“狂騒の20年代”の世相を反映したミュージカル『シカゴ』製作の背景と聴きどころ
音楽の観点からミュージカルの魅力に迫る連載「音楽ファンのためのミュージカル教室」。
第29回は、ブロードウェイで上演回数1万回を超える人気作『シカゴ』! 音楽評論家の山田治生さんが聴きどころを解説します。日本公演も 、ロンドン・ウエストエンドのキャストを中心に世界ツアーを続ける実力派メンバーが集結し、12月14日に東京国際フォーラムで幕開け。迫力あるダンスナンバーから目が離せません!
1964年京都市生まれ。1987年、慶應義塾大学経済学部卒業。1990年から音楽に関する執筆活動を行う。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人 -ある日本人指揮者の...
ブロードウェイで1万回超の上演回数を誇る人気作
ミュージカル『シカゴ』は、1975年6月3日にブロードウェイ
しかし、1996年11月4日に新たなプロダクションによってリ
『シカゴ』は1926年に、シカゴ・
舞台は、ジャズ・エイジといわれる1920年代、
1942年にロキシー・ハートを主人公とする映画『ロキシー・ハート』(ジンジャー・ロジャース主演)が作られていたが、1969年にワトキンスが亡くなったのち、演出家・振付家・映画監督として活躍していたボブ・フォッシーらが、『シカゴ』の脚本の権利を得、ミュージカル『キャバレー』(1966)を手掛けた作曲家のジョン・カンダーと作詞家のフレッド・エブのコンビとともに、ミュージカル化した。フォッシーは、振付と演出を担い、エブと台本も書いた。
ミュージカル『シカゴ』は1975年6月に開幕。トニー賞はノミネートだけで、1977年8月まで上演が続いたことは前述した通り。
1996年のリバイバルにあたっては、フォッシーのオリジナルを尊重しながら、ウォルター・ボビーが演出し、フォッシーと直接関わりのあったアン・ラインキングが振付を担った(二人はともにこの作品でトニー賞を受賞)。このプロダクションが1万回公演以上のロングランとなり、この12月には再び日本でも上演される。
“フォッシー・スタイル”を生み出した振付家
ボブ・フォッシー(1927~1987)の振付は、“フォッシー・スタイル”と呼ばれる、山高帽をかぶり、肩をすくめ、背中を丸め、尻を突き出すような独特の動きが知られている。フォッシーは、もともとダンサーで、1954年の『パジャマ・ゲーム』で振付家としてデビュー。1960年代には演出もするようになる。
振付師、映画監督。ノルウェー人の父とアイルランド人の母のもとにシカゴで生まれ、14歳の頃よりダンサーとして、ヴォードヴィル、ブロードウェイなどで活躍する。第二次世界大戦中は海軍に入隊、慰問ショーなどに参加した。戦後はダンサーに戻り、1950年代のメトロ・ゴールドウィン・メイヤーミュージカルでダンサー兼振付師として数々の名作を残した。
1972年にはライザ・ミネリ出演の映画『キャバレー』の監督を手掛ける。1973年に『ピピン』でトニー賞の最優秀ミュージカル演出賞を受賞。そして1975年に『シカゴ』の脚本・演出・振付を担った。1979年、自伝的な映画『オール・ザット・ジャズ』を監督。1987年に60歳の若さで急逝した。
フォッシーの死後、1999年に、彼が振り付けたミュージカルのナンバーを集め、ラインキングの再振付によって、ミュージカル『フォッシー』が作られ、それは1999年のトニー賞の最優秀ミュージカル賞を受賞したのであった。
作詞作曲は誰もが耳にしたことのある曲も手がけた名コンビ
『シカゴ』の作曲を担った、ジョン・カンダー(1927〜)は、1966年のミュージカル『キャバレー』で、作詞家のフレッド・エブ(1928~2004)と組んだ。『キャバレー』の初演のプロダクションには、クルト・ヴァイルの妻、ロッテ・レーニャも参加。『キャバレー』は、1972年にフォッシー監督による映画版が作られ、そのときの信頼関係から『シカゴ』での再コラボレーションとなったのであろう。
カンダー&エブのコンビのもっともポピュラーな作品は、ニューヨーク・ヤンキースの試合終了後にフランク・シナトラの録音でヤンキー・スタジアム内に流されることでも知られる「ニューヨーク・ニューヨーク」に違いない。映画『ニューヨーク、ニューヨーク』(1977)の主題歌で、オリジナルはライザ・ミネリが歌った。
「ニューヨーク・ニューヨーク」(フランク・シナトラ)
『シカゴ』でも、このコンビの都会的なしゃれた音楽が輝きを放っている。
なお、『シカゴ』は、ロブ・マーシャル監督によって2002年に映画化され、アカデミー賞の作品賞などを受賞している。
代表的なナンバーと聴きどころ
1920年代のシカゴ。ヴォードヴィル・ショーのダンサー、ヴェルマ・ケリーがショーの観客に歌う「オール・ザット・ジャズ」は、このミュージカルのテーマ曲ともいうべきナンバー。享楽的なジャズ・エイジ、狂騒の20年代の雰囲気を伝える。
一方、ナイトクラブで働いているコーラス・ガールのロキシー・ハートは、浮気相手を射殺し、お人好しの夫のエイモスをだまして後始末をさせる。そして、「ファニー・ハニー」でその夫のことを歌う。
でもやはりロキシーは監獄に送られる。そこには浮気した夫とその相手である実妹を殺害したヴェルマもいた。「監獄タンゴ」は、ヴェルマを含む6人の殺人犯である女たちのにぎやかなアンサンブル。
「オール・ザット・ジャズ」、「ファニー・ハニー」、「監獄タンゴ」
ヴェルマは、辣腕弁護士ビリー・フリンによって無罪を勝ち取ろうとしていたが、今度はロキシーがビリーを雇う。ビリーは、「私にとって大切なのは」で、自分は贅沢品に興味はない、ただ愛だけが大事と歌う。
ロキシーの記者会見で、ビリーは腹話術を使って作り話を語り、記者たちに殺人は正当防衛だったことを信じ込ませる「私たちは同時に銃に手を伸ばした」は、コミカルなアンサンブル・ナンバー。ビリーの歌唱のテクニックにも注目。
「私にとって大切なのは」、「私たちは同時に銃に手を伸ばした」
無罪を勝ち取り、マスコミに注目され、ヴォードヴィルのスターになろうとしているロキシーが歌う「ロキシー」。このナンバーは、ブロードウェイでロキシーを演じた米倉涼子が歌った録音もあり、世界配信されている。
米倉涼子が歌う「ロキシー」
取り残された気分のヴェルマがロキシーに二人で組む話を持ち掛け、「一人ではできない」を歌うが、ロキシーはつれない。ヴェルマもロキシーも、「一番の親友」は自分であり、自分しか頼ることができないと悟る。
その後、紆余曲折を経て、新たなターゲットを見つけたマスコミはロキシーを忘れる。それでも、結局、二人はタッグを組んでヴォードヴィル・ショーの舞台に立ち、「ナワデイズ」を歌うのであった。
「一人ではできない」、「一番の親友」、「ナワデイズ」
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