音楽を贈る~演出までこだわったワーグナーから妻コージマへの愛情たっぷりプレゼント
音楽をプレゼントとして贈ったことはありますか? 好きな曲を集めてプレゼントしたり、好きな人のために曲を作ったり……。音楽史上では、かのワーグナーも妻コージマのために音楽をプレゼントしました。シチュエーションにもこだわった大作曲家の贈り物について、飯尾洋一さんが紹介します。
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
なつかしのプレゼント、自分の好きな曲を入れたカセットテープ
音楽はプレゼントの対象になりうるだろうか。もちろん、答えはイエスだ。贈られる音楽の形はさまざまだ。
音楽ファンの古典的なプレゼントのあり方としては、好きな曲を選んで贈るというものがある。思い出すのは、一世を風靡したニック・ホーンビィの小説『ハイ・フィデリティ』。イギリスで100万部を超える大ベストセラーとなり、2000年にはジョン・キューザックの主演で映画化もされている。
パッとしない中古レコード店を経営する音楽オタクの主人公が、恋人にフラれたことをきっかけに、過去の恋愛の失敗を振り返るという、音楽小説というか、洋楽オタク小説というか、ダメ男小説だ。
森田義信訳、新潮文庫、1999年。
1999年公開、監督:スティーブン・フリアーズ、出演 : ジョン・キューザック, イーベン・ヤイレ, ジャック・ブラック, キャサリン・ゼタ=ジョーンズ
物語中にしばしば登場する「自分の好きな曲をカセットテープに入れてプレゼントする」という行為が、なんとも時代を感じさせる。カセットテープそのものがすでに謎の概念だと思うが、かつては自分の好きな曲をセレクトしてレコードやCDからカセットテープにコピーしてプレゼントするという文化が音楽ファンに根付いていた。現代であればプレイリストが同様の機能を果たすのだろうか。
音楽史上もっとも成功したプレゼント!?
カセットテープに編集されたオリジナルアンソロジーには、どこか気恥ずかしさとモテない感が漂うが、同じ音楽のプレゼントと言っても大作曲家が自作を贈るとなれば、がぜんモテ感が出てくる。音楽史上もっとも成功したプレゼント例を挙げるとするならば、ワーグナーの《ジークフリート牧歌》ではないだろうか。
ワーグナー:《ジークフリート牧歌》(クリスティアン・ティーレマン指揮、バイロイト祝祭管弦楽団)
1870年12月25日、ワーグナーの妻コージマは、どこからともなく聴こえてくる優しく穏やかな音楽で目を覚ました。その日は、コージマの33回目の誕生日(なんとクリスマスが誕生日だ)。
姿の見えない奏者たちは、コージマの部屋に通じる階段に並び、ワーグナーの《ジークフリート牧歌》を演奏したのだ。この前年、コージマは長男ジークフリートを産み、すでに50代半ばに達していたワーグナーは深い喜びをかみしめていた。ワーグナーはコージマへのねぎらいと感謝を込めて、《ジークフリート牧歌》を誕生日の贈り物として作曲したのである。
コージマはワーグナー2番目の妻で、父親はフランツ・リスト。2人の女児を出産したのち、ジークフリートが生まれた翌年の1970年に正式に結婚した。
サプライズを演出するために、ワーグナーは妻にナイショで楽員を集め、練習を行なった。弟子のリヒターが突然慣れないトランペットを練習する様子に、コージマは疑念を抱いたが、このプライベートな初演によって、事の次第を理解することになった。やさしく、満ち足りた曲想は、コージマにとってこれ以上ない音楽の贈り物となったことだろう。
重厚長大な大作オペラで知られるワーグナーだが、この曲は室内での演奏が前提なので、ごく簡潔な編成になっている。フルート、オーボエ、クラリネット2、ファゴット、ホルン2、トランペット、弦5部。最小13人で演奏可能だ。まあ、そうはいっても現代の一般家庭にとっては大人数なのだが、ルツェルンにあったワーグナー邸には、これくらいの人数が集まれたわけだ。
もともとは家庭内のプレゼントだった《ジークフリート牧歌》は、やがて出版されると、たちまち人気を呼んで、名曲の仲間入りを果たした。妻への贈り物が、後世のすべての音楽ファンに対する贈り物へと姿を変えたのである。
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