読みもの
2018.07.07
アートを聴く! Vol.4

19世紀の人々に衝撃を与えた速度――蒸気機関車の超現実性を描いたターナーと山下達郎

『アート鑑賞、超入門!』『現代アート、超入門!』等の著作で、読者をアートの世界へ誘うアートライター・藤田令伊さん。毎回さまざまなアート作品から、「絵の中に音楽を聴く」楽しみをご紹介します。

今回はジョゼフ・ターナーの《雨、蒸気、速度》。19世紀に人類史上はじめて蒸気機関車が走ったとき、その速度感は人々に衝撃を与えました。19世紀の画家が捉えた衝撃が、時代を超えてあるミュージシャンにインスピレーションを与えます。

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藤田令伊
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藤田令伊 アートライター

アートライター、大正大学非常勤講師。単に知識としての「美術」にとどまらず、見る体験としての「美術鑑賞」が鑑賞者をどう育てるかに注目し、楽しみながら人としても成長できる...

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ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーの《雨、蒸気、速度》(1844、ロンドン・ナショナルギャラリー)は、それまでの絵画の常識を覆すものだった。絵画とは事物をきっちり丁寧に描くものであり、描写がリアルであればあるほどすぐれた作品と評価されていた時代にあって、この絵は一目瞭然、そんな伝統などまったく顧慮していないからだ。

 

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 《雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道》(1844年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)

描かれているのは茫漠とした景色。画面全面をかすれた渦巻きあるいは斜めの線が支配し、色彩が唐突に空間に出現しては溶け出している。その下にレイヤーを重ねるようにどこかの風景が描かれている。橋らしきものが左右二つあり、右側手前の橋の上をいましも蒸気機関車と思しき物体がこちらに向かって走ってくる。タイトルから推すと、渦巻きあるいは斜めの線は雨もしくは風の描写か。もしかしたら霧も混じっているのかもしれない。

一見しただけでは判然としないこの絵、伝統的な絵画に親しんできた人であればあるほど当惑を覚えることだろう。ターナーが本作を描いた当時、こうした画風には賛否両論がかまびすしかったという。あなたなら本作を見て、どう感じるだろう。こういう絵も面白いと思うだろうか、それとも訳のわからないものとして切り捨てるだろうか。

この絵に関してはこんな逸話が残っている。ある婦人が雨の日にグレート・ウェスタン鉄道のロンドン行き急行列車に乗っていたら、同席していた老紳士が列車の窓を開けていいかと尋ねてきた。彼女が許すと件の老紳士は窓を開け、そこから顔を突き出して9分間、雨のなか走る列車の様子を観察していた。そして、婦人は翌年のロイヤル・アカデミーの展覧会でこの絵を見ることになった——という話である。

いかにもできすぎていて、ほんとうかどうか疑わしい部分もあるが、ターナーが自分の実感をもとに絵を描いたというのは事実である。本作でも雨の降るなかを疾走する蒸気機関車に何がしかのものを見て取り、それを結実させたのだと思われる。

ターナーが結実させたものとは何だったろうか。先ほど述べたように、この絵は事物を明瞭に描くことを放棄し、描写の正確性よりも別なものを追求しようとしている。ということは、ターナーは風景を単に写生しようとしたわけではなかった。もし、先のエピソードが真実だったのなら、ターナーはただ見るだけではなく、雨を切り裂き、風を衝いて走る蒸気機関車の激しい振動、ガッシュガッシュという力強い機関音、吹き出す蒸気や煙など、つまりは雨中を疾駆する機関車のダイナミズム全体をその身で体感しようとしていたのだと思われる。そして、己が五感で感じ取ったものを描きとどめるためには、このような表現でなくてはならなかったのだろう。

人類史上、蒸気機関車というものを初めて見た人々が受けた驚きとインパクト。きっと、自分たちの知っている現実を超えた、この世ならぬものとして認識されたに違いない。それこそが、ターナーが全身で感じ取り、表現しようとした核心だったと考える。私たちもまた、視覚だけにとどまらず、聴覚をはじめとした五感すべてでこの絵と向き合うとき、19世紀の人々が受けとめたものを追体験できるのである。

「ターナーの汽罐車」

ところが、本作についてまったく違った“聴き方”をした人物がいる。山下達郎である。ご存じの人も多いと思うが、彼は本作をモチーフにした、その名もズバリ、《ターナーの汽罐車》という楽曲を作詞作曲している。アルバム《ARTISAN》からシングルカットされたその曲のなかで、山下達郎はターナーが描いたこの機関車を、驚くことに、「おぼろげな汽罐車が走る、音も立てず」という歌詞で表現している。

動的なありさまが特徴の蒸気機関車に対して、ごく静的な捉え方。初めてこの曲を聴き、歌詞に触れたとき、私は唸ってしまった。これを「音も立てず」と言い表すのか、と。

だが、この機関車が音を立てることなく滑るように走ってくるさまを想像するとき、絵からはまったく新しい世界が立ち上がる。それはあたかも夢の出来事のような、現実を超えた世界である。絵の場所はロンドンという現実の場所ではなくなり、蒸気機関車は抽象的な存在と化して普遍的な印象を見る者にもたらし出す。絵は具体性を失うことによって、私たちを現実の束縛から解き放ってくれるのである。

そこまで考えが及んで一つのことに気づく。現実の超越とはまさにターナーが感得し表現しようとしたことではないか、と。山下達郎は、動と静という正反対のルートを辿りながらも、ターナーが追い求めたのと同じ地点に到達しているのである。

本作に「音も立てず」に走りくる機関車を見出す見方は、山下達郎がひねり出したものである。それはおそらく、画家も想定していなかったアプローチであろう。鑑賞の可能性ということについて改めて認識させられる。ちなみに、この夏、山下達郎は再び汽車をモチーフにした新曲を発表する。

『ARTISAN』
アーティスト: 山下達郎

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藤田令伊 アートライター

アートライター、大正大学非常勤講師。単に知識としての「美術」にとどまらず、見る体験としての「美術鑑賞」が鑑賞者をどう育てるかに注目し、楽しみながら人としても成長できる...

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