左手のピアノ名曲誕生の立役者 戦地で右手を失ったピアニスト・ヴィトゲンシュタイン
クラシック音楽には、ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」をはじめ、左手のために書かれたピアノ曲の系譜があります。その陰には、第一次世界大戦で右手を失ったピアニスト、ヴィトゲンシュタインの存在がありました。名だたる作曲家に左手のピアノ曲を委嘱したこの重要人物と、戦後に左手のピアノ音楽が花開いた背景について、左手のピアニスト・智内威雄さんが解説。
戦争で荒廃した心を癒し、復興に向かわせた「左手のためのピアノ曲」
クラシック音楽における「戦争と音楽」と聞いて、何を連想するだろうか。一般的にはワーグナーやベートーヴェンのように、人々を戦争に誘導するために使われてしまった音楽を思い出すだろう。果たして人々を癒やした音楽を想像した人はいただろうか。
戦争における音楽の役割とは、大雑把に2つに分類してもよいかもしれない。1つ目は、戦いに挑むために人々を鼓舞する音楽である。「戦中の音楽」と呼べるだろう。そしてもう1つは、戦いで荒廃した心を癒し、復興に向かわせる音楽である。こちらは「戦後の音楽」とも呼べるだろう。使われる時期によって随分と印象が異なる。
我々のように世界大戦を俯瞰して見られる世代からすると、真の音楽の力とは、人を傷つけるためにあるのではなく、後者のように心を癒やすためにあると宣言したいものだ。しかし実際には、欧米であろうと日本であろうと、戦いに向かうために使われた音楽の方が、教科書などに詳しく刻まれている。心をいやした音楽については、ほとんど触れられないテーマになっている。
しかし、ここではそのような心の平和に向かうための音楽について取り上げる。具体的には「左手のためのピアノ曲」のことだ。そこには第一次世界大戦で右腕を失ったピアニストたちが、どのような困難な状況下でも音楽を心の支えに生きぬいた姿があった。
左手のピアニスト・ヴィトゲンシュタインに楽曲を提供した錚々たる作曲家たち
この左手のピアノ音楽は、利き手ではない手を鍛えるための訓練曲として300年ほど前には存在していた。そして約150年前にブラームスがバッハ作曲の〈シャコンヌ〉を左手演奏用に編曲したことにより、左手でなければできない表現方法が見い出され、芸術性をまとうことになる。
ブラームスが左手演奏用に編曲したJ.S.バッハ〈シャコンヌ〉
その後、約130年前あたりから作曲家であり凄腕のピアニスト・ゴドフスキーにより極限まで演奏技術が高められ、左手ならではの演奏技巧が確立する。その直後である。第一次世界大戦が勃発した。今から約100年前のことである。
そこでは職業軍人だけではなく、一般人である音楽家やピアニストたちも戦地に赴くことになる。当然、戦地で傷ついた兵士の中にはピアニストもいた。右手を失ったピアニストの中では、ウィーンで活躍したパウル・ ヴィトゲンシュタインと、チェコで活躍したオタカー・ホルマンの存在が大きい。ヴィトゲンシュタインのために楽曲を提供したのは、ボルトキエヴィチ、ヒンデミット、コルンゴルト、R. シュトラウス、ゴドフスキー、ラヴェル、プロコフィエフなど超一流の作曲家が名を連ねる。ホルマンのためにもヤナーチェク、マルティヌー、 シュールホフなど、世界的な東欧の作曲家の名前が並ぶ。
特にヴィトゲンシュタインの影響は大きく、彼のために多くのピアノ協奏曲が生み出されていった。その共演者である指揮者は、エーリヒ・クライバー、ブルーノ・ワルター、フルトヴェングラー、フリッツ・ブッシュ、ピエール・モントゥー、ワインガルトナー、ヘンリー・ウッド、ルネ=バトン。 そしてほとんどの主要オーケストラといった具合だ。ようするに、この戦後すぐの世界でもっとも成功したピアニストは、この左手のピアニストであったといっても過言ではないだろう。
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