何のジャンルにも当てはまらない、あたらしい歌曲の世界~ジャズでもクラシックでもない音楽
「歌曲」といってイメージするものは……オペラ歌手の朗々としたアリア? シューベルトの《魔王》? 実はここ20年ほどで新しい動きが出てきている「歌曲」の世界。「とにかく良い音楽なら何でも好き!」というパスポートがあれば大丈夫。クラシックでもないしジャズでもない、あらゆるジャンルを横断した魅力的な歌曲の世界を旅してみよう。
東京音楽大学の作曲専攻を卒業後、同大学院の音楽学研究領域を修了(研究テーマは、マイルス・デイヴィス)。これまでに作曲を池辺晋一郎氏などに師事している。現在は、和洋女子...
「歌曲」という響きを耳にしたとき、アナタはどんな音楽をイメージしますか? 「歌曲=クラシック音楽のうた」とするならば、少し大仰なオペラ歌手の歌声や、教科書に載っていたシューベルトの《魔王》――「おと~さん、おと~さんっ!」――が頭に思い浮かんだかもしれません。
平成も間もなく終わろうとしているのに、なんで今さら「歌曲」?……新しいカルチャーや流行に敏感な人ほど、縁遠い世界に感じてしまうであろう「歌曲」の世界ですが、実はここ20年ほど新しい動きが起きているんです。
例えば、オペラ歌手がミュージカルやポップスを歌った例であれば古今、数多く存在していますが、今回ご紹介するのは、そういった単なるカバーではなく、「クラシック音楽」と「他のジャンルの音楽」が出逢うことで、これまで聴いたことがない新しい音楽にまで昇華してしまっている楽曲ばかり。どれもが、今まさに最先端の音楽を作り出している音楽家たちの作品なのです。
ところが、こうした楽曲はジャンルの狭間に位置するがゆえに、クラシック音楽のファンからも、それ以外のファンからも見過ごされがちだったりと、その魅力が充分に伝わっていないことも多いのが現状です。この記事を通して伝えたいのは……
それは「なんと、もったいないっ!」ということ。
私自身、15歳頃にクラシック音楽にのめり込むことで、それまで聴いていたJ-POPとおさらばした身です。おそらく10年前であればこうした音楽を、まさに「これはクラシック音楽ではない」という理由で積極的に聴こうとは思わなかった……でも、それなら「クラシック音楽」として聴かなければいい! 実は、ただそれだけのことなのです。
「クラシック音楽」を聴くときの価値判断を持ち込まない。ジャズが好きな方であれば「ジャズ」を聴くときの価値判断を持ち込まない。ただ、虚心に「何のジャンルにも当てはまらない音楽」に耳を傾ければ、アナタはもっと自由に音楽を楽しむことができるはず。
だって、これから紹介する音楽の魅力がどこにあるのかは未だ固まっておらず、わたしたちリスナーがこうした音楽について語り合うことによって初めて、少しずつ共有されていくのですから。
その際のヒントとなるのが、ある作曲家が語ってくださった3つの言葉。
1)ジャンルのフォーマットを外す
2)ある特定のバイアスをなるべくかけないようにする
3)自分の思っていることをなるべく素直に出す
これらの言葉を頭の片隅に置きつつ、早速いろんな角度から「あたらしい歌曲」を聴いていきましょう!
