音楽が呼び覚ます追憶......作者T.ウィリアムズの抱く苦悩や悔恨が込められた伝記的作品『ガラスの動物園』
舞踊・演劇ライターの高橋彩子さんが、「音・音楽」から舞台作品を紹介する連載。今回は、20世紀アメリカを代表する劇作家テネシー・ウィリアムズの名作『ガラスの動物園』。人々の心を掴む、作者の実体験が投影されたストーリー。そして、2022年9月に新国立劇場で上演されるイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出イザベル・ユペール主演のオデオン座版の注目ポイントも紹介します。
早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...
過去の記憶と音楽とが密接に繋がっているという人は多いだろう。ある曲を聴いた瞬間、心は否応なく過去へとタイムスリップしてしまう。それは時として叫びたくなるような、あるいはどうしようもなく胸の疼くような体験だ。名作戯曲『ガラスの動物園』を書いたアメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズもそのことを痛切に感じていた一人に違いない。
音楽と共に呼び覚まされる「追憶の劇」
『ガラスの動物園』はテネシー・ウィリアムズ自身が「追憶の劇」と定義している戯曲。すべては語り部でもあるトムの回想として描かれるからだ。
その回想の舞台となるのは、1930年代アメリカはセントルイスの、下層中産階級が多く住むエリア。ウィングフィールド家のトムは、工場で働いて、母アマンダ、姉ローラとの3人暮らしの家計を支えている。口うるさく子どもたちの世話を焼くアマンダはもともと南部の良家の娘で、本人いわく多くの紳士から熱を上げられていたが、トムとローラの父親の魅力に“引っかかって”一緒になってしまった。その父はある日突然家を出て、1枚の絵葉書が届いたきり音沙汰がない。引っ込み思案で足に障害を持つローラの行く末を案じ、トムに、誰かローラの相手となりそうな男性を連れてくるよう言うアマンダ。トムは意に染まぬ仕事で一家を支えながら母に指図される日々に閉塞感を感じ、自由な世界を夢見ながらも、母の言いつけ通り、職場の同僚ジムを家に招待する。家に若い男性が来るという前代未聞の出来事に、アマンダは大張り切りで準備をする。しかも、実はジムはローラがかつて唯一好意を抱いていた同級生だった。だが、一家を待っていたのは失望の一夜であり、直後に家を出たトムは二度と帰宅することはなかった。
この追憶の劇において作者が重視するのが音楽だ。劇の冒頭、トムは「この劇は、はるかな追憶の世界のできごとなのです」(以下、小田島雄志訳・新潮社より)とし、そこで音楽が聴こえてくると「追憶の世界では、あらゆるものが、音楽にさそわれて姿をあらわしてくるようにおもわれます——で、なぜ、ヴァイオリンの音が今きこえているか、そのわけが、おわかりになったでしょう」と言う。
回想の中のローラが、劇のタイトルにもなっているガラス細工の蒐集と共に、父が残したレコードを蓄音機で聴いてばかりいるのは象徴的。ローラは父の追憶の音楽の中で生きていて、その音楽がトムの追憶をも形作ることになるからだ。
また、ウィングフィールド家の近くにはダンスホールがあり、そこの音楽も重要な役割を果たす。その音楽の高まりと共に、ローラはジムとダンスを踊り、ローラの“ガラスの動物園”にある影響が生じる。このダンスホールの音楽は、物語を語るトムの背後でも鳴り続ける。
実のところ、この作品の登場人物達は、何かしらの形で、過去の強い引力の只中にいる。前述の通り、アマンダは紳士たちに囲まれていた娘時代の栄光を忘れられないし、ローラは家に閉じこもり、父の残したレコードばかり聴いている。ジムもまた、今はただの人となりながら、ヒーローだった学校時代を忘れられずにいる。しかし、自らの知識を増やして上昇しようとするジムは、ウィングフィールド家にとどまりはしない。トムもまた、過去に縛られることを厭って家を立ち去り、しかし離れた地から思い出の中の母と姉を想うのである。
伝記的要素の色濃い作品
1944年に執筆され、翌年に初演された『ガラスの動物園』。当時34歳だったテネシー・ウィリアムズは、その後、1947年に『欲望と言う名の電車』と1955年に『やけたトタン屋根の上の猫』で2回のピューリッツァー賞を受賞するなど、アメリカ演劇界を代表する劇作家となっていく。
そしてこの『ガラスの動物園』は、テネシー・ウィリアムズの自伝的要素が特に強い作品だと言われている。仕事柄留守がちだった彼の父コーネリアスはアルコール中毒であり暴力的で、母エドウィナとは不仲だった。テネシーには2歳上の仲の良い姉ローズがいたが、コーネリアスは、彼女にロボトミー手術を受けさせてしまう。これは精神疾患のある人の頭蓋骨に穴を開け、脳の前頭葉の一部を切除するというもの。切除された患者は脳を損傷されることでおとなしくなり、病気の諸症状も落ち着くという、人権侵害もはなはだしい治療だった。
