懐中電灯を手に歩く.......ライアン・ガンダーが仕掛ける暗闇の展覧会の音楽性とは?
日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキストの小川敦生さんが、美術と音楽について思いを巡らし、素敵な“ラクガキ”に帰結する連載。東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の『「ストーリーはいつも不完全……」「色を想像する」ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展』。暗闇を懐中電灯片手に歩く展覧会でラクガキストが感じた音楽性とは?
1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...
コロナ禍が産んだ衝撃の「収蔵品展」
コロナ禍が生んだ苦肉の策とも言える、ある奇妙な展覧会を紹介する。まずは美術展として見て特異な内容なのだが、音楽の視点で見ても極めて興味深い性質を持っている。緊急事態宣言の中で休館していた東京オペラシティ アートギャラリーで6月1日に再開された『「ストーリーはいつも不完全……」「色を想像する」ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展』である。
ライアン・ガンダーは、1976年イギリス生まれの美術家だ。絵画、写真、映像、インスタレーションなどさまざまな技法で作品を制作し、ヴェネツィア・ビエンナーレなどの国際展にもしばしば出品してきた現代美術界が注目する存在である。
東京オペラシティ アートギャラリーでは本来、この時期にガンダーの個展を開く計画を立てていた。ところがコロナ禍は、その刺激的な試みを阻む壁となってしまった。そこで対案として企画されたのが、この「収蔵品展」だった。
通常、収蔵品展は、内容を熟知しているその美術館の学芸員が企画するものだ。その役を外国人の現代美術家が担うというのは、まさに異例の展開である。ところがこの展覧会は、そうしたことを取り沙汰する次元をはるかに超えた創造的な内容になっていた。
展覧会は、1階と2階の大きく2つのパートに分かれているのだが、ONTOMO的視点で特に気になったのは、主に1階の展示だ。
では、その展示の何が特徴的だったのか。何と、展示室がほぼ暗闇だったのである。厳密に言えば薄暗がりだったのだが、美術展では通常そんなことはありえない。作品がよく見えないというのは、美術品にとって幸福であるとはとても思えないからだ。
この展覧会で鑑賞者は、入り口に準備された小型の懐中電灯を手にしながら歩を進める設定だった。つまり懐中電灯で照らすまで、どんな作品が展示されているかがわからないという趣向である。
絵画作品が暗闇と懐中電灯で時間芸術に変わる
実際に歩き始める。それは実にワクワクする経験だった。そして、はたと気づいた。これは、明らかにパフォーマンスなどの時間芸術の楽しみ方である。はたして俳優はどんなセリフを吐き、どんな仕草をするのか、あるいは音楽家は次にどんな音色を出し、どんな解釈の演奏をするのか、そうしたことを楽しむのと近い刺激が得られる。
会場には、実にたくさんの種類の作品が展示されていた。ほとんどは絵画作品だった。縦が1メートルくらいだろうか。ほぼ正方形のカンヴァスに懐中電灯の光を当てると、全体が深い緑色に塗られたような抽象絵画であることがわかった。
そこでは、色の発見という喜びをまず感じることができる。光を当ててつぶさに観察を始める。均等に塗られているわけではないことに注意が向く。濃くて太い緑色の線が粗い幾何学形態を描いている。思わずその意味を問い始める自分がそこにいた。横に貼られていたキャプションパネルを見ると、現代美術家の赤塚祐二の作品《Canary 89405》であることがわかった。
歩を進めると、同じくらいの大きさの作品があった。懐中電灯の光を当てると、おもむろにピンク色の景色が広がった。描かれているのは、桜並木の道の中央を自転車を押して歩く小さな人物のいる風景だった。日本画家、倉島重友の《桜花の道》という作品だ。「これはおそらく、明るい会場で見るのとは全然印象が違うのではないだろうか」と思った。何か、ただの幸福感とは異なる、いとおしい明るさをそこに感じたのだ。
予期せぬ作品との出会いに開いていく感覚
懐中電灯で先を照らさないと、次にどんな絵があるのかがはっきりとはわからない。それがなかなかのワクワク感を呼ぶ。しかも、現代美術もあれば近代の日本画や彫刻もある。選者となったガンダーはおそらく、わざと多様なジャンルの作品を並べたに違いない。先が見えないからこそ、予期せぬ表現と出会った鑑賞者は、そこに集中的に意識を向けることになる。まるで、いい音や演奏を聴くときに耳をそばだてるかのように、である。
美術品の鑑賞においてこんな楽しみ方を提示した例は、おそらくこれまで世界のどこにもなかったのではないだろうか。
そしてもう一つ、大切な現象が起きていることに気づいた。鑑賞者の比較的閉じていたと思われる感覚を開かせる役割を果たしていたことである。こうした特殊な鑑賞法によって、ただ普通に見ているだけでは知覚しえないものが見えてくることもあるのではないだろうか。
会場: 東京オペラシティ アートギャラリー(東京・初台)
会期: 2021年4月17日〜6月24日(6月は無休)
堂本右美、難波田龍起、奥山民枝、吉原治良など近代日本を代表する作家の作品が出品されている。
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