クラシックや現代音楽の作曲家による、ジャンルの狭間にある音楽
実はここ20年ほどで新しい動きが出てきている「歌曲」の世界。前編では、「ジャズでもクラシックでもない音楽」を取り上げました。後編では、クラシック・現代音楽作曲家による作品と、日本の歌曲の新しいムーブメントについてご紹介します。
東京音楽大学の作曲専攻を卒業後、同大学院の音楽学研究領域を修了(研究テーマは、マイルス・デイヴィス)。これまでに作曲を池辺晋一郎氏などに師事している。現在は、和洋女子...
クラシック・現代音楽の作曲家による、ジャンルの狭間にある音楽
『ミスター・タンブリン・マン』ジョン・コリリアーノ
プレイヤーではなく作曲家に専念している音楽家にもジャンル分けが難しい作品はたくさん存在しています。アメリカを代表する現代音楽の作曲家のひとり、ジョン・コリリアーノ(1938年生まれ/80歳)が2003年に作曲した《ミスター・タンブリン・マン》は、ボブ・ディラン(1941年生まれ/76歳)の有名楽曲から詩だけを拝借。全7曲による、全く新しい歌曲集を仕立て上げました。イチオシは、どこまでもピュアな音楽へと昇華されている最終曲《フォーエヴァー・ヤング》。
誤解しないでほしいのは、ディランの楽曲を否定するために新たな歌曲が書かれているわけではないということ。どちらが優れているということではなく、ディランの詩の可能性を広げようとしているのです。
『母の舌 Mothertongue』ニコ・ミューリー
コリリアーノの弟子であるニコ・ミューリー(1981年生まれ/36歳)は、師匠よりもさらにラディカルに他ジャンルとの越境を体現している作曲家といえるでしょう。ビョークやルー・リード、フィリップ・グラスといった各界のビッグネームとの共同作業で注目を集めていますが、今回ご紹介するのはアルバム《母の舌 Mothertongue》です。
表題曲に加え、《Wonders》と《The Only Tune》という2007年に作曲された3つの作品を収録。どの作品においても、ライヒから影響を受けたポスト・ミニマル世代 の感覚を共有しつつ、過去と現在、商業と芸術、そしてさまざまなジャンルをミクスチャーしていく方針が徹底されています。
オペラ《2人の少年》ニコ・ミューリー
ミューリーは今後、こうした既存のジャンルに仕分け不可能な音楽を語るうえで、中心人物になっていくのは間違いないでしょう。2017年にはインディ・フォークのスフィアン・スティーヴンスらとコラボレーションしたアルバム『プラネタリウム』がアメリカのビルボード誌のトップ・ロック・アルバムで最高20位にランクインしたかと思えば、アメリカのメトロポリタン歌劇場ではオペラ《2人の少年》(2011)が上演されて好評を博し、新作を委嘱されていたりもするのです。商業と芸術の第一線で活躍できる、日本でいえば坂本龍一のような存在といえば、イメージしやすいでしょうか?
生まれ変わりつつある、日本歌曲の世界
『うたほぎ』吉川真澄/佐藤紀雄
最後に、日本語による歌曲の世界を聴いてみましょう。まず紹介するのは、ソプラノ吉川真澄(1977年生まれ/41歳)とギタリストで指揮者の佐藤紀雄(1951年生まれ/67歳)がタッグを組んだアルバム『うたほぎ』シリーズ(2014~)です。
吉川と佐藤のことをご存知の方であれば、前衛的な現代音楽で主に活躍しているイメージが強いことでしょう。しかし、このアルバムでは童謡、唱歌、民謡といった多くの日本人に馴染み深いメロディばかりを取り上げ、気鋭の作曲家や編曲家にアレンジを任せることで、ノスタルジーを保ちつつも、手垢を落とした清新な感覚をもたらす音楽へと変貌させているのです。
「わたしが一番きれいだったとき」三枝伸太郎/小田朋美
そして、もうひとつ。ポップス的であり、ジャズ的でもあり、クラシック音楽的でもある。何なら曲によってはタンゴ的ですらある。そんな「歌曲」を聴かせてくれるのが三枝伸太郎(1985年生まれ/33歳)と小田朋美(1986年生まれ/32歳)によるアルバム『わたしが一番きれいだったとき』(2018)。両名ともに音楽大学の作曲科を卒業した異色のデュオです。
表題曲は、教科書にも載っている茨木のり子の詩にもとづく、三枝伸太郎作曲の歌曲――これが本当に、ジャンル分けのできない音楽なのです。
ポップスのようなキャッチーさはあるが、Aメロ、Bメロ、サビ……といった構成を持っているわけでもなく。文芸詩を題材にしているという点ではクラシック音楽的であるが、歌はマイクを使い、発声も全然異なっている。ジャズのように旋律とコードだけ書かれた譜面をもとに演奏されているが、ジャズ的ではない旋律やコードが頻出する。さまざまな要素が混じり合いながらも、何かに属そうとはしていない音楽。
ここで、全編の最初に挙げた3つのヒントを思い出していただきましょう。
1)ジャンルのフォーマットを外す
2)ある特定のバイアスをなるべくかけないようにする
3)自分の思っていることをなるべく素直に出す
実は、これらは三枝伸太郎さんがアルバム『わたしが一番きれいだったとき』について語るときに出てきた言葉なのです。
なぜ、聴き手である私たちはジャンルを気にしてしまうのでしょうか? それは、何のジャンルであるかによって、評価の仕方が変わってくるからであろうと思います。クラシック音楽のファンであれ、ジャズのファンであれ、ポップスのファンであれ、熱心であればあるほど、そのジャンルのあるべき姿を音楽家に求め、そこから外れるものを蹴落としてしまっているのです。(周りの人を思い浮かべたときに、そうした人はいませんか?)
言い換えれば、聴き手が「ジャンルのフォーマットを外す」ことができず、「ある特定のバイアスをなるべくかけないようにする」こともできず、「自分の思っていることをなるべく素直に出す」こともずに、ジャンルというカテゴリーに縛られてしまっているからなのです。
今回紹介した音楽家たちを見習い、私たち聴き手も「ジャンルのフォーマットを外」し、「ある特定のバイアスをなるべくかけないように」して、音楽にただ耳を傾けて「自分の思っていることをなるべく素直に」語ればいいのです。もし、それができたのなら、楽しめることができる音楽が飛躍的に、爆発的に増えるはずなのですから。
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