ジャズ・ミュージシャンとオペラ歌手の出会いによって生まれた、ジャズでもクラシックでもない音楽
『ラヴ・サブライム』ブラッド・メルドー/ルネ・フレミング
最初にご紹介するのは、中堅世代を代表するジャズ・ピアニスト、ブラッド・メルドー(1970年生まれ/47歳)がオペラ歌手と共演した2つのデュオ・アルバムです。
ひとつ目は、アメリカを代表するプリマドンナ、ルネ・フレミング(1959年生まれ/59歳)が歌う『ラヴ・サブライム』(2005)。
もちろん、フレミングがジャズをカバーするという内容ではありません。メルドーが作曲した描き下ろしの歌曲集を歌っているのです。しかも収録された全11曲中7曲で、メルドーが曲をつけるのに選んだのは、マーラーや新ウィーン楽派に愛されたリルケの詩(を英訳したもの)なのですから、その時点でジャズで歌われる音楽とはまったく違うものとなっているわけです。
一番とっつきやすいのは[トラック3]の《わが存在の闇の時間を愛する I Love the Dark Hours of My Being》。シンプルなリズムとハーモニーで始まるので、違和感なく音楽に入っていけるはず。ところが、その後の展開が一筋縄ではいきません。歌われている詩の世界が開かれたものへと進んでいくほど、既存のジャンルでは耳にしたことがないようなハーモニーへと転じていくのです。曲の終盤では余白の多い音楽になり、詩の行間や余韻を巧みに描いていきます。
こうした音楽的な空白の美しさは、このリルケによる全7曲の歌曲集全体の魅力でもあります。そして、独特なサウンドをもつ不協和音が心地よく胸に響いてくるのは、メルドーのピアノの美しさゆえ!――そう、普段ジャズを弾いているとき以上に、繊細なピアノを聴かせてくれているのです。メルドーのピアニズムを語るうえでも本作は欠かせない作品といえるでしょう。
『ラヴ・ソングス』ブラッド・メルドー/アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
続いて、もうひとつのデュオ・アルバムは、幅広いレパートリーを誇るスウェーデンの名歌手アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(1955年生まれ/63歳)と共演した『ラヴ・ソングス』(2010)。2枚組となっており、Disc1がメルドー作の歌曲、Disc2はカバー集となっています。
『ラヴ・サブライム』に比べると、ハーモニーの先鋭性は少し落ち着き、一聴したところ耳に優しい音楽が増えたようにも思えるでしょう。しかしながら、例えば[トラック2]の《パーティーの終わる頃 We Met at the End of the Party》ではピアノの右手と左手が徐々にずれていくことでポリリズムが発生し、不思議な浮遊感が感じられるなど、凝った作りとなった楽曲ばかりであることにも気づかされます。
イチオシは[トラック6]の《夢 Dreams》。ピアノの分厚い響きにのせて、圧倒的なクライマックスを聴かせてくれるとともに、後奏でのピアノパートのきらびやかさと夢見心地さは、他には代えがたい魅力を放っています。(もちろん、Disc2のカバー集も非常に素晴らしい出来に仕上がっていますので、全曲お薦めです。)
『フォー・ザ・スターズ』『ソー・メニー・シングス』アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
オッターは、他にもクラシック音楽から逸脱した音楽を取り上げたアルバムを手がけています。エルヴィス・コステロをカバーした『フォー・ザ・スターズ』(2001)は、あの村上春樹も著書『村上ソングズ』で絶賛していることが話題になりました。『ソー・メニー・シングス』(2016)では、こちらもジャンルを超えた活動で注目される弦楽四重奏団ブルックリン・ライダーと共演し、ビョーク、スティング、ケイト・ブッシュ、ニコ・ミューリーといった幅広いミュージシャンの楽曲を歌い上げています。
オペラ歌手の歌声を取り入れた音楽
今度は違った角度でオペラ歌手の歌声を取り入れた音楽を聴いてみましょう。
「鬼才」という枕詞はすでに手垢にまみれたものとなってしまいましたが、マルチな活躍を続けるジャズ・ミュージシャン菊地成孔(1963年生まれ/54歳)率いるペペ・トルメント・アスカラールのアルバム『ニューヨーク・ヘル・ソニック・バレエ』(2009)から。
『ニューヨーク・ヘル・ソニック・バレエ』菊地成孔/ペペ・トルメント・アスカラール
そもそも菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールは、リーダーの菊地成孔(サクソフォンもしくは歌、指揮)に加え、ピアノ、ベース、パーカッション×2、バンドネオン、ハープ、弦楽四重奏……という10人超えの異種混成グループで、これまたジャンルを越境する音楽として知られています。
今回ご紹介するのは、ソプラノ歌手の林正子がゲストで加わった2つの楽曲。
《私が土の下に横たわる時》は、バロック時代にイギリスで活躍したヘンリー・パーセル(1659-1695)のオペラ《ディドとエネアス》のアリアですが、基本的には原曲に沿いながらも、徐々にサウンドが逸脱していく様には斜陽の美妙さが感じられます。続く「行列」は、もはや歌曲ではありませんが、特定のジャンルに収まらない混成アンサンブルだからこそ、オペラ的な声が浮くことなく新たな役割を演じさせることに成功した例です。
次回は、クラシックの流れを汲む現代音楽作曲家たちの作品をご紹介します。お楽しみに!
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