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2025.03.09
音楽を奏でる絵 #5

【音楽を奏でる絵】ラファエロからパレストリーナ、リストへ~美の回顧から生まれる新たな美

西洋美術の歴史の中から音楽の情景が描かれた作品を選び、背景に潜む画家と音楽の関係、芸術家たちの交流、当時の音楽社会を探っていく連載。第5回は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家ラファエロの2つの絵と壁画を取り上げます。リストにインスピレーションを与え、今年生誕500年を迎えるパレストリーナの音楽とも共鳴するような美の世界を探訪してみましょう。

野々山 順子
野々山 順子 音楽/美術ライター

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学ピアノ科(江戸京子氏に師事)を経て、コロンビア大学教養学部卒業(音楽、美術史を専攻)。マンハッタン音楽院でピアノ、イエール大学大学...

ラファエロ「パルナッソス」(1509-11年、ヴァチカン宮殿「署名の間」 )

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今年は作曲家パレストリーナが生誕500年を迎えることから、ルネサンス時代のイタリアに遡ってみよう。イタリアでルネサンスの名作が生まれたのは、年代的には音楽史が美術史を追う流れ。建築、彫刻、絵画の傑作の空気を受けて、パレストリーナの作品は生まれ演奏されたわけだ。

共に清澄な崇高さが感じられるラファエロの絵画とパレストリーナの音楽は、後世の芸術作品の源泉であり続けた。

1.「聖母の結婚」~リスト「婚礼」の着想源となった絵

ラファエロ「聖母の結婚」(1504年、ブレラ美術館蔵)

静謐な雰囲気を漂わせる聖母マリアとヨゼフの婚礼場面。一群の人物と建物の間の遠近法で奥行きの広がりを作り、左右対称に人物たちを配した古典主義的な整然とした構図である。そして体が弧を描くようにし、画面に流れをもたらしている。

この絵に着想を得たリストは、ルネサンスの美術や文学に感銘を受けて7曲を集めた「巡礼の年 第2年 イタリア」の1曲目として「婚礼」を作曲。冒頭モティーフの上下に曲線を描く音型は、後に速めた形で連続して現れる。静かに下行する時は天からの祝福のように、オクターヴで音量を増す時は荘厳に盛り上げる。明朗なコラールの部分も含め、儀式を優美に伝えるピアノ曲である。

▼リスト:「巡礼の年 第2年 イタリア」~1. 婚礼

リストはローマに滞在していたフランス人画家アングルと交友を深め、彼の博識な美術案内に感銘を受ける。アングルはヴァイオリンの名手でもあり、ベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ第4番」など共演も重ねた。

アングルはラファエロの崇拝者として知られるが、彼との芸術談義は刺激に満ちていたであろう。リストは「もっとも幸運な出会いの一つ」と書いている。

ベルリオーズ宛の手紙にイタリアで目にした芸術の感動を熱く語る中で、「ラファエロとミケランジェロは、私のモーツァルトとベートーヴェンの理解を深めた」と書いている。

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2. 「聖チェチーリアの法悦」~ 音楽のさまざまな側面を表す

ラファエロ「聖チェチーリアの法悦」(1518年頃、ボローニャ国立絵画館蔵)

ラファエロの作品で楽器が描かれたものの一つに、「聖チェチーリアの法悦」がある。彼女は他の聖人たちとは違う次元に視線を向け、逆さまに持つポルタティフ(携帯型の小型オルガン)からはパイプが滑り落ちそう。地面にもいくつかの楽器が横たわるが、弦が切れたりして使えそうにない。天使たちの合唱は天上の精神的な音楽であり、足元の楽器は世俗の音楽を表しているとされる。

リストは「彼女の魂はすでにこの世になく、美しい身体が昇天しそうだ……芸術の存在としてもっとも精神的、もっとも神聖な瞬間だ」と、法悦の境地について述べる。《聖チェチーリアの伝説》という作品もある。

▼リスト《聖チェチーリアの伝説》

この絵は、哀しみを喜びへと昇華する過程を音楽で象徴するという解釈もされる。壊れた楽器で表す儚い哀しさから天界の合唱を見上げることにより、魂が喜びへ昇華するというもの。

聖チェチーリアは、この絵のようにオルガンと描かれることが多いが、弦楽器など他の楽器のこともある。ルーベンスやプッサンを含め、画題にされることが多い、音楽の守護聖人である。

