ギーギーいう楽器――ちょっとややこしい楽器の名前
東京外国語大学大学院修士前期課程修了。ワルシャワ大学音楽学研究所に政府給費留学(2001~03年)。ポーランドの舞曲やモニューシュコを研究。訳書 『ショパン家のワルシ...
身近なものから名前をとられた楽器たち
トリビア・ポーランド語編 Vol.3で「ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール」の話題を取り上げましたが、そのポーランド語名称「Konkurs Skrzypcowy im. Henryka Wieniawskiego」の一体どこに「ヴァイオリン」という言葉が入っているのか、不思議に思いませんでしたか? 実は2つ目の「skrzypcowy」が「ヴァイオリンの」にあたる単語なのでした。これは形容詞ですが、名詞の形に戻したskrzypce(スクシプツェ)がポーランド語の「ヴァイオリン」です。
この機会に、ポーランド語の楽器名をご紹介してみましょう。
まずは木管楽器から。flet(フレト/Fl)、obój(オブイ/Ob)、klarnet(クラルネト/Cl)、fagot(ファゴト/Fg)、このあたりはわかりやすいですね。
次は金管楽器。róg(ルク/Hr)、trąbka(トロンプカ/Tp)、puzon(プゾン/Trb)、tuba(トゥバ/Tub)のうち、puzonはもしかするとドイツ語をご存知の方だとすぐにトロンボーンとピンとくるかもしれませんが、謎なのはrógでしょう。これは「角(かど、つの)」の意味で日常的に使われる単語でもあって、「角笛」から転じてホルンを指します(ホルンはもう一つwaltorniaという語も用います)。
このように一般名詞から楽器名に転じたものには、打楽器のkotły(「大鍋たち」の意。読みはコトウィ/Timp)もあります。
ではVn以外の弦楽器はどうでしょうか。Va、Vc、Cbは順にaltówka(アルトゥフカ)、wiolonczela(ヴィオロンチェラ)、kontrabas(コントラバス)で、ヴァイオリンのskrzypceに比べるとずっと馴染みやすい気がします。
こう見てくると、どうにもVnだけ他の楽器名とは異なる様相を呈しています。そもそもskrzypceなんて子音だらけで、rzyを「シ」と発音するなんてポーランド語を知らなければ絶対わかりませんよね。
実はこの単語、語源はskrzypiećという動詞で、意味は「きしむ」。「ドアがギーギーいう」、「自転車のブレーキがキキーっと鳴る」というような文で使う動詞です。つまりskrzypceは「ギーギーいう楽器」、というわけなんです。いくらまともな音を出せるようになるまで苦労する楽器だとはいっても、こんな名前だなんて酷い! …と哀れに思ってしまったりもしますが、ポーランド語の名誉のために、これは15世紀にはもう登場し、擦弦楽器を指す語として使われてきた由緒ある名称なのだということを付け加えておきましょう。
一台でも複数形?
興味深いことはまだあります。このskrzypce、なんとはじめから「複数形」の名詞なのです。単数形がないので、楽器が一台しかなくても、複数形で表します(英語でハサミは一本でもscissorsなのと同じですね)。
同様に、パイプオルガンも複数形のorgany(オルガヌィ)という語で一つの楽器を表します。もっともパイプがずらっと並んでいる様子を想像すれば、複数形なのもなんとなく納得できてしまうところではありますが。
このorganyという語にはorganという単数形もあるのですが、こちらは「オルガン」ではなく「器官」という意味です。ポーランド語にはこのように、同じ単語なのに単数形と複数形で意味が違う変わり種がいくつかあり、例えばnuta(単:ヌタ)とnuty(複:ヌティ)もこれにあたります。nutaは個々の「音符」を指しますが、nutyは「楽譜」という意味になってしまうのです! いくつかの音符を指して「これらの音符が…」という話をするときにも同じくnutyという複数形を使うのでややこしいですね。
ピアノフォルテ? フォルテピアノ? パンタリオン??
ややこしいついでに鍵盤楽器についても少々。ポーランド語でモダンピアノはfortepian(フォルテピアン)といいます。一方、古楽器のピアノのことを総称して、pianoforte(ピアノフォルテ)と呼ぶこともあります。ん? 日本では「ピアノ(フォルテ)」が現代のピアノ、「フォルテピアノ」はピリオド楽器、というのが一般的な使い分けですよね。これが逆転しているのです!
でもこれはポーランド語が特別というわけではありません。「ピアノ」と「フォルテ」の前後関係は国によってさまざまなので、調べてみると面白いですよ。
そしてそもそも18~19世紀にかけて、「ピアノ」を指す名称には実に多種多様なものがあった、というのも興味深いところです。例えばかのショパンも、友人のティトゥス・ヴォイチェホフスキに宛てて書いた手紙(1828年12月27日付)で、2台のピアノのための《ロンド ハ長調》[作品73]を指して「2台のパンタリオンのための《ロンド》」と書いていたりするのです! pantalion(パンタリオン)なんて名前、ご存知でしたか?
この音源、ショパンの名が「フレデリック」になってしまっているのは痛恨の極みですが、トリビア・ポーランド語編 Vol.1をお読みいただいた皆さんはぜひ、「フリデリク」と読み替えてくださいね!
この楽器自体はショパンの時代にはすでに一般的ではなくなっていたが、「パンタレオン」ないし「パンタリオン」という名称は、おもに垂直の響板をもつピアノやダンパーのないピアノを指す一般名称として残り、ポーランドでは1830年頃まで用い続けられた。
写真はウィーン技術産業博物館所蔵の復元楽器©︎Xaver X. Dreißig
ポーランドでは来年、第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクールが開催されますね。ショパンが活躍した19世紀前半は、ピアノがめくるめく変遷を遂げた時代です。ショパンはプレイエルやエラールなどよく知られたピアノメーカーの楽器以外にも、効果音など新しい発明を組み込んだピアノや新種の鍵盤楽器を含め、さまざまな楽器を演奏してきたという事実があります。ショパンが弾き、耳にしていたピアノの音に思いを馳せながら、来年のコンクールも楽しみにしたいところです。
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