読みもの
2018.06.25
子どもたちに絵本でどう伝えるかを考え抜いた人生

絵本作家かこさとしの描いた世界——音楽や社会、自然科学への確かな視点から

「子どもたちのために」——大人になって絵本を開いてみると、その思いにあふれる世界観に、改めて心を熱くするだろう。
ただただ楽しくて、驚きや優しさ、ユーモアに満ちていて、何度も開いて眺める子どもたち。そんな体験を長きにわたって与えてくれている加古里子さんの絵本や作家活動について、児童文学者の本間ちひろさんに解いていただく。

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本間ちひろ
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本間ちひろ 絵本作家・イラストレーター

1978年、神奈川に生まれる。東京学芸大学大学院修了。2004年、『詩画集いいねこだった』(書肆楽々)で第37回日本児童文学者協会新人賞。作品には絵本『ねこくん こん...

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加古里子さんの絵本で育った大人の思い

「だるまちゃん」シリーズや『からすのパンやさん』、『かわ』、『はははのはなし』——

図書館や本屋さんでの、加古さんの追悼特集コーナーは、加古さんが描いた笑顔であふれていた。口をあけて快活に笑う、加古さんの描く子どもの笑顔。

そして、その絵本を楽しそうにひらく子どもたちを見守りながら、加古さんの絵本を愛する大人たちは、大きな大きな感謝の気持ちで、心のなかで静かに泣いた……。

5月の連休が明けたころ、絵本作家・加古里子さん死去の報道があった。

児童書に関わる私の友人たちはすぐに、図書館司書はそれぞれ自分が勤める図書館で、児童書の本屋さんは、それぞれが勤めるお店の絵本コーナーで、加古さんの絵本の特集コーナーを作った。連休明けの最初の勤務の時、仕事用エプロンにひっそり小さな黒いリボンをつけたという人もいた。

それにしても、ただ泣くだけでなく、パパパッと追悼と感謝をこめて展示を作る司書や本屋さんに、私は特別なものを感じた。考えて、できることをやることの素敵さ。それこそ、加古さんが絵本を通して教えてくれたことだから。加古さんへの感謝は、自然と行動となるのだろう。ほんとうに光を放っていた。この光は、感謝の手紙となって、きっと加古さんに届くはずだ。

神保町にある児童書専門店「ブックハウスカフェ」での「かこさとしフェア」

600冊を超える絵本を生んだエネルギーの源

加古さんは、1926年に生まれた。それは、大正15年から昭和1年にかわった年だ。

加古さんの少年時代は、日本がどんどん戦争へと突き進んでいった時代であった。中学生の頃、軍人の学校にいけば学費がいらないし、航空士官になれば親孝行になると考え、そのために数学と理科と心身の鍛練に勤めた。戦意高揚、軍国主義の時代、周囲の大人たちからもそれを期待されていた。しかし近視が進み、士官学校の受験資格がないことがわかると、その途端、大人たちの自分に対する態度が一変したそうだ。※1

旧制高校から、東京大学に進学。工学部にすすんだため、徴兵を1年猶予されている間に「敗戦」。「軍の学校へ進んだ友人達は皆戦死していた」という。※2

加古さんは著書のなかで度々、戦争時代の反省について語っている。近視のため軍人にはならなかったけれども、当時、軍人になろうと思ったことを、自らの「重大な過誤」とみなす。「家庭の状況や時代の流れに託するのは、卑怯暗愚の至り」であり、「世界を見る力のなさと勉強不足は、痛烈な反省と慚愧となって残りました」と。※3

「勉強が足りないとこうしてあやまちをする」。では、「子どもたちに賢く健やかに育ってもらうように」できることは何か。加古さんは自分と同じ悔恨を、二度と子どもたちが抱くことがないように。平和であるように。戦争から生きのこった自らの命を、そこに捧げることに決めた。※4

そして、大学時代は、演劇研究会で子ども向けの脚本を書き、社会人になってからは、セツルメント(社会福祉事業)の子ども会で子どもたちと遊び、自作の紙芝居を演じた。

昭和34年に最初の絵本『だむの おじさんたち』(福音館書店/1959年)を出版。会社員をしながら絵本を書く生活がはじまる……。

 

『だむの おじさんたち』(加古 里子 作・画/福音館書店/こどものとも 1959年1月号) 山奥の谷川を上ってきたのは発電所をつくるために、下調べに来たおじさんたち。やがてトラックが、ブルドーザーが、おじさんやお兄さんがたくさんやってきて、ダムの工事が始まった。昼も夜も夏も冬も、おじさんたちは働き続ける。大勢のおじさんたちが何年もかかって大きなダムを完成させた。加古里子のデビュー作。

