スポーツ好きのショスタコーヴィチが率先して審判を務めた心境とは?
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
スポーツの話題が熱いところで、今週はスポーツが大好きだった作曲家のお話。
20世紀のソ連を代表する作曲家、ショスタコーヴィチ(1906-1975)は、サッカーの大ファンだったことがよく知られています。
とくに20代半ばを迎えた頃から、出身地であるレニングラード(現サンクトペテルブルク)のサッカーチームを熱狂的に応援していて、音楽院での仕事が忙しくても、たとえ試験期間中でも、なんとか時間とお金を捻出して試合を見に行こうとしていたとか。
(ショスタコーヴィチのサッカー観戦の様子は、こちらの記事に詳しくあります)
ソ連当局から芸術活動に対しての攻撃をうけて大変な苦境に置かれていた頃ですら、サッカー観戦は継続していたそうです。
試合結果や得失点数、ゴールした選手名などを細かく記録していて、このデータ分析はサッカーの専門家からも一目置かれる内容だったとか。さらに1941年には、審判の資格もとってしまったらしい。
ショスタコーヴィチは、サッカー賛歌を書くことを夢見ていたといいますが、結局そういう作品は残されていないのが、少し残念ですね(バレエ《黄金時代》や、劇音楽《ロシアの河》にサッカーの曲は出てきますが)。もし書いていたら、どれだけ好きがあふれだす曲になっていたでしょう。
バレエ《黄金時代》第2幕〈サッカー〉、劇音楽《ロシアの河》
ところで彼は、サッカー以外にもスポーツのルールを熟知していて、家族でバレーボールやテニスをする際には、率先して審判を務めたそうです。それにしてもなにかと審判やりたがるって、どういうメンタリティなんでしょうね。「スコア」つながりで、好きだったんでしょうか(たぶん違う)。
娘のガリーナさんの回想によると、仲間と休暇先でテニスを楽しんでいるときにも、いつも審判をしていたそう。
あるときテニスをしていたKGBの長官が、あとで審判のショスタコーヴィチにクレームをつけたところ、「審判には絶対服従、問答無用」ときっぱり切り捨てたとか。そしてのちに、「KGBのお偉い方にこうして審判を下すのが最高に楽しみだった」と話していたそうです。
当局の抑圧のもとに生きる芸術家としての日頃のストレスを、そんな形で発散していたとは。やり方がショスタコーヴィチっぽくて、良いですね!
ショスタコーヴィチの人柄が書かれた本
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