうことも言い出す。
分ける前の段階には共通したものがある。それは、みんなが地球で生まれたということ。地球がふるさとなんです。地球人なんです。もっといえば宇宙人であるということ。そうした人間としての証、底辺の思いを、歌が潤滑油となって、もう一度結びつけるために働くこともある。
むりやり分かれたものを、一つに結び付けたい。208に分かれた国の206曲を歌うことで、改めてその思いを共有し合える。200曲以上もやってると、なぜこんな大変なことをやってるのか、なぜ人は歌うのか、と考え出すんですが、何か意味があるとすれば、そういうことですね」
アレンジも、合唱も、ピアノやオーケストラ(日本フィルハーモニー交響楽団)の演奏も、一曲一曲にただならぬ熱量を滲ませ、良心に溢れた歩み寄りを感じさせる、素晴らしい録音作品へと仕上げられていった。地球人としての愛が、迫力をもって表現されている。
山田「録音は、コロナ禍に入る直前で完成しましたが、コロナが蔓延してなおさら考えさせられました。なぜ国はそれぞれ違った国歌を持っていて、それを国の象徴にしようとするのか。最終的には言葉で説明できない部分も多いけれど、やはり『愛』そして『ハーモニー』というキーワードがある。
みんなで作るハーモニーなんて、本来は合いっこないんですよ。合ったら奇跡なんですよ。でも、その奇跡的なことを追い求めるところに、人間としてのロマンがある。だから、合唱団という存在も、オーケストラという存在も、奇跡なんです。合いっこないものを合わせている。このアンセム・プロジェクトだって、形になったのは一つの奇跡なんです」
今日死ぬかもしれない中で、生きている
山田が音楽監督兼理事長を務める東京混声合唱団とのコンビネーションだからこそ、この奇跡は起こり得たのだと山田は捉えている。
山田「東混と僕との、長いドラマの途上にこのプロジェクトがあった。お互いを知り尽くしているからこそ。この2年ほどの合唱団の成長、アレンジャーの成長は飛躍的でした。
僕らは同志というのか、もういちいち褒め合ったりなんてしませんし、恋人や家族のような関係とはまた違った特別な関係性。彼らの頑張っている姿を見ると……なんだかもう、やんなっちゃうくらいに、いろんなことが頭の中を巡っちゃう」
山田「コロナ以前から、合唱団というのは、生き延びるのが難しい団体なんです。逆にいうと、コロナに関係なく存続が難しいので、そういう団体はいざという時に開き直れるんですね。コロナ以後の彼らの強さみたいなものを、むしろ見せてもらいました。
コロナ禍では、とにかく集まれないから練習や演奏会のやりようがなかったけれど、動画配信など、団員からのアイデアがいろいろと出てきては具現化していきました。YouTube登録者数は、3月では4000人。それが今では1万人を越えました。少しでも盛り上がるようにと、ハングリーだからこそできたこと。コロナはマイナスのことばかりじゃなかったと思います」
山田「このアンセム・プロジェクトは、コロナ禍の彼らの成長にも、大いに影響していると感じます。今後いろいろな波が来ても、東混は、この何年かで自発的な団体に生まれ変わったから、おそらく、大丈夫でしょう。自主性・自律性が多くの方の協力のもとで多いに培われました。お金はないけど、夢と感動がある。それでいくしかない。コロナの前からお金はないんだから。歌うこと忘れてマスク開発に熱中したり(笑)、何かみんな楽しんでやっている。
危機をどこまで楽しめるか。それが生きるということですよね。コロナであろうがなかろうが、人間は今日死ぬかもしれない中で、生きている。その生きる発露が芸術でしょ? 文化的な行為。毎日死ぬ可能性のなかでやっているわけです。そこで歌うから美しい。
東混はそういう僕の考えも、感じ取ってくれていると思います」
アンセム・プロジェクトは「これで終わりでなく、ライフワーク的に続けるもの」と捉えている山田。今後は楽譜もリリースされる予定で、信長による「メドレー」作品も含めたコンサートを展開していきたいと意欲を示した。
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