ブルッフのヴァイオリン協奏曲が弾かれ、愛される理由〜本人は人気に不満だった?!
2020年はベートーヴェン生誕250周年だけではないんです! 1920年10月2日にこの世を去ったドイツの作曲家マックス・ブルッフは、今年没後100周年を迎えます。代表作「ヴァイオリン協奏曲 第1番」をはじめ、ブルッフのさまざまな作品に触れ、ブルッフ愛を高めましょう。
青山学院大学大学院博士前期課程修了(比較芸術学)。主な研究対象はブラームス、ブルッフらの器楽作品。音楽之友社『レコード芸術』誌、演奏会プログラム等に執筆している。20...
ブルッフってどんな作曲家?
2020年はベートーヴェン生誕250年のアニバーサリー・イヤーですが、じつはブルッフ没後100年という節目の年でもあります。
マックス・ブルッフは1838年1月6日にドイツのケルンで生まれ、1920年10月2日にベルリンで没した音楽家で、ブラームス(1833~97年)と同時代にドイツとイギリスで作曲家、指揮者として活躍しました。その創作領域は幅広く、オペラや管弦楽伴奏付きの合唱作品から交響曲、室内楽曲、ピアノ曲にいたるまで、じつに多彩な作品を遺しています。
代表作は多くのヴァイオリニストが通る道、「ヴァイオリン協奏曲 第1番」!
とはいえ、やはりブルッフと言えば協奏曲、特に「ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調」作品26(1866年/68年改訂)の作曲家というイメージが強いのではないでしょうか。確かにこの作品は、ブルッフならではの自由な発想と、作曲家一流の旋律美、幻想的な色彩がバランスよく組み合わさった傑作です。
ブルッフが「ヴァイオリン協奏曲 第1番」を作曲したのは、1864年から66年にかけてのこと。作曲家はこの頃、ドイツ西部の町コブレンツの管弦楽団の音楽監督を務めていました。作品は当地で1866年4月24日にブルッフの指揮、オットー・フォン・ケーニヒスロウ(1824~98年)のヴァイオリンで初演されました。
ブルッフとはライプツィヒの音楽大学で勉強していた時期に親交を深めた。
ヴァイオリニストとして活躍し、ケルンの音楽大学の学長も務めた。
大ヒットの影の立役者
この初演は好評をもって迎えられたものの、ブルッフ自身は出来映えに満足していませんでした。彼は、初演のわずか数週間後にはヨーゼフ・ヨアヒム(1831〜1907年)に楽譜を送り、アドバイスを求めています。
ヨアヒムは当時もっとも活躍していたヴァイオリニストの1人であり、初演から約4ヶ月後の8月17日の返信で、ブルッフの協奏曲を「全体として非常にヴァイオリン的」と評価したうえで、独奏パートはもちろん、その他のさまざまな点について事細かに助言しました。
ハンガリー出身のヴァイオリニストで、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を初演した人物としても知られている。
ヨアヒムのアドバイスは、作品のタイトルにも影響しています。作曲家は当時、その自由な構成ゆえに、この作品を「協奏曲」と名付けることに疑念を抱いていました。
しかし、ヨアヒムは「幻想曲」と名付けるには後ろの2楽章があまりに規則的に作曲されていること、そして、ルイ・シュポーア(1784〜1859年)の「ヴァイオリン協奏曲 第8番 イ短調」作品47(1816年初演。1楽章、4部分から成り、楽曲全体が一続きに演奏される独特の構成をもつ作品)でさえ「協奏曲」と題されていることを指摘して、ブルッフを説得したのです。
ヨアヒムの説得がなければ、「ヴァイオリン協奏曲 第1番」は「ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲」といったタイトルになっていたかもしれません。
シュポーア:ヴァイオリン協奏曲第8番
また、ヨアヒムは手紙や楽譜への書き込みでアドヴァイスするだけでなく、ブルッフとハノーファーで個人的に面会し、さらには宮廷オーケストラとの試演にも参加して、作曲家の改訂作業を助けています。
かくして完成された改訂版は、1868年1月7日にブレーメンでヨアヒムの独奏によって初演され、大成功を収めました。名曲誕生の背景には、名ヴァイオリニストの献身的な支援があったのです。
1曲だけ人気がうなぎのぼりでぼやくブルッフ
「ヴァイオリン協奏曲 第1番」は、その後も数々の名ヴァイオリニストによって歌い継がれ、今日に至るまでその人気を保ってきました。
ただ、ブルッフはそのあまりの一強ぶりに複雑な思いも抱いていたようで、のちに「2週間ごとに誰かがやってきては、僕の第1番を弾きたいと言ってくる」(1887年、楽譜出版社のジムロック宛)とぼやいています。彼らに「もしかして、僕は協奏曲をこの1曲しか書かなかったのかな?」と言ってやった、とも……。
さらに、1903年に家族に宛てて書いた手紙では、「悪魔に全部持っていかれてしまった! 僕がほかに良い協奏曲を書いていないみたいに! 」とまで記されています。ここまでくると、さすがに少しかわいそうになってきますね。
若干心が痛むので、読者の皆様におかれましては、ぜひほかの協奏曲も聴いてあげてください。よろしくお願いします。
ヴァイオリン協奏曲第2番、スコットランド幻想曲、ヴァイオリン協奏曲第3番、クラリネットとヴィオラのための二重協奏曲、2台ピアノのための協奏曲
「ヴァイオリン協奏曲 第1番」の愛されポイント
最後に2点だけ、「ヴァイオリン協奏曲 第1番」の個性的な部分を観てみましょう。
まず、第1楽章を第2楽章への「前奏曲Vorspiel」として作曲している点。協奏曲の冒頭に大規模な楽章を置く作曲家が多いなか、従来のスタイルに囚われることなく、第1楽章を短めに構成し、抒情美に満ちた緩徐楽章への導入部としているあたりにブルッフの独創性が感じられます。
また、協奏曲が「自由にad libitum」と記されたレチタティーヴォ(話すように歌う歌唱法)風のヴァイオリン独奏部で始まる点もブルッフならではの工夫の1つです。独奏ヴァイオリンの歌い出しがレチタティーヴォで書かれている協奏曲には、先述のシュポーアの「第8番」やアンリ・ヴュータン(1820〜1881年)の「ヴァイオリン協奏曲 第4番 ニ短調」作品31(1853年)などもありますが、ブルッフの「第1番」はオーケストラの前奏が短いぶん、より強烈な印象を与えます。
ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番第1楽章
ヴァイオリニストからすれば見せ場が、聴衆からすれば聴きどころがいきなり登場するような構成と言ってもいいかもしれません。このレチタティーヴォは演奏者の個性がよく表れる部分ですから、録音などで聴き比べてみるのもまた一興です。
7人のヴァイオリニストによる第1楽章を聴き比べ
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