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映画『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再⽣』が2026年2⽉20⽇に公開!

ラフマニノフ生誕150年ということで、ピアニストや指揮者としても活躍したラフマニノフの功績を振り返ります。手が大きかったというエピソードは有名ですが、実際にどのようなレパートリーを得意としていたのでしょうか? ラフマニノフ本人によるピアノ演奏や指揮をした音源とともに、お楽しみください。

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール優勝。2025年、第21回ハチャトゥリアン国際コンクール指揮部門第2位、古典派交響曲ベスト...
ロシアで生まれ育ち、ロシア革命をきっかけにヨーロッパとアメリカにて活動したセルゲイ・ラフマニノフ。現在では作曲家として有名ですね。フィギュアスケートやCMだけでなく、映画でもラフマニノフの音楽を耳にすることがあります。しかし、この記事を読み終えられる頃には、「ラフマニノフといえば作曲家」という考えは変わっているでしょう……!

貴族の家に生まれたラフマニノフは、4歳の頃からピアノのレッスンを受け始めます。それから12歳のときにペテルブルク音楽院の子どものための課程に入ります。しかし、このときの家庭内の状況は非常に悪く、9歳のときに家が破産、両親は離婚し、繊細だったラフマニノフは何もかもが嫌になっていました。レッスンや授業をサボっては友達とアイススケートをし、遠くへ出掛けてはいつまでも帰ってこなかったそう。
そしてとうとう、定期試験のすべての科目で不合格に。お母さんは学校へ呼び出され、退学を告げられます。家に帰ったお母さんは烈火のごとく怒り、親戚のツテを使って、息子をモスクワ音楽院のスパルタ教師の元へ寄宿させます。