「大切なことは、すべて子どもたちに教わった」と加古さんはいう。※5

加古さんが、子どもたちから学んだ大切なことが、600冊を超える作品たちに込められている。

かこさとしが描いた絵本のなかの音楽

『パピプペポーおんがくかい』

かこさとし 作・絵(偕成社/2014年)

加古さんは、子ども会に関わっていたとき、子どもたちに紙芝居を通して伝えたいことがあったから、紙芝居を作った。子どもたちが大喜びで何度も読んでと求めるものもあれば、読んでいるといつの間にか、ザリガニとりに行ってしまうこともあったという。

だから、ザリガニよりも魅力のあるお話を作らなければならない。この頃の経験が、加古さんの絵本には活きている。だから否応なく、加古さんの絵本はおもしろい。でも、「自然は最高の子どもの書」という加古さんだから、もちろん、子どもが紙芝居よりザリガニに魅かれてしまうことも、微笑んで見守っていたにちがいない。※6

『にんじんばたけのパピプペポ』(1973年)はその頃に、子どもが人参を楽しく食べられるように作ったお話が、もとになっている。

その絵本の中で作られる「おおきなげきじょう」を舞台にした動物たちのコンサートが、続編の『パピプペポーおんがくかい』。舞台の上の動物たちと、お客さんみんなが、最後に唄う《このほしのいきもののうた》をぜひ、読んでほしい。

あとがきによると、この絵本には、1408の生物が描かれているそうだ。

『パピプペポーおんがくかい』かこさとし 作・絵(偕成社/2014年)。リズミカルな言葉と動きのある絵で、目も耳も楽しませてくれる。そして、ここに出てくる歌にはみんな曲がある。加古さんの故郷、越前市にある「かこさとし ふるさと絵本館」では、イベントのときに子どもたちが歌うこともある(神原いずみ作曲)。最後の「このほしのいきもののうた」は、大中恩(おおなか・めぐみ)作曲

『わっしょいわっしょいぶんぶんぶん』

かこさとし 作・絵 (偕成社/1973年)

セツルメントの子ども会での活動を始めた初期に、掛図式の絵話として『わっしょいわっしょいブンブンブン』(1951年)がうまれた。それは子どもたちと、その周りの人々に愛され、何度も演じてぼろぼろになり、何度も作り変え、描きなおしたという。その作品を7度目の筆をとり、作り直して出来上がったのがこの絵本。

――ある晩、「よくばりのアクマ」が国じゅうの楽器をみんな盗んでしまう。音楽を愛する人々が、楽器をとりあげられてしまったら、さて、どうなってしまうのか!? いろんな楽器、いろんな手作り楽器、歌で、音楽を楽しむさまざまな姿が描かれて(「あとがき」によると、人物が1,094人、動物が465匹、物や道具が294個)、絵を見ているだけでも、音楽とは何か、が伝わってくる。

加古さんの絵本には、『カラスのパンやさん』(1973年)のパンでもおなじみのように、たくさんのものが描かれることが多い。この「物尽くし」は、世の中にはいろんなものがあり、いろんな人がいる、その多様性を子どもたちに伝えてくれる。「真ん中だけがエライんじゃない、端っこで一生懸命に生きている者もいるんだよ」加古さんはいう。※7 

『わっしょいわっしょいぶんぶんぶん』かこさとし 作・絵 (偕成社/1973年)。大人も子どもも、みんな一緒になって音楽を楽しみ、アイデアを考え、クライマックスへ。なにか忘れていたものをハッと気づかされる

自然科学と経済への視点

『だるまちゃんととらのこちゃん』

加古里子 さく・え(福音館書店/1984年月刊「こどものとも」、1987年「こどものとも傑作集」第1刷)

この絵本が大好きで、子どもの頃、将来の夢はペンキ屋さんだった。この絵本が、絵を描き遊ぶ楽しみ、絵を喜んでもらえる嬉しさを教えてくれたから、私は今、絵を仕事にしている。

赤い泥のところで赤い泥をとり、黄色い土のところで黄色い土をとって、「どろのえのぐ」と「つちのえのぐ」を作るところが好きで、子どもの頃、土の色をみたり、水と練って「これはペンキになるかなぁ」と考えて遊んだ。

 

『だるまちゃんととらのこちゃん』 加古里子 さく・え(福音館書店/1984年月刊「こどものとも」、1987年「こどものとも傑作集」第1刷)。縦横無尽に自由に描いていく様が、希望に満ちあふれているようにも見える

