読みもの
2022.08.14
特集「ミニマル・ミュージック入門」

ミニマル・ミュージックは身体で聴く!~聴きかたのヒントとおすすめ曲

半世紀前に誕生したミニマル・ミュージック。今でもそこから派生した音楽が生き続けるこの音楽スタイルを、どのように考えたらよいのだろう? どのような聴きかたができるのだろう? そのヒントと、おすすめ曲をご紹介します。

小沼純一
小沼純一

音楽を中心にしながら、文学、映画など他分野と音とのかかわりを探る批評をおこなう。現在、早稲田大学文学学術院教授。批評的エッセイとして『ミニマル・ミュージック』『武満徹...

Piet Mondrian “Composition No. III, with red, blue, yellow and black” 1929

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ジョン・ケージの衝撃が原点

リズムとかメロディとかハーモニーとか、切りつめていくと、どこから音楽になるんだろ。音楽、に感じられるんだろ。

ミニマル・ミュージックは、こんなプリミティヴな、同時にラディカルな問いから生まれた。そんなふうに仮定してみよう。

すこし前、ジョン・ケージってひとが、ピアニストがステージで楽器を前にしながら、何も弾かずにしばらくたたずむ曲とか、楽器じゃないものをつかうとか、イヴェントとかパフォーマンスと呼ばれることをやった。誰もがおもっていた音楽の概念を変えた。全世界的に誰もが衝撃をうけたわけじゃない。

モダンジャズやロックンロールを新しい音楽としてうけいれていた1960年代。ミニマル・ミュージックの創始者たちも例外ではなかった。ヨーロッパ由来の、あるいはケージが拓いた地平に驚嘆した。

でも、じぶんたちはどうしたらいい? 若者たちは、ケージに影響をうけつつも、同時に、マイルス・デイヴィスに、ジョン・コルトレーンに熱狂し、ハモンド・オルガンの音色に、LPレコードに、テープレコーダーの出現に震えていた。

ピアニストがステージで楽器を前にしながら、何も弾かずにしばらくたたずむ曲…ジョン・ケージ《4分33秒》

聴き手がつくる音楽

ぽん、と音をだす。これだけだと音楽じゃない。でも、ほんとにそうかな? 音がでる前にも後にも時はながれている。音がすると、聴いているひとは緊張するけど、すぐ弛緩する。あいだがあって、また音がする。はじめの音とつぎの音とのあいだの緊張/弛緩は、ひとつだけの音とは違った“何か”を感じさせる。これってやっぱり音楽なのでは? もしそうじゃなくても、音楽と呼べそうなきっかけがありそうでは?

わーん、という都市の雑踏。雑踏はひとかたまりになってるけど、でも、そんななかには数かぎりない音が、いろんな音の要素がはいっている。ケージが教えてくれたっけ。ただ、このノイズをひとかたまりにして身を浸していたら、どうだろう。ずっとおなじひびきがつづいてて、そのなかにメロディやリズムやハーモニーを、聴き手が勝手に切りとっていけるんじゃない?

発端はこんなところから、とおもってみたらどうだろう。いま、21世紀も20年を過ぎ、まわりには音楽があふれている。むしろ過剰。音楽はどこからかいつのまにか与えられるばかり。こういうのが音楽、音楽ってこういうもの、って。でも、じぶんであらためて、音楽ってどこからはじまるのか、って考えたり、ぱんと両手を叩いて、その「間」と「つぎの音」を感じたりすると、どうだろう。音楽ってもっとアクティヴにとらえられるのではないか。

「音楽」の概念に少しずれを加える

テリー・ライリー《インC》は、パルスではじまる。おなじ音型がくりかえされて、すこしずつ楽器が加わってゆく。音型はずれたり重なったりする。音楽はストーリーを語らず、音のうごきが渦を巻いてゆく。ちょうど、ピアノの鍵盤の白い鍵盤をぜんぶならしているようなひびき。

 

スティーヴ・ライヒ《ドラミング》は、高いピッチの太鼓がぽん、ぽん、とならされて、だんだんと音がふえてゆく。メロディのような起承転結はなく、短い音型がくりかえされ、でも、すこしずつ変化してゆく。

 

フィリップ・グラス《トゥー・ページズ》は5つの音をひたすら繰りかえしながら、ところどころでパターンはふっと変化し、短くなったり長くなったり、伸び縮みする。音楽に距離をとって、変化を聴きとっていくか。反復のなかで音楽に巻きこまれ、眠くなったり恍惚としたりするか。聴き手にはどちらの姿勢も委ねられている。

これが音楽?というような問いを突きつけてくるのでなく、ごく一般的に音楽と認識されているものにちょっとずれを加える。ジャズやロック、アジアやアフリカの音楽がひろく知られるようになってきた時期。音楽 musicも単数でなく、複数にmusicsが認められるようになった。エレクトリックなテクノロジーも急速に一般化した。アメリカ合衆国はまた、ヴェトナム戦争の、公民権運動の、学生運動とも並行している。

変化し続けるミニマル・ミュージック

ミニマル・ミュージックは変化のすくない反復を人力で、指で、手で、おこなう。身体をとおしてこそのものが、演奏者も聴き手も反復のなかで共有する“なにか”が、ある。ライヴでこそ体感、体験してこそわかるものがある。ステージで演奏者がからだをうごかしている、拍をとっている、指を手を腕をみて。

ミニマルとかミニマル・ミュージック、といまさらあらためて、とおもわぬでもない。半世紀ほど前にでてきたのだし、そこから派生したものも、知らず知らずのうち、いつのまにか耳にはいっている。

影響をうけてつくられた音楽は、初期ミニマル・ミュージックのラディカルさは失っているかとおもう。スタイルとしてのミニマル、と。上記の3作曲家にしても、反復性などは生かしながら、作品のつくりはべつのフェイズに移行している。だから、おなじ作曲家であっても、作品の時期によっても大きな変化があるというのは知っておきたい。

ひとは変化する。音楽と同様に。時期による変化をたどると、作曲家の思考もとらえられるようになるかもしれない。

 

ミニマル・ミュージックのおすすめ曲

テリー・ライリー

「In C」 (1968)

「A Rainbow in Curved Air」 (1969)

「Shri Camel 」(1978)

「The Harp of New Albion」 (1986)

「Salome Dances for Peace」 (1989)

※以上、アルバム

スティーヴ・ライヒ

It’s Gonna Rain (1965)

Piano Phase (1967)

Pendulum Music (1968)

Drumming (1970-71)

Clapping Music (1972)

Six Pianos (1973)

Music for 18 Musicians (1974-76)

Tehilim (1981)

Eight Lines (1983)

Three Movements  (1986)

Electric Counterpoint  (1987)

Different Trains  (1988)

The Cave  (1990-1993)

City Life  (1995)

2×5 (2009)

Reich/Richter  (2019)

フィリップ・グラス

Two Pages (1968)

Music in Similar Motion (1969)

Music in Twelve Parts (1971-74)

Einstein on the Beach (1976)

Koyaanisqatsi  (1982)

String Quartet no.3 “Mishima” (1985)

Symphony no.1 ”Low” (1992)

Symphony no.4 “Heroes” (1996)

Symphony no.12 “Lodger” (2019)

小沼純一
小沼純一

音楽を中心にしながら、文学、映画など他分野と音とのかかわりを探る批評をおこなう。現在、早稲田大学文学学術院教授。批評的エッセイとして『ミニマル・ミュージック』『武満徹...

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