聖チェチーリア祝日のミサ曲や聖女を讃える曲も書かれ、ラッスス、パレストリーナ、パーセル、A.スカルラッティ、ヘンデル、グノー、ブリテンなどが名を連ねる。

ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団やサンタ・チェチーリア音楽院の名前も思い出されるだろう。

19世紀に起こった聖チェチーリア運動(カトリック教会の音楽を改革する運動)は、グレゴリオ聖歌やパレストリーナ様式のような宗教音楽を重んじその気運を受けた創作にはリストの他ブルックナーなどの作品挙げられる。

3. 「パルナッソス」~美の霊感を授かる山と天空の音楽

ヴァチカンから依頼を受け、ラファエロは執務室のような場とされた「署名の間」の、壮大華麗な天井画と壁画を完成させた。

ヴァチカン宮殿「署名の間」。天井に「法学」「神学」「哲学」「詩学」が描かれ、「詩学」の下の壁面には「パルナッソス」が描かれている

天井に描かれた円形画は「法学」「神学」「哲学」「詩学」。芸術創造の源泉である「詩学(ポエジア)」の女性寓意像が竪琴と書物を手に翼を広げる。両側のプット(キューピッド風の幼児像)が示す銘板には、「神霊の息吹」というヴェルギリウスの言葉が記されている。

「署名の間」の天井画(1508年)。円形画は「法学」「神学」「哲学」「詩学」の寓意像
「署名の間」の天井画より「詩学」 

「詩学」の下の壁面には、美の霊感を授かれるとされるギリシャの山「パルナッソス」が描かれた。山頂にいるのは芸術神アポロンで、天井の「詩学」から霊感を受けとるような目線で、ルネサンス期の弦楽器リラ・ダ・ブラッチョを奏でている。

そのまわりにミューズ9人、ホメロスやヴェルギリウスといった古代詩人9人、ダンテやペトラルカといった近代詩人9人が集まっており、リラ・ダ・ブラッチョが本来7弦であったのに対し、ラファエロは9弦で数を統一した。

天上からアポロンそしてミューズを通じ、霊感を得た詩人たちがこの世に美を創り出していくと物語る。

ラファエロ「パルナッソス」(1509-11年、ヴァチカン宮殿「署名の間」)

ミューズが手にもつキタラ(共鳴箱をそなえた竪琴)など、ラファエロは古代の石棺に彫られた太古の楽器を観察して壁画に描いたとされる。古代の詩人たちを描き込むとともに、楽器描写にもルネサンスの古典古代の復興精神が見てとれる。

楽器を持つアポロンと聖チェチーリアは、共に天上を見上げる。天界への精神的な信仰もさることながら、教会や大聖堂での天井高くまで轟く音響を連想させられる。

またパレストリーナがローマで活躍した頃は、反宗教改革でカトリックの教会音楽も見直された時流の中にあった。多声音楽でも聖歌の言葉が明快に聞こえることが重要課題になり、パレストリーナは澄んだ音の重なりを追究した。

紀元前約500年頃に数学者ピタゴラスが音程を整数比で表して以来、古代の数学、哲学は音楽理論と共に考えられてきた。協和する音程や音階と一緒に天文の比例や調和が説かれ、人々は音楽を「宇宙の調和」や「天空の音楽」とも考えていた。

ラファエロが描く天上への眼差しと、パレストリーナの魂が昇華されるような清澄な響きが共鳴するようだ。

ラファエロやパレストリーナが古典古代を顧み、リストなど後世の芸術家たちがルネサンスの美を見つめる――温故知新の連鎖である。

▼パレストリーナの主要作品の一つ:教皇マルチェルスのミサ曲(トラック1~5)。反宗教改革でカトリックの教義や典礼について協議が重ねられたトレント公会議(1545年〜63年)では、1562年から63年にかけて典礼音楽について規律が定められた。その頃の創作と言われる、多声の透明な響きと言葉の明瞭さを具現する作品

野々山 順子
野々山 順子 音楽/美術ライター

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学ピアノ科(江戸京子氏に師事)を経て、コロンビア大学教養学部卒業(音楽、美術史を専攻)。マンハッタン音楽院でピアノ、イエール大学大学...

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