読みもの
2024.04.30
【Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画】ピーター・バラカンの新・音楽日記 23

ウドーが実現した思い出の1974年のコンサート、そしてエリック・クラプトンの歴史に残るサンディエゴコンサートのCDと映画

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。

Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。

●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2024年4月号に掲載されたものです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

イラスト:酒井恵理

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伝説のGFRのコンサートが生んだロック興業の老舗

日本でのロックの興業の世界を切り開いたウドー音楽事務所の創業者、有働誠次郎さんは2023年10月15日に92歳で亡くなり、この前の2月5日、93歳の誕生日に「お別れの会」が行なわれました。

そこで挨拶をした湯川れい子さんの話から初めて知ることがありました。最初は永島達司さんの協同企画で働いていた有働さんは1967年に独立して自分の会社を興したのですが、まだロック一色になっていたわけではなかったそうです。というのも、ロックというジャンルが日本で確立されるのは1970年代のことだった、と、まだいなかったぼくはいろいろな方から何度も聞いています。

1971年に来日したグランド・ファンク・レイルロードが後楽園球場でとんでもない雷雨の中で演奏したのは今や伝説の話です。写真で見るだけでもその迫力は十分伝わります。しかし、湯川さんの話によるとこの公演はいろいろな意味で失敗だったそうです。天候ももちろんその大きな原因ですが、屋根のない球場でこの3人組が出した音の大きさのため周りの住民からそうとう苦情が届いたそうです。協同の公演だったわけですが、頭を抱えた永島さんはもう二度とロックはやりたくないと嘆いたところ、有働さんは、ではロックは我々が担当しましょう、と宣言したのだそうです。

次第に海外のミュージシャンからMr.Udoと親しまれるようになった有働さんが来日するアーティストに必ず高級なステーキを振る舞った話は有名です。「お別れの会」の後半で何人かのミュージシャンからのヴィデオ・メッセージが流れましたが、真っ先に登場したエリック・クラプトンは日本に到着した日の夜にいつもMr.Udoと一緒にHamaでステーキを食べたことを懐かしく語っていました。

そのエリック・クラプトンの初来日はちょうどぼくが東京に来た1974年でした。ヘロイン中毒によるしばらくの活動休止から復帰して、「461 Ocean Boulevard」という久し振りの新作、そしてその中からシングル・カットされ、アメリカで1位の大ヒットとなった「I Shot The Sheriff」で大きな話題になっていたタイミングでした。

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ぼくも武道館にわくわくした気持ちで足を運びましたが、以前にもこのコラムで書いたように、観客に対するクラプトンの失礼な態度にがっかりしました。前半は一人で、アクースティック・ギターを座って演奏したのですが、お客さんはおとなしく1曲ごとに丁寧に拍手をしていました。休憩をはさんでバンドを従えて再登場し、今度はエレクトリック・ギターを弾き出した途端に大きな歓声が上がり、確かみんな立ち上がったと思います。コンサートが終わって、アンコールに応えて再び舞台に現れたクラプトンはふてくされた表情で、「お前らはアンコールに値しないけど……」と言いながら1曲演奏したわけです。

どうやら前半の演奏に対する反応のおとなしさが気に障ったようです。初来日ですし、日本の観客の特徴が分かっていないので無理もないけれど、あの時の彼の言葉遣いには本当に驚きました。ときどき自分の発言のために物議を醸すことがあるクラプトンですが、あれから50年にわたってずっとウドーの招聘で何度も来日しています。1980年代の終わりまでアルコール依存症に陥っていた彼の演奏は当然善し悪しがありました。自分でそれを感じていたのか、よくゲストとして味のあるもう一人のギタリストをメンバーに加えることもあり、アルバート・リーやアンディ・フェアウェザー・ロウなどにソロを弾かせる気前の良さも印象的でした。

いまだにこの時の演奏を越えていないサンディエゴのライヴCD

ぼくもほぼ毎回彼の来日公演を見ていますが、ダントツによかったのが2007年、まだあまり知られていなかったデレク・トラックスとその仲間のドイル・ブラムホールを迎えた時でした。そしてドラマーはスティーヴ・ジョーダン、ベースはウィリー・ウィークス、キーボードはいつものクリス・ステイントンの他にティム・カーモンというドリーム・チームのようなバンドで、デレクに発破をかけられて久々に『レイラ』の中の曲を演奏するようにもなりました。

そのツアーの9年後に、さらに特別ゲストとして参加したJ.J.ケイルとの共演を含むアメリカのサンディエゴで行なわれた公演のライヴ盤のCDが発表され、それもとても嬉しかったですが、今度また8年のブランクを経て何と映像版も登場します。3月29日から劇場公開される「エリック・クラプトン ライヴ・イン・サンディエゴ〜伝説の一夜」(2024年4月23日現在、映画館での上映は終了)を見ると、アルバムで聴く時以上のスリルが味わえます。

いちばんの感激はもしかしたらスティーヴ・ジョーダンかも知れません。ドラムズを叩く彼のドライヴ感は凄まじく、プロデューサーではないにしろ演奏を後ろの方から制御しているような印象です。

またデレク・トラックスの存在が極めて大きいです。まだ20代だった彼はまるで「レイラ」におけるドゥウェイン・オールマンに匹敵する役割で、クラプトンはソロをいっぱい弾かせながらも負けていられないので自分も真剣にギターを弾いています。デレクにとっても1年かけてこのツアーで世界を回ったお陰で自分のことを多くのクラプトン・ファンに知ってもらうことができ、またツアーで稼いだお金で自分のスタジオを築くこともできました。いまだにこの時の演奏を越えていないエリック・クラプトンのこのコンサート映画は見逃さないように!

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

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