廃人のようになってしまったローズにテネシーが抱く苦悩や悔恨は、自身が著した『テネシー・ウィリアムズ回想録』からもうかがうことができ、『ガラスの動物園』のトムのローラへの思いと重なる。アマンダのモデルは勿論、アマンダと同じく社交的で、テネシーにはしばしば干渉したとも言われている母のエドウィナだ。ちなみに、『ガラスの動物園』のアマンダはトムに、飲んだくれにはならないと約束してくれと頼む場面があるのだが、テネシーはアルコール依存症に生涯苦しむことになる。
この作品がいつの時代も色褪せることなく人の心をつかむのは、ポエジーとノスタルジーに満ちた言葉の中に、作者自身の痛切な思いが込められているからかもしれない。劇の終盤、トムはローラに呼びかけ、ろうそくの灯りを消すようにと言う。トムが家を出てもなお囚われ続ける記憶は、ろうそくの炎のように寂しげに繊細に揺れ続け、観客の胸に灯るのだった。
イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出&イザベル・ユペール出演のオデオン劇場版が新国立劇場に登場
さて、新国立劇場ではこの『ガラスの動物園』を2006年、フランスのイリーナ・ブルック演出で上演している。トムを、壮年期の俳優(木場勝己)が回想する形で演じ、ローラ(中嶋朋子)を空想の中では自由に生きる女性としてフォーカスしたプロダクションだった。そして今月、一昨年に制作されたオデオン劇場によるプロダクションを招聘する。一昨年、去年と二度の延期を経て実現する待望の公演だ。
このプロダクションで注目なのは、第一に、オランダで活動するベルギー出身の鬼才イヴォ・ヴァン・ホーヴェの演出。イギリスのローレンス・オリヴィエ賞、アメリカのトニー賞を受賞するなど世界的な活躍を見せる演出家で、知性と美学が冴え渡る世界は実に鮮烈。オペラの演出も多く手掛けており、来年6月にはMETで《ドン・ジョヴァンニ》の新制作が控え、ライブビューイングも決まっている。
今回は、壁も床も毛皮で覆われた巣穴のような閉鎖空間から、濃密なドラマを描き出すという。
実際、戯曲のト書きにはウィングフィールド家を取り巻く環境を「疣(いぼ)のようにアパートが頭をもたげ、おびただしい数の所帯がひとつの建物にぎっしりとつめこまれていて、とてつもない蜜ばちの巣をたてならべた」とあり、トムは冒頭の語りで「僕たち一家のものは、とにかく、世間とは何のつながりもない小さな殻のなかにとじこもって暮らしていた」と描写している。巣あるいは殻に例えられる家という設定に、ホーヴェの舞台は忠実とも考えられそう。
オデオン座上演時、舞台の様子のタイムラプス映像
第二に、アマンダ役を演じるのが、フランスを代表する俳優イザベル・ユペールであること。ジャン・リュック・ゴダール監督『勝手に逃げろ/人生』『パッション』や、マルコ・フェレーリ監督『ピエラ・愛の遍歴』、クロード・シャブロル監督『主婦マリーがしたこと』、フランソワ・オゾン監督『8人の女たち』、ポール・バーホーベン監督『エル ELLE』など数々の映画に出演するスターだが、舞台にも積極的に出演している。
フランスで大ヒットを記録した映画『8人の女たち』では歌声も披露
筆者が観た2019年、ロバート・ウィルソン演出の一人芝居『Mary Said What She Said』では、メアリー・ステュアート役として、オブセッシブに繰り返される台詞をハイテンションでよどみなくまくし立てる迫力と存在感が圧倒的だった。
パリ市立劇場上演時のティーザー映像
ジムを家に迎える場面などでは、時代錯誤的で現実を見ない性格を表すべく、多くの芝居でどこかちぐはぐな格好で登場しがちなアマンダだが、戯曲のト書きには、トムもジムもアマンダの「南部女性の美しさ」に圧倒されると書かれている。ユペールにはぴったりなのではないだろうか。
今回のプロダクションで、登場人物たちがどのように表現され、音楽はどのように鳴り響くのか。楽しみにしたい。
会場: 新国立劇場 中劇場
公演日程: 2022年9月28日(水)~10月2日(日)
作: テネシー・ウィリアムズ
演出: イヴォ・ヴァン・ホーヴェ
フランス語翻訳: イザベル・ファンション
ドラマトゥルグ: クーン・タチュレット
美術・照明: ヤン・ヴェーゼイヴェルト
衣裳: アン・ダーヒース
音響・音楽: ジョルジュ・ドー
演出助手: マチュー・ダンドロ
制作: 国立オデオン劇場
芸術監督: 小川絵梨子
主催: 新国立劇場
後援: 在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
出演:
イザベル・ユペール
ジュスティーヌ・バシュレ
シリル・ゲイユ
アントワーヌ・レナール
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