加古さんは科学絵本をたくさん作っているが、この絵本でも泥や土の性質に目を向け、自然科学への視点を与えている。

また、この絵本ではペンキ遊びが、「とらのこちゃん」のお父さんのペンキ屋さんの仕事を増やし、店の繁盛につながっている。(絵本の最初のほうで、とらのこちゃんのお父さんのペンキ屋さんが、しょんぼり暇そうだった姿が、大人になって読み返すとしみじみする)

加古さんは、「『戦争』というのが『なぜが起こるのか?』を、よくよく考えていくと、どうしたって『経済』のことに突き当たる」と言っている。※8

だから、加古さんの絵本には商売や経済のエッセンスを感じるものがあるのだろうか。ただお金をあつめるだけではなくて、よき経済、よき商売とはどうあることなのか、考えさせられる。『にんじんばたけのパピプペポ』での人参の売り方など、いつまでも心に残っている。

加古里子さんの生き方をつなぐ

やさしく、楽しく、生きるために、「考える」「知る」ということ。その大切さを教えてくれる加古さんの絵本たち。

6月4日に、NHKの番組「プロフエッショナル仕事の流儀」で、「ただこどもたちのために かこさとし最後の記録」が放送された。

※2019年6月16日まで、NHKオンデマンドで視聴できる。2018年7月1日(日)午後1時5分~NHK総合にて再放送予定(一部の地域を除く)

ほんとうに、亡くなる直前まで、書斎で机に向かい、子どもたちのために、人生を捧げ尽くした絵本作家の生き方を、私たちに見せて下さった。

 

「子どもたちのために」

すべてにおいて、「子どもたちのために」ここに軸足をおいて考える人が増えたら、それは平和へとつながるのではないか。

絵本を通して、深い愛情を子どもたちに届けて下さった加古里子さん。私も加古さんの絵本を読んで育った一人だ。加古さんへの感謝を、自らの生き方に込めたい。

引用、参考文献(※注)

※1 『未来のだるまちゃんへ』かこさとし 著 (文芸春秋/2014年)84~88ページより

※2 『私の子ども文化論』かこさとし(あすなろ書房/昭和57年)2ページより

※3 『加古里子 絵本への道 —遊びの世界から科学の絵本へ—』(福音館書店/1999年)あとがきより

※4 『別冊太陽 絵本の作家たちⅣ』(平凡社/2006年)8ページより

※5 『未来のだるまちゃんへ』かこさとし著 (文芸春秋) 第三章「大切なことは、すべて子どもたちに教わった——セツルメントの子どもたち」より

※6 『私の子ども文化論』かこさとし (あすなろ書房/昭和57年)58~64ページより

※7 『未来のだるまちゃんへ』(文芸春秋)233~234ページより

※8 『未来のだるまちゃんへ』(文芸春秋)247ページより

上記の本より引用、またこの文章を書くにあたり、改めて拝読しました。加古さんは、絵本以外にも、子どもたちへの想い、科学や絵本についての考え方など、わかりやすく丁寧にお書きになった著書がたくさんあります。ぜひ手に取っていただけたらと思います。

また、加古さんの遊びの研究や自然や科学の絵本も紹介したくて、とても迷ったのですが、ここでは、「ONTOMO」でこそ紹介したい、音楽の絵本を2冊と、私自身が「描く」楽しさに出会った思い出の1冊を紹介いたしました。

イベント情報
かこさとしのひみつ展-だるまちゃんとさがしにいこう-

スケッチ・下絵・複製原画を中心に200点以上をご紹介。作家ゆかりの地・川崎で過去最大規模の「かこさとし展」を開催!

 

会場: 川崎市市民ミュージアム 企画展示室1

期間: 2018年7月7日(土)〜9月9日(日)

休館日: 毎週月曜日(ただし7月16日は開館)、7月17日(火)

開館時間: 9:30~17:00(最終入館16:30まで) ※夏休み期間の土曜日(7月21・28日、8月4・11・18日)は19:00まで開館(最終入館18:30まで)

観覧料: 一般600円(480円)、学生・65歳以上450円(360円)、中学生以下 無料 ※( )内は20名以上の団体料金
※障害者手帳をお持ちの方およびその介護者は無料

主催: 川崎市市民ミュージアム

ナビゲーター
本間ちひろ
ナビゲーター
本間ちひろ 絵本作家・イラストレーター

1978年、神奈川に生まれる。東京学芸大学大学院修了。2004年、『詩画集いいねこだった』(書肆楽々)で第37回日本児童文学者協会新人賞。作品には絵本『ねこくん こん...

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