読みもの
2023.04.30
留守keyによるマンガとコラムで12ヶ月で制覇!

マンガでたどるラフマニノフの生涯#4 チャイコフスキーとの別れ

ラフマニノフの生誕150周年にちなみ、その生涯を12ヶ月、全12回でたどるマンガ連載がスタート! 作曲家の創作マンガを数多く手がけてきた創作マンガユニット・留守keyが、ラフマニノフの音楽について綴るコラムとともに、その劇的な人生をお届けします。

留守key
留守key 創作マンガユニット

http://rusukey.blog.jp主な作品:『B(ベー)〜ブラームス二十歳の旅路』コミックス全3巻(DeNA/小学館クリエイティブ)、学研マンガジュニア名作...

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ラフマニノフを「作曲家」へと駆り立てたチャイコフスキーの存在

ここまでラフマニノフは優れたピアノ奏者として育ってきた。ズヴェーレフ先生からも将来有望な演奏家になるだろうと、とくに目をかけられていたといわれている。

しかし、ある時からラフマニノフは「作曲家」という道を考えるようになった。モスクワ音楽院在学中は、アントン・アレンスキーの教室で作曲を学んだと記録にある。

卒業の課題として取り組んだ1幕ものの新作オペラとして、ラフマニノフは、プーシキン原作による『ジプシー』を題材にした歌劇《アレコ》を作曲した。

ラフマニノフを作曲家へと駆り立てたものとは、一体何だったのだろうか? その直接的な影響は、ラフマニノフが学び卒業したモスクワ音楽院で、かつて教授を務めていたチャイコフスキーの存在が大きいといわれている。

ラフマニノフは、モスクワ音楽院在学中に多くのチャイコフスキーの音楽に触れた。そのうちの何曲かを編曲してみるなどして、チャイコフスキーの作曲技法を自ら積極的に学ぼうとした形跡がある。

その結果、ラフマニノフの最初期の作品(未完に終わった《ユース・シンフォニー》[1891年]など)には、チャイコフスキーの影響をそのまま感じ取ることができるように思える。

ラフマニノフとチャイコフスキーを結ぶ運命の糸

そもそもラフマニノフがモスクワ音楽院で学んだアレンスキーやセルゲイ・タネーエフといった教授たちも、遡ればチャイコフスキーからの影響を強く受けた音楽家であった。

ラフマニノフも、ズヴェーレフ先生の音楽教室時代にチャイコフスキーと知遇を得ている。孫とお祖父さんのような歳の差だったが、この時に互いを認め合う「何か」がラフマニノフとチャイコフスキーを結びつけたのだろうか。

まだ10歳の子どもだったラフマニノフの才能を見越してペテルブルクからモスクワへと連れ出したアレクサンドル・ジロティも、チャイコフスキーからの薫陶を受け、さらに深い信頼で結ばれていた人物だ。

こうしてみると、ラフマニノフとチャイコフスキーの関係は初めから決まっていたようにさえ思えるから不思議である。

さて、卒業制作として作曲した歌劇《アレコ》は、上演前のリハーサルになんとチャイコフスキーが立ち会っただけでなく、1893年5月にモスクワのボリショイ劇場で初演された際にも、チャイコフスキーが会場に駆けつけたのだそうだ。

終演後には「新しい才能」としてチャイコフスキー自ら拍手で絶賛し、聴衆に向けてラフマニノフの才能を大いに喧伝したと伝えられている。若き音楽家の門出として、尊敬する大音楽家にこれほど熱烈な歓待を受けたラフマニノフは、さぞや心強かったに違いない。

実際にラフマニノフは、このときのチャイコフスキーの称賛に大いに勇気づけられたと後に語っている。この時こそ、ラフマニノフはチャイコフスキーに続いて、ロシアを代表する作曲家になってやろうと決心したのではないだろうか。

しかし。そのわずか数か月後の11月に、チャイコフスキーの突然の訃報を知る……。その悲しみはいかほどであったか、想像すらできないものであっただろう。

引き継がれる「悲しみの三重奏」の系譜

悲しみの果てに、チャイコフスキーに作曲家として認められたラフマニノフはその返礼の意味も込めて、とある室内楽曲を作曲した。

それが「ピアノ三重奏曲第2番 ニ短調」(1893)だ。この曲は通称「悲しみの三重奏」と呼ばれている。

ラフマニノフ:ピアノ三重奏曲第2番 ニ短調(トラック2~4)

ロシアにおいてピアノ三重奏曲は、もともとチャイコフスキーが恩人の死に接して、哀悼の意を表して作曲したことが発端となっているようだ。チャイコフスキーが最初にそうしたように、ラフマニノフもこの様式をそのまま引き継いだことになる。

身近な大切な人物に、ピアノ三重奏曲で最後の別れをつげる作品は、チャイコフスキーが師のニコライ・ルビンシテイン逝去を悼んで《偉大なる芸術家の思い出》として作曲した「ピアノ三重奏曲 イ短調」(1881〜82)がはじまりだ。

このほか、ラフマニノフが作曲を教わったアレンスキーが、チェリストのカルル・ダヴィドフ逝去を受けて作曲した「ピアノ三重奏曲第1番ニ短調」(1894)に続き、ショスタコーヴィチも親友イワン・ソルレンチンスキーの訃報に接して「ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調」(1944)を作曲し、「悲しみの三重奏」の系譜が引き継がれている。

ショスタコーヴィチ「ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調」(トラック2~5)/チャイコフスキー「ピアノ三重奏曲 イ短調」(トラック6~20)

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留守key 創作マンガユニット

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